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10月3日(月) 旧暦9月3日
今朝はめずらしく早く目がさめてしまった。 猫たちがわたしの身体のまわりをウロウロしている。 普通なら2度寝、3度寝なんてお手の物なんだけど、30分ほどベッドの上で猫たちとゴロゴロしてそれから起きた。わたしとしては早い起床である。 だからこのブログを書き始めてより、眠くて眠くて仕方がない。さっきからウンガ―!ってでっかいあくびを4度ほどした。 大口を空いて息をこう吸い込むとき、 前に積まれている本たちがこちら側になだれ落ちてくるンじゃないかってほどの、おおあくびだ。 目の前のものをなにもかも吸い込んでしまわないうちに、ブログを書いてしまおう。 新刊紹介をしたい。 著者の松枝真理子(まつえだ・まりこ)さんは、昭和45年(1970)愛知県生れ、現在東京都在住。平成18年(2006)に俳誌「知音」に入会、行方克巳・西村和子に師事。平成24年(2012)第1回青炎賞を受賞している。「知音」同人である。本句集は、平成18年から28年までのおよそ10年間の作品を収録した第1句集であり、「知音」の青炎叢書の一巻として刊行された。帯文を行方克巳、序文を西村和子の両師が寄せている。 まずは、行方克巳代表の帯である。 ぐらぐらの歯を自慢してチューリップ やがて キャンプから帰りてもまだ歌ひをり そして マフラーを後ろできゆつと結ぶ子よ お母さんと一緒にここまで成長してきた女の子は、これからは一人の女性として自分自身の道を歩み始めるだろう。そしてその子と足並を揃えてきたお母さんには新しい地平が見えてくるはずだ。「薔薇の芽」に続く真理子さんの俳句の展開を見守ってゆきたい。 本句集は、幼い子どもの手を引いて句会に参加し、子どもの成長をみつめるなかで日々の生活を俳句に詠んできた松枝真理子さんの10年間を一冊の句集にしたものである。 序文を書かれた西村和子代表は、そんな松枝さんの子育て俳句に優しく寄り添い、あたたかな序文の言葉を寄せている。 おでん酒年を取るのも悪くなし 聞こえくる女の叫び明易し 美しきもののみ映し秋の水 さんま焼く家庭円満何が不満 なぐさむる己も非力冴返る このところ自分自身を見つめる作品に、佳句が多く見られる。俳句と共に内面の深まりが加わってきた証であろう。幻聴のような女の叫びは、作者の分身かも知れない。自分の心の声に耳を傾ける余裕も大切だ。己れの非力を認めるところから、今なすべきこと、なし得ることが見えてくる。それぞれの季語に託された本音が聞こえてくる。 子供が成長して、手を離れてゆくということは、母親にとっては淋しいが、人生の大きな手応えでもある。他の何ものにも代え難い喜びである。この句集は、子供の成長とともに人生の深まりを実感したひとりの女性の、日常と内面の充実を伝えている。これからも、俳句と共にある限り、更なる人生の豊かさが約束されていよう。そんなしなやかな生き方を予感させる第一句集の誕生を喜びたい。 この句集の担当はPさん。Pさんの好きな句は、 大屋根に影落としゆく秋の雲 朝靄に緑の匂ひ充満す通し鴨歌ふごとくに水飲んで 寒月や仰げば我に向かひくる 青空へせり出しにけり橡の花 退屈なやつ霜柱踏まぬとは 俳句が生活の一部となって早十年が過ぎ、娘は高校生になった。平穏に過ごしてきたつもりの年月だが、振り返ってみると、我が家の日常にもそれなりに変化はあったようだ。だが一番変わったのは自分自身である。俳句という拠りどころができた上に、俳縁という賜り物。歳時記を初めて開いた十年前には、想像すらできなかったことである。 「あとがき」の一部分を抜粋して紹介した。 その心はいよいよ俳句へと一心に向っていこうとするそんな気配に満ちている「あとがき」である。 ほかに、 昼寝の子少し大きく見えにけり キャンプから帰りてもまだ歌ひをり 初鴨の勝手知りたるやうな顔 エルメスといふ名の子豚春隣 夏の川越して休暇の始まりぬ 不惑とは何と自由か梅ふふむ 短夜や知らぬ間に肩凝つてをり みんみんのみに濁点のついてをり その訃報受けとめられず蜜柑むく 新涼や広場に中国雑技団 言ひ訳をしてをり背ナにゐのこづち 落葉踏む今ならわかりあへること 何事も経験すべしはうれん草 薔薇の芽に花たたまれてゐる不思議 冬の蠅存外肥えてをりにけり 本句集の装幀は、和兎さん。 シンプルで派手でなく、というのが松枝真理子さんのご希望だった。 ご本人はとても華やかな雰囲気を持つ方であるが。。 少し地味かしらと、心配したのだが、松枝さんは気に入って下さった。 見返しは華やかに。 ![]() こちらも地模様のある用紙を用いた。 見返しの紅が効いている。 シンプルであるが、品格のある一冊となった。 退屈なやつ霜柱踏まぬとは Pさんも好きな一句に選んでいたが、わたしも「霜柱」を詠んだ句として面白いと思った。「退屈なやつ」は、世にたくさん棲息しているが、たかが「霜柱」を踏まないだけで、「退屈なやつ」と蔑視されてしまうとは、この価値観のありどころが面白い。 今日の「ウラハイ=裏「週刊俳句」の相子智恵さんによる「月曜日の一句」で、本句集より一句とり上げている。 忘れ物あへて届けず秋うらら 松枝真理子 句集『薔薇の芽』(2016.09 ふらんす堂)より。 「秋うらら」という明るい季語によって、この忘れ物はどんな物か、忘れ物をした場所、忘れ物をした人と、された人との間柄……などがよく見えてくる句だ。 忘れ物を届けないのに麗らかな秋を感じられるということは、この忘れ物が財布や携帯電話など、重要かつ緊急に必要になる物ではなく、忘れていってもさほど支障のない、ハンカチのような物だろう。 忘れた場所も、もちろんレストランなど外出先ではなく自宅だ。 また、あえて届けなくてもよい間柄だから、電話などで忘れ物の連絡をしつつも「じゃあ、次に来る時まで置いておくね」「よろしく」と言えるくらいの親しさであることもわかる。お互いの家の行き来も頻繁だということも想像されてくる。 「忘れ物」「あへて」「秋うらら」のア音の繰り返しも明るく、弾むような感じが楽しい。忘れ物でさえ、この二人が過ごした楽しい時間の名残に感じられてくる。 今日の朝日新聞の「風信」は、秋篠光広句集『心月』が紹介されている。 名月やはばたくものを籠の中 秋篠光広 「朝鳥」の主宰が50余年の句作から100句で編んだ第1句集。芭蕉の雪月花への思い強く。 今日はお一人お客さまがいらっしゃった。 佐藤理江さん。 歌人である。 第5歌集の上梓すべく、今日は造本や装釘などをご相談に見えた。 佐藤理江さんは、短歌誌「未来」に所属する歌人であり、加藤治郎さんのご紹介による。 学生時代に「アララギ」派の歌人、小市巳世司の指導を受けたことが契機となり、短歌をつくるようになった。 その後短歌誌「花実」から「未来」へと移って現在に至る。 第4歌集まで、旧かなによって短歌を作っていたが、本歌集から新かなによる短歌を収録。 自身の短歌は口語短歌が多いので、新かなによるものの方が親和性があると思うようになったということである。 好きな歌人は?と伺うと、「斎藤史」とつかさず答えが返ってきた。 「毎日うた」と題して、何年か前よりツイッターで毎日短歌をつくることを自身に課しているということ。 「寝る前に作るんです」と言って明るく笑われた。 埼玉県の高等学校の国語の先生をしておられる。 「厳しい先生ですか?」と伺うと、 にっこりと「ハイ、コワイです」。 これもまた即答されたのだった。
by fragie777
| 2016-10-03 20:25
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