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10月10日(月)体育の日 旧暦9月10日
佃島に咲いていた小菊。 雨でいっそう色が鮮やかだ。 ほぼ一日を仕事場で過ごす。 しかし、今日は若干チンタラと仕事をした。 昼休みにはネット無料動画配信のドラマ「シャーロックホームズの冒険」などを見たり、心置きなく居眠りなどもした。 となりのセブンイレブンに行き、アイスクリームも買ってそれも食べた。 休みは誰もいないので、仕事場でのんびりと仕事をするのも好き。 しかし、休日明けに襲ってくるさまざまな忙しさを思うと、ちょっと心臓がパクパクしてくるが、すぐに忘れるyamaokaであるので大方は呑気なもの。 というわけでちょっとダラダラと仕事をしてしまった。 誰も咎めないからさ、いい気なもんよ。 さて、新刊紹介である。 四六判小口折表紙。 174頁 著者の和田耕三郎(わだ・こうざぶろう)さんは、1954(昭和29)年茨城県生れ、現在東京都墨田区在住。野澤節子・きくちつねこに師事し「蘭」同人。「蘭賞」「蘭同人賞」を受賞。現在は「OPUS(オーパス)」代表同人。本句集は第4句集『青空』につぐ第5句集で、2007年から2016年まで9年間の作品をおさめる。前句集『青空』の「あとがき」に、2004年秋に脳腫瘍のため手術、翌年再発のため再手術を受けた結果、右半身に麻痺が残る状態となった。と書かれているように和田さんは闘病生活を続けられている。しかし、作句への情熱は衰えず俳誌「「OPUS」に作品を書き続けてこられたのだ。 わたしは和田さんを第1句集『水瓶座』の上梓のときから存じ上げており、第2句集『午餐』はわたしが担当編集者だった。この第2句集は、シリーズの一巻として刊行し田中裕明さんや大木あまりさんなどがご一緒だったもの。わたしがまだ駆け出し編集者のころ、若い彼らの句集を編集するというそんなご縁のお一人だった和田耕三郎さんである。そして発病。以後右半身麻痺という身体をかかえながら、俳句に頑張ってこられたのである。その胸中を察するにあまりあるものがあるが、俳句によって人や世の中と彼は繋がって来た。 闘病中の和田さんは人前に姿を現すことはほとんどない。わたしも日ごろはほとんど連絡をとれない。 今回の句集『椿、椿』によってわたしたちはふたたび和田耕三郎の世界にふれることができるのだ。 本句集は和田さんから私たちに向けられた手紙である、わたしは、そう思ってこの句集を読みたいと思う。 まず「椿、椿」というタイトルは、 椿椿水平線のよく見えて という一句による。 当初、タイトルは「椿椿」であったが、「椿、椿」と句読点を入れたいと申し上げたのは私である。句読点を入れることによってタイトルに動きが生れ、インパクトが与えられる。「椿椿」よりも緊迫感も生まれる。そんな思いを強くして、「椿、椿」をおすすめし、了解をいただいたのである。 「椿椿」「椿・椿」なども候補にあがったが、さて、どれが良かったか、それぞれ意見の分かれるところかもしれない。 すこし作品を紹介したい。 梅散りて水生臭くなりにけり 太陽の一瞬暗く蛇の衣 羽抜鶏吾れを誘ひに来たるかな くちびるに秋風少しあててやる 海底に落ちゆくねむり蝶黒し 黒南風やぐんぐん鼻の利いてくる 旧正月仏壇の奥晴れてをり 恋人となりたる頃の水着かな かまきりの現れてみるみる夜の雨 立春の妻に弱音を吐きにけり 毛虫焼きてその夜の星は低かりし 山枯れて谺しやすき身体かな 冬深む男のこゑが甘くなる 十一月空の青さの飴舐めて 左手で食べこぼすなり寒の入 (自嘲) こころざし少し変りて豆の飯 脳天の傷つつぱれる氷水 ロッカーを開ければ鷹のわたりけり 寒の雨わが足音の消えにけり ハンモック耳よりねむりつきにけり 極月のじんじん暗き杉の山 空のさざ波山のさざ波夏来たり 本句集は編年体で編まれているが、この句集は師・野澤節子へのオマージュに貫かれている。 年ごとに節子の忌日には多くの句が詠まれて収録されている。 そこには、和田耕三郎のなかでいまも鮮明に息づく師野澤節子がいる。 収録された多くの忌日の俳句より数句選んで紹介したい。 黒髪に落花一片節子の忌 節子忌のさくらひたすら仰ぎをり 節子のさくらつねこのさくら月細し 節子忌の水吸ひ上げる大欅 コーヒーの黒く澄みたる節子の忌 節子忌の空いつぱいに空があり 船笛のかすかに聞こえ節子の忌 花吹雪また花吹雪節子の忌 水音の空から聞こえ節子の忌 水呑めば吾れもまた闇節子の忌 師を恋う切ないほどの思いに溢れている。 生前の野澤先生は、「耕三郎が、耕三郎が」とそれはもう可愛くてたまらないという風に語っておられた。 子どもがいない野澤節子先生にとっては、和田さんは単なる弟子以上の息子のような存在だったと思う。 そしてその俳句の力をだれよりも高く評価しておられた。それに応えようとする弟子でもあった。 野澤節子の死去からすでに20年以上は経っている。しかし、和田耕三郎の胸には師はいまなお鮮やかだ。その表情、その声、その一挙手一投足が和田耕三郎とともにあるのだ。 『椿、椿』は、師・野澤節子へささげた句集であると思う。 脳腫瘍の手術を受け、右半身と言語の障害を持つようになって十年あまりが過ぎた。前の句集『青空』以後も俳句を作り続け、同人誌「OPUS」はまもなく50号を迎える。 これからも俳句とともに。 「あとがき」を紹介した。 本句集の装釘は、和兎さん。 句集名と和田耕三郎さんが本来的にもっている華やかさを赤で表現した。 赤の用紙に白のインクと白の箔押し。 タイトルと名前が箔押し。 見返しは、白。 見返しと同じ用紙に赤で印刷。 本文用紙も白の用紙。 今回の製本は、無線綴じ製本でもかがり製本でもない。 PUR製本と呼ぶ、あたらしい製本技術のもとでの製本である。 本句集にて試みたのであるが、開きが素晴らしい。 赤をテーマカラーに、スマートにしかも品格をもって生まれた句集『椿、椿』である。 華やかさがお好きだった野澤節子先生が生きていらしたら「まあ、きれいね」と喜ばれたのではないだろうか。 星ひとつつけて聖樹の売られをり 好きな一句だ。 聖樹とはいわゆるクリスマスツリーのことであるが、聖樹と書くとそこに宗教的な浄らかさが加味される。 星がついていなかったら単なる樅の木であるところを、星がたったひとつ、付けられたことによって立派に聖樹となった。「売られをり」でこれが商品であるということがわかるが、星は消費社会の悲しみを象徴するかのように売られていくのである。 たったひとつの星の栄光は、やがて電飾やらキラキラモールやらで雁字搦めにされて、聖樹から見事なクリスマスツリーとなって歳晩の世の中を賑やかすのだ。 この句からもうひとつ、好きな聖樹の句を思い出した。 行きづりに聖樹の星を裏返す 三好潤子 この句も大好きな一句である。 ご飯のお誘いが入ってしまったので、もう行かなくちゃ。 では、では。
by fragie777
| 2016-10-10 20:20
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