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7月14日(木) フランス革命記念日(パリ祭) 旧暦6月11日
左より東京スカイツリー、朝日ビール本社、朝日ビールのオブジェ。(不本意な名称がつけられてしまったが、、) わたしの友人は、オブジェの向こうにみえる高層マンションに10年ほど住んでいたらしいのだが、浅草住まいはとても刺激的で楽しかったという。 「隅田川の花火なんて、そりゃもう見放題よ」ということ。 高層マンションといっても公団住宅で、この立地条件からすると、比較的安かったらしい。 「朝日ビール本社のね、屋上にはビアガーデンがあって、そこで飲むビールはとりわけ美味しいのよ」と2,3日前に聞いたのであった。 早く聞いておけば絶対そこでビールを飲んだのに。。。。 新刊詩集を紹介したい。 見かけはシンプルだが、中身には豊かなものがびっしりと詰め込まれている詩集である。 著者の友清恵子(ともきよ・けいこ)さんは、1936年福井県三国町に生まれる。1959年に福井大学を卒業して東京都公立中学校の教諭となる。その傍ら小説や詩を書き出版して来た。今日まで四冊の小説と詩集と詩画集がある。絵も描かれ本詩集の装画はすべて著者の手になるものである。今年は傘寿(八〇歳)を迎えられその記念にと本詩集を刊行された。 「山姥の唄」と題された本詩集には、老いを生きる女性の肉声が歯切れのよいリズムで語られていく。老いてゆく自身の肉体に立ち向かいそれを歎きながらも彼女の視線は外側に開かれている。老いていく肉体への愁いより、人間の未来を憂うその歎きの方が深いかもしれない。 いくつか詩を紹介したい。 やじろべえ ありあまる時間を深い皺に塗りこめて着飾って出歩く年金暮らしの老女 まことしやかに有事を説き得意げに三位一体を謳う獅子頭 ひたすら携帯メールで擬似恋愛を演じるパラサイト・シングル 人ごみを臍だしルックで闊歩する黄髪少女の指先のタバコ ――――― コノクニハ モウ ダメカモシレナイ 人間の糞尿にまみれながらなお凜と均整を保っている富士 濁った川面に顔を出し岸辺の騒ぎを横目に悠々泳ぎ去るアザラシ 光の届かぬ深層水のなかひそやかに生き続ける透明なエビやイカ 経済大渋滞を尻目に人々を狂わせつつ粛々と北上する桜前線 ――――― コノクニハ マダ タスカルカモシレナイ あきらめと口臭と仏頂面を詰め込んで走る通勤電車 一握りのゴルファーのために緑をこそげ取られた山裾 飽食と浪費が毎朝垂れ流す生ゴミ不燃ゴミ アリガトウもスミマセンも言えない子らを吐き出す受験塾 ――――― コノクニヲ スキニナレナイ 照れながら喜びを語るノーベル賞のひとの作業服 沈着冷静に記録を伸ばす細身の大リーガーのまなざし 飛び交う絵手紙のそれぞれの優しい四季 和太鼓の激しさを背に受けて舞うソーランの若者の飛び散る汗 ――――― コノクニヲ スキニナリタイ 悔恨 いまなら言えます わたしはあなたを奪いたいと あなたの血もわたしと同じ青さだと この街のどこかにわたしたちの井戸があると あの峰の頂にわたしたちのケルンを積もうと いまだから言えます 35歳の父を斃したのは結核ではなく絶望です 72歳の祖母を逝かせたのは老衰ではなく貧窮です 少女らは防空頭巾の裏に煎り豆を隠したのです 母親たちは雑炊の具に蛙も入れたのです いまさら言えません あの酷い戦争がまちがいだったなんて 選りすぐりの男たちが揃って発狂したなんて 夥しい少年らが紙ヒコーキで飛び去ったなんて この国が朽ちてゆくのを誰も停められなかったなんて いまこそ言いたいのです こどもたちにはたんと泥んこ遊びをするように 若者にはケータイのほかに文庫本も持つように 大人には自分の座標軸をいつも疑ってみるように そして―――老いたあなたには いますぐわたしに還ってくるように この詩集には、著者による挿画ところどころに挿入されているのだが、それが素敵である。 いくつか紹介したい。 友清恵子さんは、調布市のお住まいだ。ふらんす堂のご近所の方である。 住所を見ただけでどの辺にお住まいかわかる。友清さんは素敵な老後を送られている。 まず、朝早く多摩川べりを散歩する。お一人ではなく散歩仲間が一緒である。少なかった散歩仲間がどんどん増えていまや20人。歩きたい人が自由に参加する。3キロを歩くという。そして「歌をかならず一曲歌うんです」と。 また、お住まいとは別に駅の近くに「サロン」のお部屋をもっていて、絵の仲間やコーラスの仲間があつまってパーティをしたりおしゃべりをしたりするという。 溌剌と老後を楽しまれている。 ![]() 気がつけば傘寿。とっくに彼岸に渡っている歳になってしまいました。このところ、歌のおけいことお絵かき(とお酒)に明け暮れて、文筆からはほど遠い日々です。 かろうじて、年一回の「詩集ふくい」への投稿が活字につながる細い径です。読み返してもとても世に問えるしろものではありませんが、これが非才の終活と観念して、八〇歳の記念に出版させていただきます。(またゴミを増やしてごめんなさい。) 一九九九年から二〇一五年まで「詩集ふくい」に掲載された順に、加筆・修正はほとんどせず並べました。老いの勾配も正直に顕れているようで、「山姥の唄」と名づけるゆえんです。 「あとがき」の一部を紹介した。 本詩集には、すてきなおまけがついている。 友清さんは、毎年干支を描き込んだ彩り豊かな年賀状を作られている。 本詩集には、1998年から2016年までの年賀状が紹介されている。全部で19枚。 全部を紹介したいところであるが、いくつか紹介したい。 ![]() ![]() 年賀状は余分ですが、ご笑覧の種に加えました。と「あとがき」に。 本詩集の装丁は、友清恵子さんのご希望を十全に表したものである。 すっきりとした詩集となった。 もう一篇、詩を紹介したい。 最後のページにおかれたものだ。 老JAPAN 〈風邪〉 高熱の夜 雲の上で天使に出遭って 「戦争ハイヤデス」と言ったら 「ダカラ戦ウノデス」と 優しい羽根で地上にはたき落とされた ―――まだ咳が止まらない 〈関節痛〉 肩を貸せと言われて 以来 七〇年 巨大な掌に圧され続けた 今では痺れて我が肩とも思えない デイゴの花弁の鮮やかな紅も ちゅら海を泳ぐ魚達の華やかな鱗も 昔と変わらないのに 鉛色の分厚い掌に 抗う腕が上がらない 〈恍惚〉 朝食のパンをトースターに入れたまま 夕方になってしまった 「電話しなくちゃ」とガラケーを掴み 相手の名前を思い出せない 油を探して西へ西へ 踏みにじった国々を憶えていない 強い男に喧嘩を売って 撃たれた深傷でいまも跛行 平和を愛して あんなに高らかに唄ったのに 今はもうその歌詞を忘れてしまった 今日はお二人の俳人の方がご来社された。 草深昌子さんと岩淵喜代子さん。 草深昌子さんは第2句集『邂逅』に次ぐ第3句集の句稿をご持参されたのである。 岩淵喜代子さんは、ふらんす堂ともご縁の深い方であるが、草深さんとは俳誌「鹿火屋」以来の句友であるということ。今日はご友人として付き添って来てくださったのだ。 いろいろな本をご覧になって、二つの造本に心を留められた。 「すこし考えてから決めたいと思います」ということ。 本はあれこれどういうものにしようかと考える時が一番夢が膨らむ。 著者はもちろんそうであるが、わたしたち編集者もそうなのである。 いただいた原稿をどういう本に仕立てていこうか、あれこれと思う、こんなことも提案してみようかと、わたしはそういうときが一番幸せかもしれないな。。。。 所属する結社は違ってもお二人だけで「題詠」を出し合い俳句を作り合うこともあるという。 「一日に100句つくりましょう、なんて言って作り合うことも」とおっしゃるので、わたしは思わず「一日100句!!、作るんですか?」と聞いてしまった。 「つくれなくて50句、60句ということもありますけど」と、これも凄い。 「一人じゃなかなか作れませんが、相手があって作れるということもあるんです。誰でもいいというわけにはいきませんが」と岩淵さん。 俳句、俳句、俳句の日々であると伺った。 わたしはただただ目を丸くして聞き入るのみ。 お帰りになったお二人に「武者小路実篤公園」をご紹介するのを忘れて、慌てて飛び出したのだが、もうすでにお二人の姿はなかった。 吟行の場としてもとても良い所なのに。 残念である。 それともご存じで行かれたかなあ………。
by fragie777
| 2016-07-14 19:36
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