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10月5日(水) 旧暦9月5日
仕事場の近くに置かれてあった雨に濡れた自転車。 好きな形をしている。色もわるくない。 (もう今はちょっと乗るのは憚られるが、、、) 昨日のこと、紙屋さんから連絡が入った。 「ご指定の用紙ですが、製造元が廃版としてしまいましたので、お入れできません」 「ええっ、だって見本帳にあったでしょ」 「ええ、でも廃版になってしまったんです」 (あーあ、またか……) (あの色はほかのどの紙ともとって代われるものじゃない) 本のカバーに使う用紙のことである。 わたしは頭をかかえた。しかし、どうすることもできない。 著者のTさんに電話をする前に、それに替わる用紙を選ばなくてはいけない。 Tさんもとても気に入ってくださった用紙だ。 そんなこんなで紙の見本帳を目の前に拡げて、つぎつぎと見ていく。 どうにかそれに一番ちかいものを見出す。 (同じ色はないよなあ…、まっこれなら著者も納得して下さるかも)ということでTさんに電話をする。 「残念ですが、仕方ないですね」と納得をしていただき、少しはホッとする。 ああ、でもあの用紙を使いたかった。わたしはまだすっきりしない。で、もう一度紙屋さんに電話をする。 「たとえば、斤量をすこし落としてもいいから、指定の用紙ないかしら」 「ああ、それならあります」 「じゃ、それにしましょう」ということで、ふたたびTさんに電話をして説明をして、了解をいただく。 斤量はどちらを使ってもいい範囲のものだった。 この美しい用紙をつかう最後の本になるかもしれないと思うと、この用紙をつかえたことが余計に嬉しい。 しかし、 このようなことは最近とみに多い。 今日は布クロスがやはり製造終了になってしまい、第4候補でやっと落手できた。 しかし、第1、第2、第3候補の味わいからは遠い。 こんな風に、風合いのある用紙や手触りのあるクロスがどんどんなくなっていく。 本当に寂しいことだ。 美しいものが失われてゆく、そんな危機感さえも感じてしまうほど。 昨日、今日と廃版になってしまった用紙やクロスを求めて格闘した一日となった。 深見けん二先生よりお電話をいただく。 いろいろなお話をしているうちに、俳誌「百鳥」9月号に掲載されている 『深見けん二俳句集成』評についての話しとなった。 評者は徳永真弓さん。『集成』を丁寧に丹念に読まれている。 「気持がこもっていることが伝わってくる文章で嬉しかった」と深見先生。 徳永真弓さんは、2009年にふらんす堂より第1句集『神楽岡』を上梓されている俳人である。 抜粋して紹介したい。 卒業の丘下りて来て水に雲 『父子唱和』 針叢の中へ一筋針納む 『雪の花』 花の色白きを濃しといふべかり 『花鳥来』 芽柳といふほどになくほのめける 『余光』 薄氷の吹かれて端の重なれる 『余光』 滝壺のたぎちたぎちてうすみどり 『日月』 遠くほど風の芒となつてゐし 「『日月』以後」 白雲のまぎれ込みたる野梅かな 『蝶に会ふ』 餅を焼く網より下へふくれもし 『菫濃く』 深見氏の句は淡く静かだが、読んでいるとしだいに気持がほぐれ晴れ晴れとしてくる。「芽柳と」の句では、まだ幼い芽が「ほのめける」と愛情をこめて詠まれている。「滝壺」の句では、水の躍動や音の激しさとの対比によって「うすみどり」が美しい。「遠くほど」の句では、芒原に立ち、風の流れを一望している気持になる。自然の営みの微かな変化に気づく楽しさ。出会ったものを丁寧に親しく見て、そっと心に引き寄せ言葉にする喜び。深見氏の句を読むうちに私は、句作によってまず対象から与えられる楽しさや喜びを再認識し、元気が出てくるのだ。 (略) 人はみななにかにはげみ初桜 『花鳥来』 人生の輝いてゐる夏帽子 『菫濃く』 深見氏の句の底には、我我が「四季の運行する自然の」一員として生きることへの、静かではっきりとした肯定があるように感じ励まされる。掲句は、いわゆるデッサン的写生句ではない。二句目の「人生」という言葉は、主観が重くなりそうで私にはとても使えない。しかしここで「人生の輝いてゐる」は、「夏帽子」にかかる素朴で力強い写生だと思う。そして何と斬新な写生であろう。 最初この句を読んだ時、若い女性の麦藁帽子が浮かんだ。その後、わが娘が子を生み一生懸命子育てを始めると、「そうか、これは娘の事だ」と思った。あるいは、もっと年上の人でもいい。読者は様様な夏帽子を想像し、季題が生き生きと膨らみはじめる。客観写生とは、こんなに自由で伸びやかなものだったのか。 俳諧の他力を信じ親鸞忌 読者を引き込む静かな言葉の力、深い余韻のある客観写生、季題の持つ広広とした豊かな世界。深見氏の句を集成でまとめて読めることは、大きな喜びである。 来る10月8日(土)から11月27日より「こおりやま文学の森資料館」にて、「清廉の俳人 深見けん二」と題して「深見けん二展」が開催される。郡山市は深見先生のふるさとである。 「歳をとってしまうと郡山も遠くなってしまい、僕はすべてお任せしているんです」と深見先生。 本展は、たくさんの資料の展示もあって充実したものになる様子。 「本企画展では、虚子との関わりなどを中心に紹介し、客観写生を旨とする句作の歴史と、多くの俳人に敬愛される氏の魅力を紹介します」とある。 西村和子さんの講演も予定されている。 問い合わせは、「こおりやま文学の森資料館」電話024-991-7610 fax024-991-7620 email=bungakunomori@bunka-manabi.or.jp http://www.bunka-manabi.or.jp/bungakunomori/ お客さまがおひとりご来社下さった。 酒井紀三子さん。 酒井さんは、俳誌「鶴」に所属する俳人である。 第1句集のご相談に見えられたのである。 俳句歴はながく、岸田稚魚主宰の「琅玕」より俳句をはじめられたという。 今回はじめて句集を刊行することを決意されたのだ。 「句集は出さなくてもと、一時思ったりしましたが、やはり出そうと決めました」とおっしゃる。 「泉」の石田勝彦先生とも句会を共にしてこられ、いまもなお「泉」の方々との句会は続いているということ。 石田勝彦先生のお名前が出てきて、ああ、とてもなつかしい。 仙川は始めていらっしゃったということなので、武者小路実篤公園をお教えしたのだけど、ちゃんと辿り着かれたかしら。 すこし心配をしております。 酒井さま、今度は是非に句のお仲間とご一緒に仙川に吟行にいらしてくださいませ。
by fragie777
| 2016-10-05 20:00
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