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7月28日(木) 旧暦6月25日
東京はどうやら長い梅雨が明けたらしい。 小さな虫が止まっている。 少し前にも書いたと思うが、わたしはこの射干にはなんとなく獣くささを感じてしまう。 ある種のエロさもある。 黒い種子は俗に射干玉(ぬばたま・むばたま・ぬぼたま)と呼ばれ、和歌では「黒」や「夜」にかかる枕詞であるということも、閨を連想させたりすることもあるからか。 新刊紹介をしたい。 野村喜和夫(のむら・きわお)は1950年埼玉生まれ、戦後世代を代表する詩人だ。つねにビビッドに現代詩の先鋒にあって現代詩をリードしている詩人である。その批評も翻訳もすぐれたものである。本詩集は、既刊20冊の詩集および未刊詩篇から、エロティックな詩ばかり21篇を集めて、楽しい選詩集を編んでみました。と「あとがき」にあるようにエロティックな選りすぐりのアンソロジーである。 ひとことで言えば、エロい詩集である。 どのくらいエロいかといえば、それは読んで貰うほかはない。 一篇を紹介したい。 (ある日、突然) ある日、突然、 何もすることがなく、 なって、空蝉、からから、 夏あみ、だぶつ、 ああいっそ、 妊婦とセックス、して、 みたい、ぼくは、すてきだろうなあ、 まるく膨らんだ、スイカのような、 おなか、ちたちた、舌で、 登ったり、駆け下りたり、 妊婦の、 魔の、山の、 妊娠線、恐そう、稲妻みたい、 なぞったり、それたり、 胎児の心音、聴いたり、 あ、動いた、なんて、 愛する大地、 愛する大地、 遊んでいるうちに、ごはんですよ、 じゃなかった、山の、ふもとの、 毛の、絶対繁茂する、 世界のみなもと、 から呼ばれて、すてきだろうなあ、 ぼくは、ペニスを入れて、 胎児の、すぐそばに、 マイクみたいに近づけて、近づけて、 そっと、採集、するんだ、 「超人」の、 「星の子供」の、 大きすぎる頭から洩れる、 親殺しのささめきを。 本詩集の詩はすべてピンク色で印刷されている。ゆえにブログにおいてもピンク色にしてみた。 平易な言葉がつぎつぎと向こうから飛びこんでくるような軽快さにおもわず一気に読んでしまい、最後にひやりとさせられる。まず言葉から言葉へのうねりがエロティックだ。そして、読み終わったあとに私たちは知るのである。エロティシズムとはそのうちに常にタナトスを内包していることを。 本詩集の担当はPさん。 Pさんをはじめふらんす堂スタッフたちに人気があったのは、「緋の迷宮」。散文詩による物語だ。長い詩であるので、一部のみを紹介したい。 緋の迷宮 恋人を追って、私はひどく奇怪な街に入り込んでしまったらしい。恋人といっ ても、まだキスしたこともない女で、いや、もしかしたら私の一方的な欲望の 対象であるにすぎないのかもしれず、しかも彼女は、私の教え子のひとりであ り、授業中彼女に質問を出すと、答えるかわりに教室から出て行ってしまった ので、「待ちなさい」と私も教壇を降りて、そのまま大股でキャンパスを抜け、 大通りを渡っていった。というのも、彼女もそのルートを逃げ去っていったか らだ。 大通りを越えると、鎮守の森につづく朱色の鳥居のつらなりがあり、そのま えで恋人は(恋人を追って、私はひどく奇怪な街に入り込んでしまったらしい)、 まるで私を待ってくれているようにいたずらっぽく微笑んだりもしたのだが、 あるいは、豪壮なマンションの建ち並ぶ坂がちな通りでは、キリコの絵に出て くる少女のように、風に髪をなびかせながら、光と影とのくきやかな交錯のな かを逃れてゆく彼女の姿が、きれぎれにこちらの眼にも映じていたのだが、い まやすっかり見失って、日も沈み、とある繁華街のはずれで途方に暮れている と、右手の路地の奥から手招きする者がいる。 あの娘ならこのなかにいるよ。そう言わんばかりであった。寄ってみるとそ こは飲み屋の扉で、中に入ればバーカウンターだけの空間だ。しかし恋人の姿 はみあたらず(恋人といっても、まだキスしたこともない女で、いや、もしか したら私の一方的な欲望の対象であるにすぎないのかもしれず)、そればかり か、丸いスツールにすわり足を浮かせている何人かの客がいっせいに私のほう を振り向き、そのまなざしがどこかしら敵意むきだしだった。さらに驚いたの は、スツールと壁のわずかな隙間をカニ歩きで抜け、向こう側のドアのところ まで行ってそれをあけると、トイレか何かだと思われたそのさきが、なんとそ のままレディスファッションの店になっていたことだ。まさか。ただでさえ場 違いなその店内を私はうろうろしてしまい、それをみとがめた店員に追いかけ られて、藁をもすがる思いで店の反対側のドアを開け外に出ようとすると、今 度は、そこはいきなり書店であった。つまり、店と店とがひとつづきで、通路 とか廊下とかの、あいだの部分がないのだ。 面白くて思わずどんどん読み進んでいってしまう。 この物語は思いもかけぬ方向へと展開し読者を唖然とさせながら十分にたのしませてくれる。 本詩集は全体が3つに分けられている。その章のそれぞれの見出しも面白い。 ⅰ 播くんじゃない、突き刺せ ⅱ 性が生を越えてゆく ⅲ 萌える未知のアシカビ 配列は時系列を無視して、われわれの性が個を超え時空を超えてひろがってゆくような流れが、なんとなくですけど、感じられるようにしました。(あとがき) 装幀は和兎さん。(ヘンな人である和兎さんは、こういう本は大好きとみえて楽しそうだった) 野村喜和夫さんは、いっさいお任せ下さった。 ピンクでいくと決めた。 新製品なのでどう文字が刷られるかちょっと心配だった。 和兎さんはこれを使うことを強く望んだ。 わたしもこの春画は、すこし前に行われた「春画展」でみた春画のなかでも最も印象に残ったものである。 この春画のエロさは、女の太ももでもなく、男と女の絡まり合う姿態でもなく、薄目をあけた男の目なのである。つまり「視線」である。(このブログの写真だとちょっとわかりにくい。是非春画をみて確かめて欲しい)エロティシズムとは視線なのである。 表紙と同じ用紙をもちい、こちらは白インクで刷った。 やはり目がある。 本文の白ページにあたる各所には、春画を解体しいろいろな箇所をあえて粗く印刷。 これも和兎さんのこだわりである。 当初、和兎さんは、異なる春画を使うことを考えていたらしいのだが、それをやめて「視線」のみにした。 担当のPさんは、「詩はどれも面白かった」という。「一度読むと言葉が記憶されてしまう、やはり野村喜和夫さんは力のある詩人だと思った」と。そして 「現代詩はどうしても難解なところがあり、句読点や読点の置き方、改行の仕方、行の分け方、散文詩で書く意味、がわからない詩集があるけれど、野村さん詩の作品は、どれもそれが自然と納得いった。そしてさまざまの様式の詩の作品がある。だから、この詩集は「エロ」をテーマにした面白い詩集だけでなく、現代詩を書こうと思っている初心者の人が詩の書き方のお手本にしてもいい、そんな詩集だと思った」とPさん。 詩の修辞学をまなぶテキストとしても優れている詩集なのだ。 「あとがき」をふたたび紹介したい。 私はしばしば、エロい詩を書く詩人とされているようです。それを否定はしませんが、同時にまた、私の詩において、エロスの言葉は言葉のエロスと分かちがたく結びついています。性的興奮プラス詩的興奮。したがってこの選詩集は、生真面目な方々にも十分楽しんでいただけるはずです。 収められた21篇の詩はどれも多彩な光を放っている。 わたしはこの詩集は、「エロス的存在であるわたし」というものを言葉で実現していくものではないかと思ったのだった。 「閏秒のなかで、ふたりは」というタイトルも、エロティックな匂いが立ってくる。 もう一篇のみ紹介したい。 野村喜和夫さんは、女優・小泉今日子のファンだという。 (そこ、緑に蔽われた窪地─) そこ、緑に蔽われた窪地、 どこがどう狂っているのか、冬だというのに、 そこ、緑に蔽われた窪地、 笹や羊歯の茂みにまぎれて、 そこだけ都市のように、 古いトランクが捨てられている、 なかに人形のようなものがみえる、 ズームインしてゆけ、ズームインしてゆけ、 人形ではなかった、 さながら、 断ち切られた自身の物語のゆくえに向かって、 眼は見開かれている、冬だというのに、 ノースリーブのワンピース一枚という軽装で トランクに詰め込まれ、眼は 見開かれている、 人形ではなかった、小泉 今日子の肢体、 死体、 なにか事件にでも巻き込まれたのだろうか、 トランクの内側には、 彼女が愛用していたとおぼしい日用品がびっしり 張りつけられている、時計、 トウシューズ、ぬいぐるみ、 まるで親しい何者かが 葬装品として飾りたてたみたいな、 写真、ほぐれた磁気テープ、押し花、 そして肢体、 小泉今日子の死体、 その青ざめた肌は笹や羊歯の茂みにつづいている、 笹や羊歯の茂みは窪地をなし、 窪地は樹海につづいている、冬だというのに、 そこ、緑に蔽われた窪地、 どこがどう狂っているのか、 そこだけ都市のように、小泉 今日子の死体、 肢体、 「こんなに幸せな気分で殺してくれた犯人を 早く捜してください」とは、 彼女からのメッセージ、眼は 見開かれている、そこだけ都市のように、 揺すってやれ、揺すってやれ、 覗く多数多様なひとよ、 彼女はまだ、断ち切られた物語のゆくえが曳く 彗星の尾のような光と交わって、 べつの結末の胚を孕もうとしているのだ、 その光に乗り移れ、 覗く多数多様なひとよ、─ 午後にふらんす堂近くの本屋さんに立ち寄った。 ひさしぶりだったのでそこで30分ほど本を見て過ごした。 15冊ほどを手にとって、そのなかで買いたいとおもった本は8冊ほど。 しかし、結局一冊も買わなかった。 いまでもまよっているのが、装幀のよさもふくめて蓮實重彦の『伯爵夫人』。 よっぽど買おうかと思ったのだけど、わたしのベッドの横に積んである2年ほどまえに読み始めて途中でそのままになって埃をかぶった『サド侯爵の生涯』(澁澤龍彦訳)を思いだし、頭をブルブルと振って、買わないことにしたのだ。考えればなんの関連性もないのだけど、でも止めたの。 そんなこんなで迷っていたら、心をくすぐるような音楽が流れてきた。(商店街を流れる有線放送だ) ああ、この声とこの歌い方、誰だっけなあ、わたしの好きな歌手だって思いながらもそれが誰だかしばらく思い出せずに聞いていたら、ああ、思い出した。 桑田佳祐だ。 桑田佳祐もまたエロい。そこが好きだ。 思い出せたところで、わたしは本屋さんをあとにしたのだった。
by fragie777
| 2016-07-28 21:16
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