カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
10月4日(火) 旧暦9月4日
今日の朝日新聞の「折々のことば」は、 100冊の本を読むより、1回の恋愛。 瀬戸内寂聴 という、ちょっとドキッとする一文だ。 この一文、どう思います? 簡単に言ってしまえば、観念のなかで生きるよりも現実のなかで生きろ、っていうことかもしれないけど、わたしは、全面的に賛成ではない。 瀬戸内寂聴さんは、恋多き作家としても有名な人である。 わたしはこの一文をよんで、とっさに想い浮かべたのは、『嵐が丘』の作者エミリ・ブロンテ、そして『高慢と偏見』の作者ジェーン・オースティンだ。 『嵐が丘』は恋愛小説の極致であると思っているのだが、30歳で死んだエミリ・ブロンテははたしてその生涯で恋愛経験があったのかどうか。。 豊かな想像力は経験にまさるっていうこともある。 そして、100冊の本が持っている豊かさはあなどりがたいものがあると思う。 新刊紹介をしたい。 著者の久保田至誠(くぼた・しせい)さんは、昭和16年(1941)山形生れ、現在茨城県在住。平成9年(1997)に作句をはじめ、平成14年(2002)俳誌「狩」入会。平成18年(2006)第27回「狩」評論賞受賞、平成20年(2008)「狩」30周年記念評論賞受賞、平成21年(2009)「狩」同人、平成23年(2011)茨城県俳句作家協会奨励賞受賞、平成25年(2013)「狩」35周年記念評論賞受賞。著書に評論集『滅びゆく季語』(飯塚書店)がある。本句集は平成9年から27年までの作品を収録した第1句集である。序句と帯文そして鑑賞3句を鷹羽狩行主宰が、跋文を同人の大野崇文さんが寄せている。 ふところは山にもありて風薫る 狩行 滴りに怺ふる力ありにけり 雫などとは違い、重くなるのを待っては落ちる「滴り」に「怺ふる力」を見た。 人事でも自然でも句材に対する焦点の絞り方が個性的で、まさに至誠、句に通ずといえよう。 「鑑賞三句」は、 留守番の蠅を一匹打ちしのみ 妻子が朝から出かけて、久しぶりの留守番。一日じゅう、一人で好きなことができると張り切っていたものの、だらだらしているだけでたちまち夕方に。結局やったことといえば、「蠅を一匹打ちしのみ」。暑さゆえか。それにしても情けない。 落選にしてこの香り菊花展 一年間、手入れしてきた菊の出来栄えを競う菊花展。見事なものには賞が与えられる。そして選外になった菊も、入選の菊とともにすばらしい香りを放っていて、誇らしげではないか。 返り花あたり見回すやうに咲き 小春日のころ、桜やつつじが季節はずれの花をつけることがある。可憐であるが、それを、周囲をうかがうように遠慮がちに咲いていると見た。春や夏に咲き競っている花とくらべて寂しい趣で、いかにも初冬らしい。見事な感情移入。 「狩」茨城支部において句座をともにしその指導に当たられた大野崇文さんは、跋文で著者の略歴を詳細に紹介されている。久保田至誠さんはその工学博士の仕事人としての華やかな略歴を経たのちの俳句の出発であった。俳人としては遅い出発をされた久保田さんであるが、俳句を学びはじめてからのその上達ぶりはすばらしく、作品のみならず評論ともども賞をさまざまな受賞されることとなり、平成25年には、俳人協会・春季俳句講座にて「自然環境変化と季語」について講演をされている。 さて、大野崇文さんの跋文を抜粋して紹介したい。 (略) 至誠さんは、俳句は韻文であるということを充分承知されているのです。 真つすぐに雲を見つめて捨案山子 親鳥の去れば目つむり燕の子 飛び出さむばかりに桶の囮鮎 黄ばみてもなほ丈伸ばし余り苗 枯草を引けば逆らふ力あり 一句目の捨てられて雲を見つめる案山子の寂寥感、二句目の親の居ない間の子燕の孤独感、三句目の元気な囮鮎の悲壮感、四句目の出番がないかも知れぬのに丈を伸ばす余り苗の哀感、五句目の逆らう力のある枯草の存在感……などが描かれていますが、これらの主人公はみな「弱き者」と言えます。その「弱き者」へそそがれる至誠さんの温かく優しいまなざしがあればこそ、自然環境の変化などによって滅びゆかねばならないもののある実情を訴え、環境整備などの必要性を説き、世に警鐘を鳴らす『滅びゆく季語』を刊行することが出来たのだと思います。 春昼やもの思ふとき膝を抱き 厳寒やあめつちのもの慈しみ 心にも襞といふもの霜の声 魚は氷に上りて人は旅ごころ 窪むほど息吹きかけて葛湯かな 一句目は「春昼やもの思ふとき膝を抱き」という形象に「春愁の情」という姿なきものを、二句目は天地のものを慈しむ心を知らされる寒の厳しさを、三句目は自身の心の襞の奥深いところを見つめさせられる霜の声の静けさを、四句目は春到来を喜ぶ魚と人の共鳴を表出。五句目は句集の掉尾の作で、何かを為さんとする意志の強さが感じられます。次の句集へ向けての志を秘めているのかも知れません。 「狩」評論賞を三度も受賞されるという実績を積まれた至誠俳句は、俳句の両輪〈句作と評論〉のバランスが実に良く、これからも俳句の高みを目指して努力され邁進して行かれることでしょう。次なる句集の充実ぶりが今から待たれます。 この句集の担当はPさん。Pさんの好きな句は、 雑踏の無口となりて冬に入る 露厚き糊東の村の懸大根争ひてすぐに寄り添ひ残り鴨 春昼やもの思ふとき膝を抱き 夏帽子買ひし翌日よりの雨 腰上げて漕ぐ自転車や夏の雲 冬帽をとり劇場の人となる 雪焼の男やさしき声を出し 尺とりの虚空を探る枝の先 炎天を来て全身で水を飲む 心にも襞といふもの霜の声 黄ばみてもなほ丈伸ばし余り苗 ぬかるみの子の靴跡も春めきぬ 万緑を裂きて真白き石切場 郭公の声みづうみをはづみ来る 私と俳句との出会いは未だ現職で仕事をしていた平成九年のことでした。気分転換のつもりと退職後に楽しめるものをという軽い気持ちで始めましたが、忽ちその魅力に取り付かれてしまいました。当初は結社には入らず、手紙による添削指導を受けながら新聞や雑誌などに投句をしておりました。 今にして考えればもっと早くから結社に所属して学ぶべきであったとつくづく思います。仕事の忙しさを理由にしてはいましたが本心は結社に入る自信がなかったからと言えるでしょう。 その後多くの俳人の句集などに接しているうち、鷹羽狩行先生の俳句に強く惹かれるところがあり、「狩」に入会させていただくこととなりました。評論に関心のあった私は俳句と評論の両者を大切にされる主宰の方針にも魅力を感じました。茨城支部に所属してからは、伊藤トキノ先生、大野崇文先生による丁寧懇切なるご指導も頂戴し、俳句に熱中する毎日となりました。 句集の出版はまだまだ先のことと考えておりましたが、七十代も半ばとなり体力の衰えも感じるようになったことから、とりあえず平成二十七年までに発表した句をまとめて見ることにしました。「狩」誌での掲載句五百五十五句に、俳人協会等の大会での入賞句や新聞誌上等での掲載句を合わせた六百八十九句の中から三百句を選びました。句集名は、一年のうちでもっとも好きな緑の季節に因んで「薫風」としましたが、果たして句の内容にふさわしいものかは自信がありません。 「あとがき」より抜粋した。ほかに、 長寿なる故をあれこれ寒蜆 花疲れつるりとしやぼん落しけり 短日や音せはしなき蓄音器 本尊を覗いて秋の蚊にさされ 萍の吹き寄せられて重ならず くづし字の囁くやうな春灯下 蜻蛉釣夕日まとひて戻りけり 全集を読む気力なほ文化の日 硬き音させて青梅洗ひけり 夕闇の襞の中より蚊食鳥 八月の空や声なき声の降る 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 「薫風」は人気のあるタイトルで、これまでにほかにも何冊かあったかもしれない。 「薫風ですね、う~む」と君嶋さんはちょっと頭をかかえた。 しかし、さすがである。 たくさんのラフを用意して著者の久保田さんが選ばれたのがこちら。 面白い図案である。 タイトルを空押し。 首飾りしたままの妻秋刀魚焼く この句、面白い。日常と非日常、あるいはハレとケの対比が、一句のなかで鮮やかにユーモラスに詠まれている。ネックレスといわず首飾りと表現したところからすると、真珠の首飾りだろうか。結婚式かあるいはお葬式に参列し、礼装の洋服は取りあえず着替えたもの、秋刀魚の魅力に勝てず、首飾りを外すことすら忘れ、すぐに秋刀魚を焼きだした妻。そんな妻をちょっと面白く眺める夫。首飾りに拮抗する日常(生活)を象徴するものとしての秋刀魚は申し分ないと思う。 秋刀魚! 秋刀魚が食べたい。 今年はまだ一度しか食べてない。 みなさんは、もう食べました? 今夜はもう食べるものが決まっているので、今週のどこかに秋刀魚を入れよう。 今夜? 今夜の夕食は、セロリと◯◯、セロリと□□、など、まだセロリが頑張っているのね。
by fragie777
| 2016-10-04 20:20
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||