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8月12日(金) 寒蝉鳴(ひぐらしなく) 旧暦7月10日
わたしの生活の中で、髪を切るということがどうもおなざりになってしまう。 いい加減伸び放題だった髪を今日は切ることにした。 それも先日友人に会って、「髪をカットしたの」と言われて、(おお、そうだ、髪を切るという行為をすっかり失念していた)ということで昨日大急ぎで予約をいれたのだった。 いつもの美容室に行き、いつものように切って貰った。 女前があがったかというと、そうでもない。 しかし首筋のあたりがさっぱりし、残暑厳しき折、まあ、いいんじゃないの。 わが愛猫たちは、髪を切っても切らなくてもわたしを愛おしそうに見上げることは間違いない。 しかし、わが美容師さんは、どうしてわたしがボサノバやカントリーウエスタンやシャンソンやジャズが好きだって思っているんだろう。 今日はカントリー調のゆっくりした音楽がかかっていた。 わたしはそれらの音楽はあんまり好きじゃないのだ。(ボブ・ディランや、パトリシア・カースは別だけど) どっちかというとソウルやロックの方が(全然詳しくないけど)好きなのだ。 アコースティックギターでギャンギャン激しく演奏するヤツなんかグッとくる。 ラップも嫌いじゃない。 美容師さんは音楽(とくに洋楽)に超詳しいらしいんだけど、そんなこと言ったら弾丸のごとく話しが展開するだろうから絶対言わない。 多分彼は、わたしがきっと好きだろうという音楽をかけていると思っているけれど、わたしの心を鷲づかみにした音楽は一度もない。 音が降臨するっていうことが、ごくたまにある。 ピーター・バラカンが朝の音楽番組をやっていて曲を紹介しているときは、そういう体験を何度か持った。 いまは音楽を聴かない日々を送っている。 (先日、モーツァルトのピアノソナタを聴いたのだけど、全然ダメだった。奏者がよくないのか、わたしの耳がダメなのか、わたしの心がダメなのか、よく分からん、モーツァルトは好きなんだけど。) 今日は季語チェックを頑張った。 残りの俳句が一万句を切った。 この調子で頑張る。 今日は髙柳克弘著『芭蕉の一句』より、8月12日のものを紹介したい。 蜘(くも)何と音(ね)をなにと鳴く秋の風 『俳諧向之岡』 秋風に吹かれて頼りなく揺れている蜘蛛よ、おまえが秋の寂しさを嘆くのだとしたら、何と鳴くのだ、と問いかけた句。蜘蛛が鳴くという発想は、『枕草子』の一節に、「蓑虫、いとあはれなり。……ちちよ、ちちよとはかなげに鳴く、いみじうあはれなり」とあることに拠る。ともに木からぶらさがるという共通点があるが、無論実際には蓑虫も蜘蛛も鳴かない。秋の寂しさを共有しようと、鳴かないものの鳴き声を聞こうとすることで、より寂しさが深まる。一種の禅問答ともいえ、たとえばアニミズム的な一茶の句とは趣が異なる。季語=秋の風(秋) 本著は2008年の刊行である。もう8年以上も前になるが、つくづくと読み返してみて髙柳克弘さんの力業を思う。365日を濃密に芭蕉に向き合っていい仕事をして貰ったと思う。 今日の坪内稔典さんによる「船団の今日の一句」は、池田澄子句集『思ってます』より。 桑の実を前歯でちょっと噛み故郷 池田澄子 クワノミを「前歯でちょっと噛む」という行為が「故郷」と結びつくところがいい。帰省しているイメージだが、同時に、故郷というのはこのようなものだよ、と伝えてもくれる。先日、私も久しぶりに佐田岬半島へ帰省したが、「前歯でちょっと噛み」という具合だった。今日の句、句集『思ってます』(ふらんす堂)から引いた。 池田さんは都会ッ子だったと思うけど、わたしの故郷・秩父はこんな感じ。 同級生の家など養蚕農家がたくさんあった。 でもわたしが桑の実を噛んだのは、東京にきてから、それも最近のこと。 故郷はそんな風景もあったけれど、わたしは深窓の令嬢だった、というのは嘘で、内気な少女だったのでいつも家にいて(オタクだったのかなあ)本を読んではあらぬことをあれこれと空想ばかりしていた。 明日はその故郷に帰る予定。
by fragie777
| 2016-08-12 19:06
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