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8月24日(水) 綿柎開(わたのはなしべひらく) 旧暦7月22日
仙川の街。 この商店街をまっすぐ行くと甲州街道にぶつかる。 夏風邪が抜けたと思っていたのだが、今日の午後当りからまだ喉がいたくなりだした。 油断大敵である。 早めに帰ってゆっくりしよう。 「俳壇」9月号の「本の庭」で堀本裕樹さんが、高柳克弘句集『寒林』について書かれている。紹介したい。 「鷹」編集長・髙柳克弘の第2句集『寒林』には、二十代後半から三十代にかけての308句が収録されている。 枯蓮や塔いくつ消え人類史 歴史の終り記す者なし野火走る 神つかふことば知りたし石蕗の花 大きな詠みぶりの句を挙げてみたが、一句目は塔の消滅に焦点を当てて、人類史の推移を捉えている。「枯蓮」は単なる見立てではなく、有為無常の象徴的季語として配されている。二句目は、「歴史の終り記す者なし」という言い切りと、「野火走る」という人為的でありながら原始性を孕んだ炎とが響き合う。三句目は古代への憧れなのか、「神のつかふことば知りたし」ち率直な希求が表されている。神の言葉を翻訳して小さな声を発しそうな「石蕗の花」が下五に置かれ、その黄色に神のユートピアの断片が見て取れる。 霧の来ること知つてゐる睫かな 名乗らぬ者扉を叩く炎暑かな 雪降るや巨大画面の歌姫に 大きな詠みぶりの他にも、様々な色合いの作品が本句集には観られるが、霧の句は、睫の本能的な察知力の発見がある。炎暑の句は、何者ともわからぬ訪問者の不気味さがあり、それが象徴性を帯びて読者の胸を叩く。雪の句は都会の一光景から、現代の寒々しさやもの悲しさが滲みだしている。 句集『寒林』は、髙柳克弘さんの作家としての計り知れなさを思わせる句集である。 彼はわたしたちが見つめるもう少し先を見て(考えて)、俳句をつくっている、ふっとそんな風に思うことがある。 やややっ、 これは。 「こどくポケモン」で、この「カラカラ」は悲しい物語を背負っている。 死に別れた母親の頭蓋骨を被り、時に思い出して泣き出す。泣き声は骨の中で響いてもの悲しいメロディになるという。骨をかぶっているので本当の顔を見た者は誰もいない。 進化すると「ガラガラ」となり、こちらも頭蓋骨を被っている。 「カラカラ」を見つめていると可愛いその顔が推し量れるような気もするのだが、頭蓋骨を脱ぐことがないというのが、切ないでしょう。 母親の頭蓋骨を被っているという、奇想天外ともいうべき発想がわたしを驚かす。 こんな風にそれぞれのポケモンに物語がある。 実は「ポケモン」全部が、わたしの指を動かすとくるりとひとまわりして、タッチすると可愛い動作をして動くということに昨夜気づいた。 あまりにも可愛いのでわたしが捕獲したポケモン全部を動かして遊んでしまった。 ポケモンgoのポケモンたちがいったいどのくらいの数がいるのか、ちょっとまだ見えないのだが、わたしの場合、ポケモン図鑑の147番に位置する「ミニリュウ」までは、開くことができた。しかし147匹を捕まえたわけではない。つかまえたのはいまのところ79匹。半分ちょっというところだ。捕まえたといっても、この中には進化させたものや、卵から孵化させたものもある。 ポケモンgo と「編集日記」といったい何の関わりがあるのかって、 いやあ、 ないっす。 愚かなヤツって思ってくださっても結構よ。。。
by fragie777
| 2016-08-24 19:28
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Comments(2)
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