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8月5日(金) 旧暦7月3日
ご近所に咲いていた花。 ハナトラノオですって。(kuuさま、ありがとうございます) 今日のおやつは、セブンイレブンのアイスクリームをみんなに奢ることにした。 お隣のお隣がセブンイレブンということでまことに便利である。 Pさんと文己さんの二人が買いに行き、それぞれの好みのものを買って戻ってきた。 「外は死ぬような暑さです!」とPさん。 そうなのか。。。 しかし、夏はあと二日。 明後日はなんと立秋である。 そう思いながら、わたしは目の前のアイスキャンディーをガブリとやった。 新刊句集を紹介したい。 著者の前田地子(まえだ・くにこ)さんは、1940年満州新京生まれ、1946年に引揚げて来られた満州引揚者である。お父上は戦犯者として中国に抑留され、その抑留中の父上に会うためにご家族とともに中国の撫順収容所へ渡航をされている。そのような引揚者としての過酷な体験を記した著書『飛びゆく雲』(揺籃社)を上梓されている方だ。俳句は1993年三橋敏雄の句会にさそわれたのがきっかけとなり、三橋敏雄が亡くなるまで指導を受け、敏雄亡きあとは、「澤」主宰の小澤實の指導を受けるようになり現在に至っている。本句集は、全体を二つにわけ、Ⅰは三橋敏雄に師事したときの作品、Ⅱは「澤」に収録されたものより自選したものである。タイトルの「跫音」は、集中の「花屑や馬の跫音近づきぬ」に拠る。本句集に、小澤實主宰が帯文を、押野裕さんが跋文を寄せている。 わが雛を盗(と)る纏足女(てんそくじょ)つどひ来て 恐ろしい、胸苦しい。声が出るような悪夢である。この世のこととわ思われない。しかし、これは敗戦後の旧満州で地子さんが、実際に経験したこと。もし地子さんが、記憶しなければ、無かったことになってしまう。そこに地子さんが、どうしても書きつけなければならない、一巻にまとめなければならない理由があった。このように切実な俳句が、他にいったいどこにあろう。歴史をものがたる貴重な記録であると同時に、人間を描いた俳句、その極限ともいうべき句群である。 小澤主宰の帯文をそのまま紹介した。ここに記されているように、敗戦後の満州の体験を俳句で記した、というよりも刻印した句集である。散文ではない、きわめて短い詩型である俳句であっても、いや俳句であるがゆえにいっそうリアリティをもって迫ってくるものがある。短い詩が弾丸のごとく胸に突き刺さってくるようだ。この満州体験を作品化したものは「大地」の章にまとめられている。 跋文を寄せられた押野裕さんはこのように書く。 「大地」の章は、戦中戦後の満州が舞台となっている。地子さんは満州で生まれ、幼少の頃、戦争を体験された。その体験が地子さんの成長や人生に与えた影響は計り知れない。同じような体験をされた方は他にもいるのだろうが、体験を相対化し、意味することを認識するには、記憶だけではなく、何かの媒体が必要である。地子さんにとって俳句は、そのような媒体の一つとなっていった。 にんにくの束干す屋根や泥の家 白光帯び弾跳ぬる壁冴返る 縫目の虱あぶればパチと火に落つる 太氷柱露兵叫びて銃を突く 戦時中の外地という、経験しなくては分からない状況を、何となく実感できる気にさせられるのは、季語の力によるものだろう。季語があることによって、当時の戦闘や日常生活の空気が伝わるのである。それは私たちの想像する空気と完全には一致していないのだろうが、季語による連想は、読み手にも一定の現実感を与えている。 背なの児の死しても歩く草朧 隠るるやわれ失禁の高粱畑 銀漢や膝抱き眠る無蓋貨車 引き揚げ時の様子も厳しい。しかし、そのような人間の営為も、〈草朧〉〈銀漢〉という季節の自然の中にある。広大な高粱畑はまさに満州の風景。その中の一点に当時の地子さんがいる。 (略) 恋人もわれも失せたる桜かな 神発ちぬ美ヶ原風強き 拝む掌の中の空気や桃の花 笹粽ほどけば飯(いい)のうすみどり 無月なりタルト生地捏ね寝かしおく 凩一号富士に入日のかがやける 三橋敏雄没後、地子さんは二〇〇二年から「澤」に入会し、小澤實の指導を受けている。二人目の師である小澤からは、作句の要領として、「物をよく見て、見えるように作る」ことを学んだそうだ。本句集を通読すれば、その指導を受けた地子さんが、俳句における描写の焦点の絞り方と省略の方法を学んだことが分かる。しかし、その学びによって得た成果は、それにとどまらないのではないか。右の句などに明らかなように、地子さんの句には、見えるものを描きつつ、見えるものの背後にある詩情が表れている。それは二人の師に学びながら、自らの境涯を対象化し つつ、句境を深めてきたからこそ生まれたものだ。 著者に心を添わせ、力の籠もった跋文である。 前田地子さんは、戦後10年経ってやっと中国撫順の収容所で父上に面会することができた。 北果の捕虜収容所ダリア咲く 刑に服す父よ新月歪みたる 多くを語らない俳句であるからこそ、父の運命の非情さを見据える娘の心情が浮かび上がってくる。わたしが思うのは、これらの俳句を前田地子さんは、回想しながら書いたということだ。眼前の景ではなく記憶のなかでもう一度組み立てられた景であるのだが、その立ち上がった景のあまりの鮮明さに驚く。経験の過酷さが深いゆえ、脳裏に刻みつけられてしまっているのか。 小澤先生に師事し俳句の基本からご指導いただいて十余年の歳月が流れました。先生は、浅学な私を懐深く自由にゆっくり学ばせてくださいました。そして、「物をよく見ること、見えるように作ること」を教わりました。お陰様で句にリアリティーが加わったのではないかと思っています。(略)今回、自選していて気付いたのは、小澤先生の選が個を大切にしてくださっていたことです。澤誌に収録された句ならどれも安心して選べるということの有難さを感じました。小澤先生のご指導のもとに、七十五年間非力ながらもかろうじて生きてきた証を、俳句の力を借りて表現しました。戦後七十年の節目に纏めることが出来幸いでございます。 「あとがき」の言葉である。 ほかに、 目裏に亡き父歩く大枯野 身の内に金鈴一つ春の闇 敏雄忌の逆光の富士愛しめり 大地より賜るわが名雪割草 着ぶくれて満洲豚に連なりぬ 引揚者百五万人収容所寒 満月へ走る満鉄火の匂ひ 東京廃墟百日紅のみ輝ける 死蟬の片羽懸かる蟬の穴 鶏頭のいただきに触れ帰心あり 杉の樹にもたれむささび待ちにけり 缶珈琲飲み冬銀河あふれだす 浅間山縦に襞あり襞に雪 春の雨鉄階段の裏も濡れ 好きかときかれ蛇体質とこたふ 戸袋に入りゆく蛇や尾を見せて 寒牡丹抱かるるときは死ぬるとき 熟柿吸ふ己がくちびるまきこみて 軒氷柱太く鋭し受胎せる なまはげの泣く児をさらに泣かしけり 本句集の美しい装画は、前田地子さんご本人が描かれたものである。 ご本人にとっては記念すべき一冊となった。 セザンヌの林檎を一個偸(ぬす)みけり ご自身の体験を投影させた重たい句が多い中、前半におかれたこの一句。なぜか心惹かれる一句だ。林檎の画家と呼ばれ、「林檎ひとつでパリを驚かせたい」としばしば言っていたというセザンヌである。印象派を代表する画家だ。好きかと言われれば、わたしは総じて印象派はあまり好きではないのだが、セザンヌの林檎は好きである。前田さんはそのセザンヌの画家の魂の象徴でもあるような林檎を一つ偸んだという。絵を描く前田さんであるからこその一句だ。「個性とは方法である」とはセザンヌの謂だったと思う。セザンヌの林檎の絵をくいいるように眺めていたら、セザンヌの隠された手法が林檎のなかに啓示のごとく垣間見えたのかもしれない。 わが雛を盗(と)る纏足女(てんそくじょ)つどひ来て 前田地子 この句が収められた句集『跫音』には小澤實の帯文がついていて、そこでこの句の成立事情が明かされているのだが、これは幻想句ではなく、敗戦後の旧満州で作者が実際に体験したことなのだという。 いきなりパラテクスト(この場合は帯文)に言及して読解の根拠とするのも、あまり望ましい対応ではないのかもしれないのだが、この句は今のところ俳壇周知の有名句といったものにはまだなっていないことでもあり、基礎的な情報としては必要だろう。 纏足された中国人女性は、普通の歩行は困難となる。よちよち歩きで迫ってきたのではないか。「纏足女」という詰めた呼び方が妖怪の類のようでもあり、それが大勢集まって、語り手の深い思い入れのこもった品なのであろう雛人形を奪いにくる。一方的な上にあまりにも怪異な災厄であり、「纏足女」たちに人格的に共鳴し得る余地はほとんどない。 ただし財貨としてはさほどの価値があるとは思えない雛人形に興味を示している点では「纏足女」たちは女性性をあらわにしている。そしてそのことと纏足の異形や悪意とのアンバランスさが、なおのことおぞましさをそそる。 纏足は先天的な奇形ではない。雛人形とはおよそ異なる生身の人体改変であるとはいえ、いわば女身であることを際立たせるための、文化的洗練のきわみなのである。敗戦というカタストロフ(と限定しなくても必ずしもよいのだが)の中でぶつかり来る、異文化を体現する「女」たち。 この満州からの引揚げの苦労話としては、およそ読者の想定外である鮮烈なイメージは、読み下した途端に、象徴へと凝固する。その背後に、心が破壊され、体が変形する広大な地獄が広がるのである。 句集『跫音』(2016.7 ふらんす堂)所収。 「纏足」とは本当に惨いものだ。 わたしが「纏足」を知ったのは、たしかパール・バックの『大地』を読んだときが最初だったと思う。まだ少女だったので、ヒエー、こんなひどいことをされたのかと驚き怪しんだ。しかし、わたしの友人で、実際に纏足をされていた女性に会ったことがあると言っていた友人がいるからそう大昔のことではなないのだ。 ええっと、 余談ながら、 わたしの足は、 どちらかというと、 のろまの小足 であります。
by fragie777
| 2016-08-05 20:57
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Comments(4)
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kuu
at 2016-08-05 21:30
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お花はハナトラノオかと思います。
ふらんす堂のみなさま、暑さに負けずにお過ごしください。
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Daxiongmao
at 2016-08-05 21:32
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yamaokaさま
今日の暑さったら! アイスクリーム日和でしたね〜。 実は私も、纏足の女性に会ったことがあるんですよ。 もちろん 大変な高齢でした。 きちんと整えた身なり、よちよち歩く様、 別珍の布靴にきっちり包まれた小さな三角形の足。 今でも忘れられません。 このブログで、纏足という言葉に出会えて、びっくりです!
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fragie777 at 2016-08-05 23:15
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fragie777 at 2016-08-05 23:17
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