ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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二冊の句集。

7月27日(水) 土潤溽暑(つちうるおいてむしあつし) 旧暦6月23日

二冊の句集。_f0071480_17250604.jpg
川遊び。
この日は、ちょっと寒い日であったが子どもは元気だ。


二冊の句集。_f0071480_17391149.jpg
わたしは橋の上から、寒そうに眺めていたのだった。
この日もし水に浸かれって言われたら、わたしは急遽いのししに変貌してダッシュで逃げ出していたと思う。
しかし、幸いなことに誰もそんな無謀なことを言い出すヤカラはいなかったので、わたしは人間でいられたのである。
橋の上からエレガントに手なんか振っちゃってさ。。。





ふらんす堂の一大イベント「田中裕明賞授賞式」については、どうにか無事に終えちょっと一段落したいところであるが、送っていただいた俳誌「鷹」8月号の「俳句時評」で、蓜島啓介さんが、「さらけだす覚悟」と題して「第七回田中裕明賞」の応募句集である二冊の句集について書かれている。抜粋で申し訳ないのであるが、少し紹介したい。


第七回田中裕明賞の受賞作が北大路翼『天使の涎』(平成二七年、邑書林)に決まった。十六冊という過去最多の応募があり、村上鞆彦『遅日の岸』(同年、ふらんす堂)が受賞を争った。選考委員四名の事前の点数は、『遅日の岸』が最高の八点、『天使の涎』は六点であり、三名は当初『遅日の岸』を『天使の涎』より上位に推していたが、議論の結果、『天使の涎』が逆転したという。
今回も選考経過は一書にまとめられるのであろうが、上記のような経過を辿っただけに、例年以上に待ち遠しい。当初の点数は尊重されるべきであるが、それだけで受賞作が決まるのならば選考会で議論をする意味はないし、十分に議論が尽された上での決定と察する。ただ、最終的には多数決となった場合に四名では二対二の同数となる可能性があること、また選考委員が関与した句集に点を入れないルール(これは当然である)が四名では選考委員に大きく影響することから、将来的には選考委員を一名増員して五名とすることも一案ではないか。
さて、『天使の涎』であるが、歌舞伎町を舞台とするテーマの新奇性からか、発売当初から異端視する向きもあった句集であるだけに、今回の受賞は俳壇にとって大いに問題提起となろう。私はこの句集がとてつもなく好きである。読んでいてこれほど、作者と一緒に時間を過ごしていると感じた句集は、そして作者を愛してしまった句集は、かつてなかった。
この句集が異端視された理由として、性を露骨に詠った句が多いことが挙げられるかもしれない。しかし、人間の生の根源であるからこそ口にすることを憚られることを、皆の代わりに語る者、それが詩人なのではないのか。私は俳句がエロスをテーマとすることに耐えられないyおうな狭溢な詩型であるとは少しも思わない。ただ、詩型の短さゆえ、読者の胸を打つ俳句表現として昇華させるのは並外れて難しい。
 虫籠に戻ろうとする四つん這ひ   (パピコSMショーデビューを祝ふ)
私はこの句にひどく胸を打たれた。もちろんこのような季語の使い方を認めない立場もあると思うのだが、そのような些事とはかかわりなく胸を打たれた。嘘がないと思った。
北大路氏はこの句集の随所で人間やその他諸々に対する愛を炸裂させればさせるほど、読者は氏を愛してしまうのだ。(略)
もし『天使の涎』を「読まず嫌い」されている方がいたら、次のような作品の俳句完成度に驚かれるかもしれにない。
 三月の切符の裏はいつも夜
 おにぎりも夏も一口寝転んで
 秋雨に気づかぬ水の中のもの
 顔洗ふやうに西瓜にかぶりつく
 眼から乾きだしたる羽化の蝉
(略)
写生といえば、受賞を争った『遅日の岸』は写生の秀句の宝庫である。選考委員の四ッ谷龍氏は、「『かな』『けり』を軽く使いすぎるところ、情景描写に作者の心理が入りこむところ」がこの句集の問題点であると指摘した。「かな」「けり」の多様に関しては同感であるが、なぜ情景描写に作者の心理が入りこんではいけないのか、その理由は不明であり、選考経過がまとめられるのを待つほかない。例えば次のような句も批判の対象となったのであろうか。私はどれも好きである。
 寝転べば草がそびえて南風
 曼珠沙華つめたき蕊の絡み合ふ
 幹よりも乾きて蝉の鳴きにけり
『遅日の岸』は二十年近い作品から三百句強の作品を厳選した完成度の極めて高い句集である。それに対して『天使の涎』は三年間の作品二千句を収める。二冊は作風のみならず、句集における選に対する姿勢も好対照をなしている。二冊を読み比べて私の偽らざる感想は、句集というものには、箸休めというか、読者が心の力を抜くための一句も一定割合は必要かもしれないというものであった。
石田郷子氏は、『天使の涎』の受賞に賛成して理由について、「少なくとも作者は、この句集において、世間にも読者にも、そして俳句という詩型にも甘ったれていないのではないか」と述べている。そう、北大路氏が二千句を収めたのは、自分のすべてをさらけだす覚悟にほかならないのだ。

『天使の涎』『遅日の岸』の好対照な句集をどう評価するか、意見の分かれるところかもしれない。蓜島啓介さんの月評をわたしは興味ふかく読んだ。
北大路さんや村上さんと世代を同じくする、あるいはそれよりも若い俳人たちが、どんな風にこの二冊を読むか、もちろん他の応募句集も含めてもっともっと意見を聞いてみたいと思っている。



ところで蓜島啓介さま。
45歳よりはるかにお若いとお見受けいたしました。
どうぞ、蓜島さまも句集刊行へ向けて邁進していただき、田中裕明賞へのご応募をお待ちしております。
ふらんす堂も冊子をできるだけ早く刊行するように努めます。



岸本尚毅さんのご挨拶のなかで、「なぜこの句集が田中裕明賞を取らなかったか、ということも残っていく」という言葉があり、取らなかったということもまた俳句史における批評となっていくのだとわたしは思っている。




ウラハイ「月曜日の一句」は、相子智恵さんによって岡野泰輔句集『なめらかな世界の肉』より。

 目の前の水着は水を脱ぐところ  岡野泰輔

句集『なめらかな世界の肉』(2016.07 ふらんす堂)より

海でも川でもよいのだが、私はプールを想像した。目の前を泳いでいた人がざぶんと水から上がる。ぴっちりと体を覆っていた水から、ぬっと体を抜き出すのは、なるほど言われてみれば〈水を脱ぐ〉感じがある。もちろんこれは「水着を脱ぐ」を連想させることは織り込み済みだろうから、何となくエロスを感じさせるのも面白い。

〈目の前の〉と〈ところ〉で画角がが決まっている。まず〈目の前〉で水着がクローズアップされる。読者は目の前の水着しか見えなくなる。そして下五は、たとえば「脱ぎにけり」でもよいわけで、この「ところ」は〈鳥の巣に鳥が入つてゆくところ 波多野爽波〉と同じ手法だ。辞書の意味で言えば「話題として取り立てる部分」ということになるだろうが、読者はスローモーションのように、そこに視点を集中させることになるのである。

映画のワンシーンのようにアングルを定めて、一句が印象的になっている。






きのうの「お祝いの会」の紹介で、肝心の北大路翼さんがご挨拶をしている写真を入れるのは忘れてしまった。。。

いま、追加しましたので、是非にご覧下さいまし。

北大路さん、ごめんなさい。









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by fragie777 | 2016-07-27 19:02 | Comments(0)


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