カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
9月15日(木)十五夜 旧暦8月15日
男郎花(おとこえし)。 男郎花あらをとこへしと女子衆 川崎展宏 ブログを書き始めて、今日が十五夜であることを知る。 皆さまは、もう十五夜飾りなどなされまして。 お月見なんて、なんと素晴らしい風習であることか。 だってただ月を眺めるのよ。芒とかお団子とか飾って。 素敵な無為の時間がそこに流れる。 あるいは今という時空をこえたはるけさを月の光のなかに感じたりするのかも。 いやはや、日本人は粋な民である。 しかし、自慢ではないが、わたしは十五夜飾りなるものをしたことがないし、改めてお月見をしたこともない。 月が頭上に出ていようが出ていまいが天を見上げることもなく、日常の些事でこころを埋めながら日々をやり過ごしてきた。 小さい頃、故郷では芒をかざり、お月見をした。まったく経験がないわけではないのだけれど。 今日が十五夜と知り、それじゃ、帰りに月でも眺めるかと一瞬思うが、きっと帰る道すがらは忘れてしまっている。 こんな人間はどうしたらいいんだろう。と一瞬歎きの表情をしてみても、すぐにその思いはあとかたもなく消え去る。世俗の欲望に満ちたわが心よ。。。 汝の杯を、世の俗悪の濁った酒でいよいよ満たせよ。 天上より一瞬、怒りの声がしたと思ったが、ブルブルと頭を振って聞こえないことにした。 くだらない話しはさておき、、、、 「俳壇」10月号の「本の庭」で堀本裕樹さんが、須原和男句集『五風十雨』を取り上げておられる。紹介をしたい。 「貂」に所属する須原和男の第五句集『五風十雨』には、四八一句が収録されており、この集のタイトルは、 戸隠の五風十雨の花野かな から採られている。「五風十雨」とは、「五日に一度の割合で吹く穏やかな風、十日に一度の割合で降る恵みの雨」という。掲句から戸隠の花野の豊かで寂しげな風情が立ち上がってくる。 寒明けの青を競へり松と潮 遠州の天を獲りあひ凧 城山へ風かけあがる夏は来ぬ 挙げた三句はどれも雄渾である。一句目は、松と潮が「青」という色彩を競い合い、照り合う風光に張り詰めた雄々しさを感じる。二句目は、「天を獲りあひ」の措辞に凧合戦の躍動感が漲っている。三句目は、城山を巡る風の行方をしっかりと捉えて、体感的に「かけのぼる」の措辞が導き出されたのがわかる。夏も駆け上ってきたのだ。 一つ来て初蝶の野となりにける 百あまり落とし切つたる白椿 萬歩来て入り隠國(こもりく)の花の山 一羽また朱鷺を上げたる青田かな 一口でよろしき海鞘を山ほども など、前述した表題作をはじめ、数詞の詠み込まれた作品にも惹かれた。 夕方にお客さまがいらっしゃった。 津久井紀代さんと米田清文さん。 米田清文(よねた・きよふみ)さんはこの度第一句集を上梓される予定である。 その句稿を持っていらっしゃったのだ。 米田さんは、俳誌「天為」の同人。「天為」で俳句を学ばれて今年で十七年目となった。 その作品を有馬朗人主宰に選句をしていただき、三百数十句の句稿としてまとめられた。 同じ天為の津久井紀代さんが指導をされている句会に参加されているご縁で、先輩の津久井さんが一緒に伴われてご来社下さったのである。 「俳句をつくられたきっかけは?」とお尋ねすると、 「電車の行き帰りで本を読んでいたのですが、本はどうも長いなあと思い、歳時記を読むようになったんです。歳時記を読むようになると、俳句のリズムが自分に合っていると思いました。そこで電車の行き帰りに今度は俳句を作るようになりました。思いつくままに十句くらいですか。そうしているうちに自分の作った句がはたしていいのかどうか、知りたくなり会社の近くにあるカルチュア教室に入りました。そこでは「天為」の山元志津香さんが指導をされていて、そのことがきっかけで「天為」に入会しました。それから十七年が経ち、こうして句集を上梓することになりました」と米田清文さん。 「最近知ったのですが、俳人の柏原眠雨さんは、ぼくの大学(東北大学)の哲学の先生だったんです。俳人協会賞を受賞されたとき、その経歴を調べてみてどうやらそうではないかと思い、連絡をしたところやっぱりそうでした」と米田さん。 大学では、神学を勉強され、卒論はパスカルということである。 折り目正しい所作のなかにふっと思索的な表情がうかがわれる米田さんに、「哲学を学ばれたというお顔をしてらっしゃるわ」と写真を撮らせてもらいながら申し上げると、完爾として笑われたのだった。
by fragie777
| 2016-09-15 20:03
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||