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7月21日(木) 旧暦6月18日 24日は「第七回田中裕明賞」の授賞式である。 わたしと緑さん以外のスタッフは、と言っても約二名であるが、その準備で大わらわだ。 パネルをつくり包装しそれを会場に送る手はずをしたり、式次第をつくったり、進行の予行演習をしたり、一挙に「田中裕明賞モード」になってきた。 実はわたしはまだ何も準備をしておらず、明日はそれに集中するつもりである。 ご挨拶とか苦手なので、ちゃんと原稿を書かないとダメなのよ。 人前に出るとあがっちゃって、頭ん中が真っ白になってしまう。 ホントいい歳して情けない。。。 まっ、頑張ろう。 今日は書評や新聞記事などを紹介したい。 17日付けの東京新聞の小川軽舟さんによる「俳句月評」は、ふらんす堂刊行の本が二冊である。 井上弘美句集『俳句日記2013 顔見世』と、片山由美子句集『俳句日記2015 昨日の花 今日の花』。タイトルは「日常が詩になる」 昭和二十七年生まれの片山由美子と二十八年生まれの井上弘美、同世代の二人の「俳句日記」が相次いで出た。その日の出来事や偶感を記した短文と俳句一句からなる日記。どちらも出版元のふらんす堂のホームページに毎日掲載されたものだ。日記は日常の記録である。しかし、日常にあって日常を超えなければ詩は生まれない。日常が詩になる契機はどこにあるのか。 井上の『顔見世』は、2013年の俳句日記である。これを読むと「俳人」を生業とする者がどんな毎日を送っているのかがわかる。こうも多忙で勤勉なのか。東京を活動の拠点にしながら京都に残した家にも頻繁に帰る。「日記を書くのなら、東京での日々の生活と、産土の土地である今日の四季や歳事を合わせて書きたいと思った」とあとがきに記す通り、井上の日常が詩になる契機は京都の面影を胸裏に置いて暮らすことにある。 九月十九日の日記は、「午前、早稲田大学社会人教室・上級。/今日は中秋の名月」と始まり、大覚寺の観月会をなつかしんでから、「お台場の一片の雲もない名月を眺めた」と結ぶ。そして俳句は〈淋しさをあかるさとして今日の月〉。埋め立て地に囲まれた静かな海の月明かりに大沢の池の面影が重なって日常を超えた時空が顔を出す。 〈ひんやりと息をつつめり石鹸玉〉は同齢の女性俳人二人と鼎談をした日、〈八朔の雨の業平格子かな〉は京都の句会に各地から仲間が集まった日、〈まだ消えぬ焚火がひとつ夜の底〉は引っ越し準備で亡母の着物を手にした日、〈煮こごりや堅田あたりは雨の中〉は東京の印刷所で校正の日。短文と俳句が寄り添ったり離れたり、おのおのの轍を残しながら一年を進む。 片山の『昨日の花 今日の花』は2015年の俳句日記だ。フラメンコを踊ったり逸ノ城を応援したりと意外な面も見せて軽快だが、多忙ぶりは井上に負けない。六月七日は「今日は終日家にいられるので、五日締切の短文を書きあげないと」とあって、俳句は〈若竹やたちまち過ぎる締切日〉。筍がいつの間にか青々と若竹に育つ。時間の過ぎる早さと仕事の充実を連想させる。締切日がたちまち過ぎるのは年中のことだが、季語が違えば違う印象になるだろう。「心がけたのは、季語の実感を大切にすること」とあとがきにあるが、片山の場合は繰り返す日常が今この時の季語と出会うことで詩になる。 「雑誌や句集などの整理は思いのほか時間がかかる」という日は〈付箋して残す雑誌や鳥雲に〉。北へ帰る渡り鳥が雲に消えてゆくのだ。「新幹線のグリーン車は通常静かな上に空間を確保できるので仕事がはかどる。」という日は〈秋澄むや新幹線といふ書斎〉。「来年秋までの予定が入ってきている。」という師走のある日は〈先々の予定あれこれ冬木の芽〉。どれも「そう、そう」とうなずく内容だが、季語に出会って片山のその日その時の詩情が宿るのだ。 同じ日の東京新聞の新刊紹介に上田りん句集『頰杖』が紹介されている。 長谷川櫂、石田郷子に師事して十年。観察と感覚が冴える著者の初の句集。 ジーパンをばつさり切つてかき氷 水中花ひらく嘘とも真とも 兄神童われは河童や青胡桃 18日付けの讀賣新聞の「枝折」では、加藤静夫句集『中略』が紹介されている。 東日本大震災を境にした「以前」「以後」の2編。批判精神とユーモアにあふれる。 蚊を打つておのれつくづく浮動票 18日付けの京都新聞は南うみをさんによる「詩歌の本棚」で、須原和男句集『五風十雨』が取り上げられている。 『五風十雨』は須原和男の第五句集で、第四句集『國原』以後六年間の句をおさめる。「貂」の川崎展宏に師事し、展宏亡き後「貂」の代表を務めた。 出来たての雲へ雲上げ芽吹山 寒いほど青梅を打ち落としたる 朝夕の煮炊きに遠く朴の花 鶏頭にふと物言ひかけて止む つまんだる指が映りぬ柿羊羹 しつとりと泥にかへりぬ霜柱 「雲へ雲上げ」と雨後の「芽吹山」の力強さを描き、また打ち落とした「青梅」の固き塊に寒さを覚える繊細な感覚もよい。「煮炊き」の日常と「朴の花」を「遠く」で結び、その孤高性を際立たせる。思わず「物言ひかけ」たのも圧倒的な「鶏頭」の存在感だ。固く艶やかな「柿羊羹」に「指が映りぬ」と細やかに描き、「しつとりと泥に」と「霜柱」の循環をみとどける。総じて、季語の本意とそのイメージ喚起力を、それぞれのフレーズがうまく引き出している。 伸してくる影がたちまち初燕 落蝉の落つるにまかせ蝉時雨 眼ん玉で風を分けゆく鬼やんま 獣らに巣穴足りてや眠る山 一直線に伸びて来る影でいかにも「初燕」らしさを示し、「落蝉」と「蝉時雨」が混然となった生死の現実を「落つるにまかせ」で表出する。「眼ん玉」に焦点を当て、「風を分けゆく」鬼やんまの雄姿を描き、「巣穴足りてや」と、冬眠の獣たちへ想いを馳せる。ここには生きるものたちへの冷静かつ優しい眼差しが見られる。昭和十三年生まれ。千葉県松戸市在住。 俳句総合誌「俳句αあるふぁ」8・9月号では、 後藤比奈夫句集『白寿』が紹介されている。 どの句もまるで工夫のないようでいながら、いつのまに読む者を句の深みに連れていってしまう。『白寿』はそんな魔法のような句集だ。 心と言葉というのはそれほど単純につながってはおらず、多くの俳人がそこで苦労をしているのだが、この句集を読んでいるとそんな苦労が馬鹿らしくなるような晴れ晴れとして涼やかさを感じる。 句集のタイトルにもあるように著者は今年白寿を迎える。 小さなサイズの瀟洒な句集だが、俳句を志す者におって学ぶことの多い一冊である。 父恋ふ子子を恋ふ父や花に黙 わが庭にしら梅の夜のありしごと 白寿まで来て未だ鳴く亀に会はず 俳句総合誌「俳句四季」8月号では中村与謝男さんによって「いま推奨したい名句集」として4冊が取り上げられている。そのうち2冊がふらんす堂刊行の句集である。藺草慶子句集『櫻翳』と大石香代子句集『鳥風』である。あとの2冊は、中田みなみ句集『桜鯛』(空俳句会刊)と茨木和生句集『真鳥』(KADOKAWA刊)。 『櫻翳』藺草慶子 水に浮く椿のまはりはじめたる 枝先のふるへつつ花満つるかな わが身より狐火の立ちのぼるとは 炎抱きかかへ燈籠流しけり 揺れながら照りながら池凍りけり 夏痩せて漆黒の蝶蒐めたる 丁寧な写生が思いもかけぬ非日常の景まで掴み取る。狐火の句など、思いもつかぬ発想が恐ろしい。 帯に示された「言葉はどこまで届くのだろう。私に何ができるのだろう」は作者の句を生む苦しみを裏打ちしたものであろうが、表現者の孤独を支える揺るぎない自負だと思う。 叡山やみるみる上がる盆の月 色抜けて涼しき捨身飼虎図 牛の舌巻きこむ草の氷かな 紅梅となりて一夜を匂ふべく もの狂ひせむ青蚊幮をたぐり寄せ よろこびは晩年に来よ龍の玉 若き日あり初蝶を見失ふ 吾もまた誰かの夢や草氷柱 寒卵ひところがりに戦争へ 花びらの散りこむ靴をそろへけり 拭けど拭けど鏡に桜顕はるる 草の氷などの細やかな写生の力の一方、「吾もまた誰かの夢や」のように胡蝶の夢を思わせる、夢の二重性を秘めた句もあり、自らの情熱的な思慮を写生の裏側へ巧みに忍びこませている。手際には舌を巻くしかない。 去来する全てを時に狂おしく眺める中から生み出す句は、俳諧味や滑稽と距離を置くところは、読むの少し辛いが、それは作者の今にとって何らキズではないと思う。 『鳥風』 大石香代子 弓始めこころに水脈のはしりけり くちびるに小虫あたるや春隣 琴柱ほど冷たき螢かと思ふ かまくらの小さき神に詣でけり 庭草も雀のいろも盆過ぎぬ 気持いい俳句を作る人だ。抽いた句はあくまでも一例にすぎないが、日常への細かな心配りの利いた句にほっとさせられる。 彼女の所属する「鷹」の小川軽舟主宰は、次のような帯文を寄せている。 「香代子さんの俳句はどれもなつかしく、ほのかに寂しい。いつか失う予感を孕んでいるからだろう。だから一層なつかしい。家業の和菓子屋の机から顔を上げた香代子さんの行く道は、この句集から始まっている」 帯文にある通り、すぐにでも壊れたり、遠くに去ったりして、失われてしまうような儚さが漂う句集である。逆に言えば、俳句の宿命を心得た作り方と言えるのだろうか。 昼の虫点けて六畳何もなし 春惜しむ店の机にもの書いて 清志郎逝く雷鳴の薔薇一枝 白木槿半歳ののちまたたく間 鯛焼の一丁焼の器量これ 山椒魚動きださねば苔むすぞ 夭折の人の艶聞瓜の花 句は後半に到るとますます円熟、読ませる。 おなじく「俳句四季」八月号で二ノ宮一雄さんの「一望百里」の新刊紹介で池田光子句集『月の鏡』が紹介されている。 池田光子「風土」(神蔵器主宰)同人、俳人協会会員、第二十六回桂郎賞受賞者の第一句集。 空海の山ふところや畦を塗る 下萌えや一町ごとの石塔婆 学僧が下駄を買つてをり町薄暑 槙売りのこゑの涼しき一の橋 空海のこゑか霧濃く流れゆく 「桂郎賞」を受賞した「高野山」からの句である。掲句からも良質な詩性がよくうかがえる。しかし、決して順調にその後が過ぎたわけではない。「俳句の魅力にとらわれていた頃、介護していた母が亡くなりー中略ーすっかり心が萎えて今度は自分の病と闘わなければならなくな」るのである。そして、句会も数年間欠席する。が、句友でもある夫たちの励ましで立ち直る。この間の苦闘を経て作者の詩性はさらに艶を増したようである。 八月の水の上ゆく人のこゑ 帰心湧くあかねの色の富有柿 一行の余白も言葉秋ともし 散る花に遅るる風のありにけり 書けたあ! 新聞の紹介記事などをこうして書いていて、なんだか自分とこで刊行した本ばかり紹介するのってどうだろう、などと心が揺れる。 ごめんなさい、ごめんなさい、なんてちょっと思いながらも、偽善者yamaokaはどんどん書いていくのである。 そりゃやっぱり嬉しいし宣伝してあげたいですもの。。 取り上げてくださった皆さま、有難うございます。 明日はちょっと珍しい嬉しいお客さまがいらっしゃる。 雨が降らなければいいな。 大地も揺れませんように。(最近コワイ)
by fragie777
| 2016-07-21 20:04
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