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8月26日(金) 旧暦7月24日
今朝の安藤(忠雄)タウン。 もっと赤い花なのであるが、朝日が貫いて色が失われた。 新刊を紹介したい。 著者の鈴木敏子(すずき・としこ)さんは、大正11年(1922)2月秋田県生れ、今年94歳となられた。二男三女を出産し育てられ、みなご健在である。 そのご兄弟のうちの三女の手塚節子さんが、お母さまが大学ノートに子供や孫たちのためにと書きしるしたものを「好日」として出版されたのが本歌集である。 ご家族に配るだけのものとして少部数を製作し、この8月10日のご家族がお母さまの元にあつまる日にお母さまをはじめ兄弟姉妹に配られたのだった。 昭和15年(1940)に18歳で結婚、夫(正義)の勤務地の満州に渡り、昭和19年(1944)まで戦時下を満州で暮らす。そのときのことを「納金口子に七家族移動。国境の辺鄙な処で家は見えず一面雑木林。川には魚おり、豆腐屋が一軒あり、酒保なし。時々魚の配給あり。」と略歴に記す。また、こんな記述もある。「式の朝 一束の青葉に歌を詠み添えて隊長呉れる。返歌なしを悔いる。」終戦の一年前に帰国。短歌は昭和19年(1940)の帰国の日7月27日からのものが収録されている。 芍薬の自生す里に四月住み康暎、譲子連れ帰国す (康暎 生後一年二ヶ月、譲子 三歳) 帰国後はご主人の生家(江戸、安政年間に建てられた家)に住み、先祖から残された田畑を耕作し、今日まで生きて来られたのである。昭和60年に夫・正義が脳血栓のために倒れ、介護の生活となる。平成5年(1993)に夫が亡くなり、その後も田畑を守って今日に到っている。 鈴木敏子さんは、帰国から今日までのことを思い出しつつ、それを「思い出」として大学ノートに折にふれては書きしるしたのだった。時間の経過は前後するが、まるで眼前の出来事のように詠われている。その記憶力たるや素晴らしいと思う。 こうして短歌として残さなかったら流れ去っていってしまう時を、書きとめることによって、その時が形になったということ、それが子どもたちや孫たちに渡されていく、そのことがとても意義深いものだとわたしは思う。詩へ向き合う心は、彼女の人生を改めて形づくったのである。それがなんとも素敵なことに思えるのだ。 人生を思い起こし、短歌によって自身の人生をふたたび刻んでいくということ、そこには密度の濃い時間が流れたと思う。 いくつかの短歌を紹介したい。 洋々の大河に瞠りて立ちたりきこれが友との永訣となり 親と子が離れぬように紐を出し子の胴を結い吾が腰に結ぶ 家まで二里山道に乗り物何もなし迎え頼むの電報を打つ 悔い残さじと吾看取りたる夫逝きし後悔い残れり 梅雨明けの今朝の裏山すがすがし遠近に聞くかなかなの声 我が手にて産湯つかいし孫たちの学生となり吾が背丈越す お盆帰省の五人の子らに恙なし酒酌みて村の昔を語る 機にかけ布織りしとう遠き日を思わせて野に苧麻芽吹く 早苗田に白鷺一羽凜と立ち足高く上げ歩みはじめぬ 嫁迎え今年は門に鯉幟高々游ぐ山本さん家 川に入り釣り糸垂るる数人を車窓より見て敬老会に行く 正月に来たる孫らはスキーヤーでかいスキー靴玄関を占む 草を抜く日暮方を拡声器に「近くに熊が出た注意」と響く 道の辺に蕨探してもとおれば藪にここだく通草咲きおり 古賀メロディー「丘を越えて」をマンドリンに映像見終えて尚余韻に浸る 高三宏子の友五人来てよく笑う声に草引く吾もほほ笑む 吾が畑の大根の葉を食い行きし羚羊思う雪降る夜は 巡り来し阪神大震災日に思う混む電話に娘さがししを クニマスの幻影を追いし七十年山梨県西湖に生息のニュース 立ち日には亡夫好みし甘海老を供えて涙す吾も老いたり 盆過し婚家に帰る娘らの車見えなくなるまで門に立つ 皆で刈りし道端の草日の差して小さな九軒部落一杯に匂う 突然の帰国、終戦。何もかも初めてのことばかりでしたが、親子四人一緒だと何が無くてもやっていけると夫の生家で生活を始めました。腰まで浸かる水田で米を作りましたが、米はあってもお金の必要なことばかりで、主人は職に就き、私が田畑を耕作し、こどもたちはそれぞれ元気に育ちました。乳不足で山羊を飼い山羊乳を四人目五人目に呑ませました。 乳牛を飼育して牛乳を出荷。サイレージ作りは近所のお母さん方が頼みでした。夫もこどもたちもよく手伝ってくれて飼い続けることが出来ました。牛を手放す時は泣けて泣けて困りました。 何事も健康だから続けられ、家族や色々な人たちに支えていただいたからこそ続けられたと感謝申し上げております。 今は水田を一年休耕して耕地整理・土地交換を行い、区画に農道を一本通し、広い田んぼに機械が入りやすくなり、作業しやすくなりました。今も続く、家族が集まる夏のお盆を何よりも楽しみに待っております。 「あとがき」である。 戦後を東北地方の秋田県の村落で田畑を耕し牛を育てて生活をささえ、今日なおも一人でその地で働いている鈴木敏子さんである。 一冊の大学ノートから、歌集『好日』という立派な本になったことを、鈴木敏子さんは喜んで「わたしの歌ではないみたい」と何度も何度も繰り返し読まれたということ。 装幀は和兎さん。 扉。 「毎年夏にみなで母の元に集まるのですが、今年は特別なものとなりました」と手塚節子さん。出来上りを「母らしいものとなった」と喜んで下さったのだった。 「母はとても喜んで、残った本はわたしが死んだときに親しい人に渡して欲しいと言ってるんですよ」ということ。 若き日に幼を連れて年毎に植えし杉山見上げて立てり いったいどのくらいの時間が流れたのだろうと思うと、その遥けさに頭がくらくらしてくる。 鈴木敏子さま、ますますのご健勝をお祈り申し上げております。 一週間はあっという間に終ってしまう。 もう週末である。 ついこの間、皆さま、よき週末をって書いてような気がするなあ。 この週末、大きい台風が近づいているようだし、 くれぐれもお気をつけくださいませ。 いくらわたしには丹田パワーがあると言ったって、天変地異にはかないっこない。 吹き飛ばされないように気をつけようっと。
by fragie777
| 2016-08-26 20:26
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