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8月8日(月) 旧暦7月4日
あでやかで、淋しい。 甲子園の高校野球が始まった。 ふらんす堂は野球好きが多いので、さっきからわたしの目の前で高校野球の話題が飛び交っている。これからますます高校野球熱は昂まっていくことだろう。 また今はオリンピックの真っ只中である。 しかし、わたしはオリンピックも野球もさほど夢中になれない。 スポーツをする人間の身体の筋肉の美しさとかは惚れ惚れすることがあるが、それも全体でみるとどちらかと言えば鍛えすぎでやや奇形に近いそういう肉体ではなくて、筋肉の一瞬の動きの美しさとか弯曲する身体の角度とか、細部の美しさである。 これ以上語っていくとへンなヤツって思われるから、口をつぐむ。 まっ、いろんな鑑賞の仕方があっていいって言うもんよ。 新刊紹介をしたい。 著者の三代寿美代(みしろ・すみよ)さんは、昭和34年(1959)島根県松江市生まれ。昭和56年(1980)より俳誌「鷹」に入会し藤田湘子の指導を受ける。藤田湘子亡き後は、小川軽舟の下で俳句を学び、平成20年(2008)に第27回新葉賞受賞、現在「鷹」同人である。本句集は、昭和56年(1981)より平成27年(2015)の35年間の作品を精選して収録したものであり、小川軽舟主宰が、序文を寄せている。 湯ざめする女の身にもなつてみよ この啖呵の小気味よさ。銭湯の前で長湯の男を待つ女。あるいは湯宿に敷かれた蒲団の傍らで男を待つ女。そうした女の姿に仮託して、「女の身にもなつてみよ」の啖呵はこの世のすべての男どもに向けて切られるのだ。「女の身にもなつてみよ」、思えばこれがこの句集全体の放射するテーマなのである。 女のいじらしさ、男のたよりなさ、この世の理不尽を一身に負って、三代さんはこれからも俳句とともに突き進むのだ。 序文を抜粋した帯文である。この句集のテーマであると、小川主宰が書いているように、これ以上「女の身」に付け足すことがない、と思う。すばらしい序文である。読めばわかるが、季語はことごとくと言っていいほど、人間の生身の体やその心情と関わってくる。 香水瓶並べし程に気まぐれも 東京は闇に飢ゑたり金魚玉 百合手向け事もあらうに嫉妬心 狐火や陶器のやうな女の背 蝌蚪に足もはや私の手に負へぬ 風船のちやほやされて割れにけり 柊の花やいつから泣いてゐた 凍蝶や何も映さぬ男の目 蠛蠓に試されてゐる突き進む 苦労知らずで育った私だが、その後様々な人生経験をし、やがては難病も得て、辛い場面に身を置くことが多々あった。気づけば、読み書きが好きなだけで始めた俳句が、いつしか私の相棒となり、分身となり、生きる力となっていた。(略)。私なりにいくつかの山を越えてきた今が、句集を編む好機かも知れない。「おかげ様」の気持で私の句集を作ることにしたのである。 初学の頃、湘子先生から、女の感情が若々しく生き生きと表現できていると褒めていただき特選をいただいた「香水瓶並べし程に気まぐれも」の句は私の俳句表現の根っこにある。私がどんな状況にあっても、移り変る季節、日常の暮し、音や光、人々の表情等あらゆるものが私に語りかけてくる。その瞬間を季語とともに十七音にしぼりこむ時、私が私であって私でなくなるという不思議な快感となり勢いづいてくる。 「あとがき」の言葉を抜粋した。「難病も得て」とあるように病気との辛い闘いをされている三代寿美代さんである。また本句集を通して読むとわかるように、生活の場においても多くの困難を乗り越えて来られた方らしい。まさに「女の一生」ならぬ「女の半生」のドラマが凝縮されている。 多佳子忌の寝息愛せば愛さるる 家族みなマスクしてをり不器用に 子のやうに夫を寝かせし朧かな 不愉快はさておきラムネ飲み干せり クレヨンになき色が欲し花粉症 いい人をやめる決心風邪をひく 美しく嘘つく男マスカット 白玉や女よく泣きよく笑ふ 蝉時雨我に返れば腹のすく 見かけとは違ふわたくしちんちろりん わが心人参色に欺けり 秋茄子や女朝からよう喋る 木の実独楽退屈すぎて笑ひたり 過ちを犯す熟柿を喰うてをり ソーダ水赤の他人になりませう 大勢もひとりも苦手スヰートピー 枇杷啜り気楽な振りをしてゐたり ゆふがほのこれがひらくとさやうなら 蛇穴に入るやその手を離しなさい 摘みたての苺のやうに笑ひけり 美しき嘘なら赦す金魚玉 熱燗や舌打ちしたいのはこつち 蛇穴を出づ瘦せたがる女たち 赤紫蘇や妻であつたといふ記憶 人類の端くれに我鉦叩 美しくたたむ一人の蒲団かな わが薄き胸潑剌と夏に入る 俳句をとおしてなんともあっぱれな女性が見えてくる。難病を抱えながらもあるいは人生が大変な状況であろうとも、気持のよい開き直り方で前向きに進んでいく、なんとも爽やかだ。決して脳天気なのではない、男女の機微も十分にわかり、人間の暗黒面も了解すみである。その上でのことだ。ペダンティックな気どりの無さもいい。句集名を「縁」と命名したことも、著者の人間への向き合い方を表していると思う。 本句集の装幀は和兎さん。 著者の三代さんは、ピンク色をご希望された。 ピンクというのもこの方らしいかもしれない。 タイトルのみ金箔で。 表紙。華やかなローズ朱とでもいうべき色。 略歴のところに、三代寿美代さんの顔写真が小さくあるが、明るい笑顔の華やかな美しい方である。 過ちを犯す熟柿を喰うてをり なんの過ちを犯すんだろうかは、おおよそは想像つく。だって熟柿だもの。三代さんの俳句は季語の付け方が(という言い方でいいのかな)とても面白い。季語への思いも独特で、あえていえば実存的だ。「蝉時雨」で腹がすく、とか、「赤紫蘇」が示唆するものとか、屈託がなくていい。あるいは大変な人生なのかもしれないが、読者としては面白くて読んでしまう。そして、どこか突き抜けた明るさがあるのも救いだ。 すぐる6日の「船団の今日の一句」は、コダマキョウコ句集『CẢM ƠN』より。 句集『CẢM ƠN』(ふらんす堂)から。まっさかさまに海中に突っ込むのだろうか。平和な風景だ。原爆の日にも若者たちがサーフィンをする、その平和を大事にしたい。 このところ、老書生の日々を楽しんでいる。今日は四国・松山で子規の講座があり、終了後に受講生とビールを飲む。これまた平和そのものの一日。 おなじく今日の「船団の今日の一句」は、池田澄子句集『思ってます』より。 佳い人ほど早く死ぬんですなんて素麺 池田澄子 新刊句集『思ってます』(ふらんす堂)から。素麺をすする音が聞こえる。命の音みたい。 船団の会の初期からの会員だった本村弘一が7月23日に他界した。なんども癌を病み、一度は遺句集を編んだこともある。でも、死ぬことはなく、句会などに出られるようになっていたが、ここしばらく病状が悪化していた。彼は1947年生まれ。千葉県流山市に住んだ。 今週は11日からふらんす堂は夏期休暇に入る。 ということで、ちょっと今は集中して仕事をしたい。 旅もしたいと思うが、何しろ暑い。 実はね、 フランスのエクスアンプロヴァンスに別荘があるんだけど、 時間がなくてちっとも行けない。 なあんて、 嘘。 こんな風に言ってみたいし、そこに行ってもみたい。 永遠の夢だなあ。 いつか、そこに、って思いながら汗をかいて仕事をしているyamaokaである。 ![]()
by fragie777
| 2016-08-08 20:20
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