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8月9日(火) 長崎原爆忌 旧七夕 旧暦7月7日
スヌーピー語録というのがあるらしい。 スヌーピーとは、私たちもよく知っている漫画に登場した犬のことである。 ビーグル犬で飼い主はチャーリー・ブラウン、犬小屋の中には寝ずに屋根の上にねそべり、星空を見ながら思索する哲学者ならぬ哲学犬である。 スーヌーピーは語る。 羊として12年生きるよりは、ライオンとして一日を生きるがまし。 う~む、そうだろうか。。。 小さいことは美しい。 これは同感。 仕事を楽しむのもいいけど、楽しみ過ぎるのは危険だな。 なんだか胸に突き刺さってくるわあ。 新刊紹介をしたい。 と言っても、すでに多くの方が知っている新刊であり、すでに読んでしまったという人も沢山いると思う。 俳人・池田澄子(いけだ・すみこ)の第6句集である。 句集名は「思ってます」。 ちょっとドキッとするタイトルであり、なかなか意味深である。 春寒の灯を消す思ってます思ってます という句が前の方におかれている。東北大震災を詠んだ一連の句のなかにおかれているにことより、震災の文脈のなかでの言葉であることがわかる。「思ってます思ってます」と二度も繰り返されることによってやや性急な感情に引っ張られるようにして祈り心とともに吐き出された言葉のようだ。 著者の池田さんは、思っているということが何の役にも立たないことを十分分かっている、しかし、「思ってます」と伝えたいのだ。 そして、この「思ってます」は震災という文脈をこえて、あまねく池田さんの外側へと投げかけられている。それは、この句集を手にとるあなたへも、手にとらないあなたへも投げかけられた言葉であり、今は亡き人たちをふくめた親しい人たちのみならず、この地上にあって死にゆく人間すべてへの池田さんの切なるメッセージなのだ。なんのメッセージかと言えば、ただひたすら「思ってます」ということ。 池田澄子らしいのは、「思ってます」と記し「思っています」とは記さないことだ。それは、言葉を軽量化させることによって、相手に負担をかけないという洗練された(とあえて言いたい)心の働きであり、そこには「わたしが勝手におもってるんだから」という潔さがあるのだ。 この「潔さ」が、池田澄子の俳句の文体をつくっているようにわたしには思える。 池田さんの俳句は俳句そのものに「切れ」がある。 口語調で韻文ではない文体であるとどうしても冗長になるのだが、池田さんの俳句は切れがいい。精神の潔さが俳句の文体になっている、わたしはそんな風に読んでしまう。 花冷えの我が身のなせる声と音 アマリリスあしたあたしは雨でも行く ところどころで戦争ときおり夏落葉 とことわに汗はせつなし光るなり 先生が死んでおられた冬麗 嫌(や)だ 膝抱くと背中遥かや去年今年 さっきから仕方ないかと言うハンカチ イエス・キリスト痛かったであろう青葉風 今を音たてず此の世に金魚で居る 鳥帰るあーだこーだと私たち ぼうたんとゆっくり言ってみて日暮 憎らしき昭和懐かし蜜柑に種 伊達巻やずいぶん前から生きていた スリッパが先行きたがる梅の宿 ハチ公も人も人待つ秋のくれ 汁粉乾きし椀の内側うたた荒涼 げんげんや胸襟ひらきすぎぬよう 人間や千代に八千代に急けば汗 籠に蜜柑テレビのテロップに「爆破」 りんどうや息していないだけのこと こんなにも咲いてさざんか散るしかない わが晩年などと気取りてあぁ暑し 『思ってます』は第六句集。『拝復』以後の、二〇一一年から二〇一五年半ば辺りまでの作を纏めた。 二〇一一年三月十一日、東日本大震災、そして未曾有の津波、大丈夫とされていた原発の事故。地球は人間の為のものではなく、人は、地球の一隅に居させてもらっていたのだと思い知らされた。直接には被害を受けていない私、敢えて言えば多くの私たちは、ひたすら人々の無事を祈り心配した。余りの心配と祈りは言葉を受け付けなかった。思いは何の役にも立たなかった。思えば物心付いて以来、当然のことながらいつも何かを思っていた。思うことで行動する場合もあるが、殆どの思いは何処かに届くわけでもない。俳句はモノやコトを描くことで思いをもちらと見せる。が、思いは、何の役にも立たない。 「あとがき」の前半の部分を紹介した。 本句集は、読み始めるとつぎつぎと読み進んで一気に読了してしまう。 沢山の句はここでは紹介しない。 本句集を読む人たちのためにとっておきたい。 装幀は和兎さん。 白い本であるが、赤を思わせるものとなった。 風合いのある用紙に、文字だけのシンプルなデザインである。 それが効果的であるかどうかは、手にとった方の判断だ。 平面は、あえて何も印刷せず。「タイトルが意味を持っている言葉なので、シンプルに」というのが和兎さんの弁。 扉は、見返しと同じ真紅の用紙に白で印刷。 クータバインディング製本である。同じ赤が本を一周しているように見える。 この製本は喉の開きがよくて読みやすい。 背に色が見えるというのがおしゃれでしょう。 この用紙は軽いのがいい。 華やぎを秘めたシンプルな一冊となった。 外側はややクールに、内側は熱く、というのが和兎さんのはからい。 河童忌と聞いてそうだったと思う という一句が収録されているのだが、本句集の発行日7月24日は河童忌である。偶然だったのであるが、そのこともまた、池田さんは喜んで下さったのだった。 少女期ありき蚕の冷えを怖れたる 個人的には「アマリリス」の句がとても好きであるが、この一句、「蚕の冷え」でかつて少女であったわたし自身の遠い肉体が呼び覚まされたような感覚を持った。蚕の冷えが少女の子宮と繋がっているような、ちょっとゾクゾクするような感覚がある。惹かれる一句だ。 清水哲男さんによる「増殖する歳時記」が、終わりを告げた。 とても淋しい。 ふらんす堂刊行の本も沢山紹介をしていただいた。 著者も版元もずいぶん励まされたことである。 何よりも清水さんが撮った写真が素晴らしかった。 ワンショットを自然体で捉えて、押しつけがましくない写真であり、いつも面白かった。 それも見られないと思うと残念である。 清水哲男さま、 そしてほかの執筆者の皆さま、 有難うございました。 長い間、お疲れさまでございました。 心より感謝いたしております。 スヌーピーと言えば、ルーシーというやんちゃな女の子が登場する。 チャーリー・ブラウンの友だちで、おなじくチャーリー・ブラウンの友だちのシュローダーといういつもピアノ(子ども用のピアノ)を引いている男の子に恋をしている。 シュローダーの所に行ってはラブコールをするのだが、てんで受け付けて貰えない。 しかし、ルーシーはそんなことにお構いなく、アタックしつづけるのだ。 で、 驚くべきことに、 このyamaokaは、このルーシーに似ているとかつて言われたのだ。 いったいどこに根拠が、、、とわたしは叫びたいのだが、 なんだか、がさつなところが似ているらしい。 すごく不本意なんだけど、 でもルーシ-は好きだから ま、 いいや。
by fragie777
| 2016-08-09 20:18
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