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7月29日(金) 旧暦6月26日
ポケモンgo? いや、そんなはずはない。 この時はまだ日本の地上には、あのモンスターたちは蔓延していなかったはずだ。 わたしも実は始めたの。ポケモンgoを。 一番最初にゲットしたのが、ガウディ。 わたしの机のすぐ傍にいたのである。 珍しいんだって。よくわかんないけど。。。。。 今日も新刊紹介をしたい。 著者の岸孝信(きし・たかのぶ)さんは、昭和23年(1948)兵庫県西宮市生まれ。平成12年(2000)「鷹」入会、平成16年(2004)「鷹」同人、平成18年(2006)「鷹新葉賞」受賞、平成25年「鷹俳句賞」を受賞。本句集は藤田湘子選、小川軽舟選を経たこれまでの作品を精選した第一句集となる。小川軽舟主宰が序文を寄せている。 俳句の作り方に写生と反写生があると考えてみよう。 写生はものを見て作る。ものを見ただけでは俳句にならないから、見たものに言葉を引き寄せる。うまく言葉を引き寄せられれば、その言葉を通して読者もものを見ることができる。そうして写生は成就するのである。 反写生はものではなく言葉から俳句を作る。言葉の組み合わせによって読者に何かを見せる。俳句の言葉を通してものを見せるという点では写生も反写生も同じだが、俳句になるまでの経路が違う。 岸さんの俳句の本質は、ここで言うところの反写生だと私は思っている。 ねんねこや鈍間(のろま)色なる佐渡の海 例えばこの句の場合、創作の動機になったのは「鈍間色」という言葉だったと考えてよかろう。のろまに色などあるのか?――あるのである︒江戸の寛文年間に野呂松勘兵衛が使い始めた鈍間人形は、人形浄瑠璃の間に狂言を演じた道化人形で、今日私たちが人をあざけるのろまという言葉もこれに由来する。顔をべったり青黒く塗っているのが特徴で、鈍間色というのはその顔の色のこと。佐渡島には今も古い鈍間人形が残っているそうだ。 しかし、こうした知識をいくら積み重ねても俳句にはならない。その言葉からどんな映像を読者の脳裏に投影するか。そこに岸さんの俳句の本領がある。鈍間色を佐渡の冬の海の色だと見定め、ねんねこ半纏を着込んで赤ん坊をおぶった女を配したことで、読者の前に鮮明な情景が浮かびあがる。鈍間色の海は今にも雪の降り出しそうな厚い曇天の下でうねっているのではないか。民衆の歴史を背負った風土の厚みまで映像化されているようだ。 新墓にジタン・カポラル冬木の芽 コルベ忌や涼蔭(すずかげ)に置く麵麭と水 言葉が創作の動機になる。それは固有名詞でも同じことである。ジタン・カポラルはフランスの煙草。青い箱に紫煙に踊るジプシーの女がデザインされている。銘が刻まれたばかりの真新しい墓に、故人が好んだと思われるこの煙草が一箱供えられている。あとは季語を配しただけだが、読者の頭に浮かぶ映像はやはり鮮やかだ。 コルベ神父はアウシュビッツで餓死刑に選ばれた男の身代わりを自ら申し出て地下牢で死んだ。コルベが死んだ八月十四日、涼しげな木蔭に麵麭と水が置かれている。それだけでもう何の説明も要らない。 こうした言葉への執着は、岸さんがドイツ語、ドイツ文学を専攻する大学の研究者、教育者であることと無関係ではあるまい。しかし、岸さんの俳句はその学識をひけらかすような衒学的なものではない。知識の足りない私でも、ちょっと辞書を引く手間を惜しまなければ、岸さんが周到に用意した情景にたちまち入っていける。 小川軽舟主宰の序文である。「写生」「反写生」のクダリを面白く読んだ。「反写生」というとこらから本句集を改めて読んでいくと、その人間が抱えている言葉の時空が見えてくる。まず言葉ありきなのである。その言葉も岸孝信という人間の脳内にある言葉の海(そこにはさまざまなる記憶に塗り込められたおびただしき言葉や季語たちなどでひしめき合っている)より取り出された言葉たちだ。その言葉たちを俳句の定型にはめ込みひとつの映像を屹立させる。そこに作者の手腕がある。立ち上がった景は、これまで誰も詠んで来なかったものだ。 (「反写生」という小川軽舟さんの思いきった言い方に、いますこし心が驚いている。) 小川軽舟主宰は、序文でさらに「岸さんがほんとうに岸さんらしい俳句を作るようになったのは、湘子が亡くなり、私が選者を継いでからではなかったろうか。」と書き、より意欲的な俳句を作るようになった作者の句をあげて岸孝信の俳句の魅力を示している。 雪間草呪禁(じゅごん)のごとく湖鳴れり 松の花父より歌稿届きけり 鱈船に海盛りあがる日の出かな マウンドに青空だけの子規忌かな 幕引がすたたたたたと春の暮 猿石に摩羅うつそりと春の雨 岸孝信さんは、「あとがき」でこう書く。 自分で言うのもなんだが、若いころは、人並み以上の嗅覚をもっていた。風に紛れる花の匂いや、ソースに隠された香味料などすぐ嗅ぎわけられたし、何より、人の真贋を判断するに、自分の鼻だけを頼りに、ほぼ正否を誤らなかった。その生来の嗅覚のようなものが、湘子先生のもとにわたくしを導き、後には軽舟主宰に引き合わせてくれたのである。 そんな自慢の鼻が、おそらくは酷い花粉症のせいで、五十代の末には、ほとんど利かなくなってしまった。大切なひとを、ぽつりぽつりと失っていく時期とも重なって、こうして、人はすこしずつ虚に帰って行くのか、と自然(じねん)に得心したのも意外であった。 そして、まだ物の匂いが分かっていた頃、兎に角好きだったのが、「ジタン・カポラル」である。ある人に教えてもらったフランス煙草だが、あのインディゴブルーの美しい箱から徐に取りだし、燻らした薫りが――今はもう他人事のように間遠くなった記憶の片々を燦めかせつつ――なお、まざまざと鼻腔の奥に残っている。行く末、真闇に消えて行くばかりの拙い句をおさめた句集だが、せめてもの記念にその名前を拝借したい、と考えたわけである。 「人の真贋を判断するに、自分の鼻だけを頼りに、」の箇所でどきりとした。一度お目にかかっているが、マズイな。。。しかし、いまやその嗅覚も「利かなくなった」というところでホッとした。岸さん、人間の真贋を鼻でかぎ分けられたとは、カッコいい。目でもなく耳でもなく鼻というところに、わかるような気がする。(わたしの鼻はどうだろうか。) 集名の「ジタン・カポラル」とはフランスの煙草の名前。 ジタン・カポラル ジタンは、フランスで最も一般的であり"ゴロワーズ"と人気を二分する"煙草"のブランドである。 わたしは、ゴロワーズはよく知っていて吸って遊んだことがある。(若かりしころのこと。フランス一辺倒だったのよ)ジタンには目もくれなかった。どうしてかわからないけど。。 ゴロワーズも鮮やかなブルーだが、ジタンよりも淡いブルーだ。ふらんすの労働者が吸う煙草であると教えられた。ジタンは、ゴロワーズよりすこしお洒落な感じがする。 そして岸孝信さんは、句集の色としてもこのジタンの青にこだわられたのだった。 美しい青だ。 ほか収録句より。 蓑虫の吾が手にあれば鳴きしかな 柿の花鏡台の顔鶏めきぬ たれかれの死顔想ふ日向ぼこ 螢烏賊くわうくわうと喉過ぎゆくか 点滴の瓶に母の名青嵐 ポインセチア喪服の人の買ひにけり 葉桜やページ真白き点字本 物干して風ゆたかなり楠若葉 煤逃やジャングルジムに日が沈む 金魚売ひつそりと国棄てにけり 襖閉し人ゆつくりと死ぬるなり 日向ぼこ少しづつ世を離れたし 詩にあいて雨聞いてをり藤の花 櫨熟れて死ぬ人に空青きかな 白黒板(ホワイトボード)きゆるきゆる鳴らす夏期講座 長火鉢祖母の莨と死のにほひ 風船売眼鏡に並木映しをり 毛沢東選集その他西日中 狐火やこくんと白き喉動く バレンタインデー戴き物のするめ焼く 黄身そそと啜れば春の雪降れり 鶏頭がぞろぞろと立つ祖の家 春雷やほのぼの尖る尾骶骨 岸孝信さんは忌日の句を多く詠んでいる。「一遍忌」「源義忌」「泊月忌」「円空忌」「迢空忌」「放哉忌」「子規忌」「乱歩忌」「コルベ忌」「憂国忌」「義央忌」「大石忌」「晴子忌」「花蓑忌」「春星忌」など、これらの詠まれた故人たちは、岸さんの精神世界においてとくに親しい人間たちなのだと思う。死者はその身に親しいのである。岸さんの俳句を詠んでいくと死はつねに身近なものとしてあり、そこここに死の気配がある。しかし、死は必要以上に無常感をまとうわけでもなく、まことにあっさりと詠まれている。ジタン・カポラルの青は、まさに死の明るさをもそのうちに宿しているかのようだ。 著者の希望される「青」をみつけて装幀をしたのは、和兎さん。 もちろん、ジタンの煙として。 なにゆえ黄土色なのかを和兎さんに尋ねたところ、煙草の草の色ということ。 著者も喜んでくださり、わたしたちもこの一冊を得たことを喜んでいる。 防風や妻訪ひし日の砂の道 遠花火ひつそりと妻そばに来し 立葵妻の写真を撮りにけり 集中、「妻」を詠んだ句は八句ある。そのうちの三句。妻との距離感がすごくいい。やや距離を置いて妻を意識した男がみえる。立葵の一句は、立葵の季語によって、なれ合いでない妻との関係がみえてくるようだ。 梅雨明け宣言をした今日の朝の空。 入道雲がわたしの行く手に立ちはだかった。 今年の夏、はじめて夏らしい雲を見たような気がする。 では、皆さま、 よき週末を。
by fragie777
| 2016-07-29 21:37
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