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7月30日(土) 露伴忌 谷崎忌 旧暦6月27日
歩いて仕事場へ。 この炎天下によく歩くねって、ふふふふ、それはね、 ポケモンgo をやることが目的。 じゃんじゃん歩いて、ポケモンたちを沢山ゲットした。 おかけでレベルが3つもあがった。 猛暑の道も楽しいわよ。 (まわりからはくれぐれも注意するようにって言われてる、ただでさえ粗忽者なので、、、) 仙川の商店街にさしかかったところで、スタッフの緑さんとばったり出くわした。 緑さんはお買い物をしてこれから家に帰るところらしい。 「あら、こんにちは、わたし、ポケモンいっぱいとっちゃった!」と言うと、 「頑張ってくださーい」って緑さん。 (きっと呆れてたと思うけど、まっいいや) 青空に映えて輝いていた白さるすべり。 仕事場では、たまっていた郵便物の整理といただいた本への御礼などを書く。 いろいろと俳誌などに目を通し、ふらんす堂刊行の本の評などをチェック。 詩人の小笠原鳥類さんがおくってくださった「GANYMEDE(ガニメデ)」8月号で、鳥類さんが、ふらんす堂より刊行された詩集について書いておられる。 手塚敦史詩集『1981』と、利岡正人詩集『危うい夢』である。 抜粋して紹介したい。(全文は紹介するわけにいかないので、読みたい方はぜひ「GANYMEDE」を購入してください。抜粋なので十分な紹介ではない) 手塚敦史句集「1981』深い感銘となるテクニック 手塚敦史の新しい詩集『1981』(ふらんす堂2016)を読もうとして、緑色の硬い表紙を開いても、何が書かれてあるのかよくわからなくて、詩集の題名もよくわからなくて、全然うまく読めなかったのが、たぶんよいことだ。例えば、最初の詩「ひかりは、カスタネット」を最初から途中まで引用すると、 思いだす人々がいる それは埃が積もっており、使うのに一瞬 ためらいがある 物と似て、どこか時間の彼方の 生暖かい風を運んで来る 静電気は眠り、気配は失せ、合図は伝わらず 痺れを切らし いたるところに窓の音寄せ 思い出す人々……と言われて、人々が昔をなつかしく思い出しているのだろうか、あるいは、昔の人々をなつかしく思い出しているのだろうか、と思うがどうも、はっきりしない。(略) 最初から最後まで読んでも、何が書かれてあったのかあまりはっきりしないし、もっと読み取るべきこと・言うべきことがあるのかもしれないが、とても小さな細かいものたちが懐かしいものたちであるような、とても、良いものを読んだような気分になる。次に「家」という詩を最初から最後まで引用すると 底にある炎天下 底にある祝祭 必要とした手のひらにのる 小高い丘に 待たせているカランコエの鉢植え 毎晩ともる家の窓の あたらしくなったみずいろのカーテン 螢がもどる葉に枝に 紙芝居をはじめる両手に目をやったというお話 これは、カランコエの鉢植えに聞かせてあげる終わりのないお話 必要とした……と書かれて、よくわからなくなっていく。カランコエの鉢植えが家にあるのだろう。蛍がもどる葉に枝に、という一行は、葉に枝に蛍がもどる。という文を倒置したものなんだろうか。あるいはそうでもなくて、葉と枝と両手に目をやった、ということなのか。わからない部分がいつまでも残るが、カランコエという植物名を二度繰り返し、お話しという語が最後の二行の最後に繰り返され、テクニックが感銘となる。甘やかになりすぎない厳しさもある。この詩人の深い感銘となるテクニックからは学ぶべきものが多い。 利岡正人詩集『危うき夢』、ドロドロに腐った闇 利岡正人の新しい詩集『危うい夢』(ふらんす堂 2016)も奇妙な詩が並んでいて、表紙にはトカゲのような生きものの骨格と、その骨格の背中の部分に乗っているカエルのような生きものがいた。大昔、大きな恐竜の、組み立てられた化石の骨格が、崩れてしまう、映画が、あった……(略)「沈思」という詩を最初から最後まで引用すると もしも、原生林を進んでいく 深い眠りが可能なのだとしたら もはや後戻りはできない 足跡は深く埋もれる 誰の姿も反映させずに 鬱蒼とした木々から降り積もる 朽ち葉に覆われて ずっと横たわっていられるのに 道を失った 顔の喜びとともに 後戻りもできないくらい、どこまでもどこまでも深く深く眠り、そして夢を見るのがよいなあ、という。誰の姿も反映させない。ということは、詩の作者の姿を詩を読んでも想像することができない。ということであるだろう(か)。作者はいなくなって、どこからどのようにやって来たのか全くわからない。なんだかよくわからない詩が残される。それは原生林のように暗くて、読むことが危険で、詩集の題名も『危うい夢』である。最後の二行に登場する、道を失った顔、というのは、ぐちゃぐちゃに腐乱して、どこに目がどこに鼻がどこに口がどこに耳があるのかもわからない。見ていて迷ってしまう顔、であるだろう。そういうものがおもしろくて喜ばしいのだ、ということが言われている。(のだろうか)、人を死後に誘うような恐ろしさがある詩集であった。 手塚敦史さんの『1981』についてで、「とても小さな細かいものたちが懐かしいものたちであるような、とても、良いものを読んだような気分になる。」の一節にはわたしも共感する。選び抜かれた言葉による細部のきらめきに満ちたどこか懐かしい詩、そんか感じが手塚さんの詩にはある。 「ふらんす堂通信149」が出来上がった。 昨日発送したので、はやければ明日には届くと思う。 第7回田中裕明賞の特集もある。 今日はブログを早めに書いてしまってね、これからいろんなところに寄りながら歩いて帰るの。 モンスターたちがいっぱいいるところで少し遊んで、買い物をしたり友人のところに立ち寄ったり、家まで20分から30分くらいあるから、ポケモンをたくさん捕まえると思う。 さらに、レベルアップだあ。 お馬鹿なヤツって笑わないでよ。 さ、ポケモン狩りに行くかっ。。。。
by fragie777
| 2016-07-30 18:09
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