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10月6日(木) 旧暦9月6日
「行って来るよ」って言ったら、じいっと見つめ返した。 実は人間のことばがわかるんだ。 そういう顔してるでしょ。 ああ、でも人間のことばがわかる、というよりも、わたしを同じ仲間と思っているかもしれない。。。。 いつも母親のように心配をしてもらっている。 新刊が大分たまってしまった。 新刊紹介にいそしまねばならない。 今日紹介するのは、 鈴木多江子句集『鳥船』(とりふね)。 著者の鈴木多江子さんは、昭和22年(1947)東京都生れ、現在は東京・西東京市在住。昭和45年(1970)「杉」創刊と同時に入会し森澄雄に師事する。昭和49年(1974)「杉」同人。平成5年(1993)「貂」同人、川崎展宏に師事、平成9年(1997)「雲取」(鈴木太郎主宰)創刊、編集長となる。第1句集に「花信」(平成2年)。本句集は平成15年~28年の13年間の作品を収めた第2句集である。帯文を鈴木太郎主宰が寄せている。 句集名「鳥船」については、「集中特にこの語を詠んだ作品があるわけではないが、飛行機のなかった時代の古代人の憧れに思いをめぐらせ、その豊かな発想力にあやかりたいと思って選んだ。」と「あとがき」にある。 菩提樹の樹魂のあげし夏満月 歳月とは命をのせる器であり、時空でもあろう。作者は思ったより吟行に魅せられているようだ。折々の邂逅によって呼び起こされた言葉が、詩となる一瞬のときめき。『鳥船』の飛翔力はまさにその時にこそあるといえそうだ。 鈴木太郎主宰の帯によせた言葉である。吟行句が多いとあるが、確かに多いかもしれない。 句集の前半の部分の作品をいくつか紹介したい。 薄氷のやがて風音なりしかな てのひらの中に海あり蝶の昼 さみしさの太りゆくなり糸瓜棚 通夜の闇大きくしたる寒の雨 不退寺の住職さまの春の汗 花びらの横に流れて河馬の水 大甕が水呼んでゐる初あらし 冬満月けふの言葉を耕せと 踏青にふいの奈落のありにけり 剪定の枝が空飛ぶ西行忌 麦秋や溺るるごとく旅に寝て もう一度先生と呼ぶ竜の玉 (川崎展宏先生 ご逝去) 大鮪大西洋を吐きにけり たましひを肥やせ伸ばせと滝しぶき 秋蟬や壺をお骨のあふれむと (森澄雄先生 ご逝去) 「森澄雄先生 ご逝去 三句」とあるうちの一句を紹介した。この句、「骨壺に骨があふれそう」というあまり人が俳句に詠まないところを詠んでいるが、森澄雄という俳人を彷彿とさせる一句だと思う。俳句へのあふるるばかりの情熱をもち、平穏におさまることを嫌いつねに文学的高みを希求する俳人だった。何度かお目にかかる機会があったが、身体がご不自由になり言葉がうまく話せなくなっても、眼光は爛々として身体全体から訴えたいものが迫ってくるお方だった。この「骨」は森澄雄の「詩塊」と言いかえてもいい。そう、「詩魂」だ。追悼句として素晴らしいと思う。 平成二十一年には学生時代からの恩師で「貂」名誉代表の川崎展宏先生が、翌年には仲人にもなって頂いた「杉」主宰の森澄雄先生があいついで亡くなられた。初学の頃にお二人の先生に出会えたことは、私にとってかけがえのない大きな宝であり、支えでもあった。今でも大きなご恩を頂いていることに変わりはないと思っている。 「あとがき」より抜粋した。 後半の句を紹介したい。 春潮や原発沸騰しつつある (東日本大震災 夫の生地、会津なれば) 忽然とわが齢あり大桜 白牡丹夜は獣の息をせり 時ならぬかげろふに身を包まれて (入院 手術) 秒針もまた長針も囀れる カフカ読むパパイアの種吹き飛ばし 人間も柱も透いて大夕焼 瓢の実の昏さ銀河系の冥さ わが胸の荒野を照らせ今日の月 秋の蝶わが言葉よりこぼれたる 春満月この世に生まれ臍ひとつ 鈴木多江子さんの俳句は、誤解をおそれずに言うなら「益荒男ぶり」の俳句である。女々しさや媚態というものが気持のよいまでにない。しかし深い息づかいときよらかな湿度を句の背後に感じることができる。益荒男ぶりということを他の言葉で言いかえるなら「端正な精神の骨格」とでも言ったらいいのだろうか。あるいは「潔い心根」とでも。その「精神の骨格」は、師の森澄雄、川崎展宏を引き継ぐものだ。 人としてごく当り前の生活を送るなかで、「俳句」という自己表現の場を得たことで、どれだけ励みになり、また広い世界を知ることが出来たかを考える時、出会いの不思議さを思わずにはいられない。 (略) 今回の句集をまとめてみて吟行句の多いことに我ながら驚いている。机上では得られない季節との交感や非日常の出合いに、いつの間にか魅せられている自分に気付かされた。これも「雲取」の連衆との切磋琢磨や温かな交流があったればこそで、有難いことと思っている。 ふたたび「あとがき」より紹介した。 本句集は「白のシリーズ」の刊行である。 したがって装丁者は、和兎さん。 著者の鈴木多江子さんの夢をのせる「鳥船」である。 古い図版をもってきた。 すこし不思議な絵柄である。 カバーと取った本体はグラシンを巻かないフランス装。 見返しは白。 扉。 はるけき時空を感じさせる装釘となった。 著者の鈴木多江子さんはとても気に入ってくださった。 尾のやうなものを踏んだり春の闇 冬の間に硬直していた大地は、春になるとにわかに緩む。啓蟄をむかえいろんな生き物が活動をはじめる。そんな季節だから、当然「尾のやうなもの」だって踏むことはある。蛇なんて思いたくもないけど。あるいは単なる紐が落ちていてそれをやや暗い闇の中で踏んづけたりしちゃったのかもしれない。春だからいろんなことが想像できる。わたしはこの「尾のやうなもの」は、得体がしれるものではなくて得体のしれない不可思議なものの尾と思いたい。次元の割れ目からふっとこぼれ出たものの尾っぽ、あるいはぬるりとした魑魅魍魎の尾っぽ、そんんなものが跋扈していても、許されるのが春の闇だ。 いよいよ「ふらんす堂通信150号」の編集期間に突入した。 わたしはまだ目の前の宿題があるので、とてもとてもそちらには心がいかない。 「田中裕明賞」の冊子のことも気になっているが、それも「ふらんす堂通信」が校了になってからのこと。 10月をちゃんとクリアすれば、なんとかと思うが、、、、 冊子、待っている人たちがいるだろうなあ。
by fragie777
| 2016-10-06 20:32
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