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7月13日(水) 旧暦6月10日
浅草の路地に咲いていた朝顔。 人間で混み合う賑やかな路地に、その咲き様の涼やかさに目を奪われた朝顔である。 新刊紹介をしたい。 清楚な美しさの一冊が出来上がった。 著者の宇野恭子(うの・きょうこ)さんは、1958年和歌山県有田市生まれ、京都西京区在住。2006年に井上弘美の俳句教室にて俳句を始め、俳誌「椋」「泉」を経て、2011年俳誌「汀」(井上弘美主宰)の創刊とともに入会。2013年第1回汀新人賞、2015年第3回汀賞を受賞されている。現在「汀」同人、「汀」を代表する作家の一人と本句集に序文をよせた井上弘美主宰は書く。 はづしゆく古着の釦秋の雨 寒林にわれも一樹と思ふまで 横顔の深き祈りや濃紫陽花 波郷忌の楢も櫟も風のなか 初蝶はいつも白なり見失ふ 水晶の空より燕来たりけり 螢狩息を川瀬へ沈めたる 凪ぐといふこと心にも草の花 秋楡にまつすぐな空休暇果つ 柿一顆雨の底ひの去来塚 西山のひとしく昏れて手毬唄 いましがた老いのわが声花あふち だしぬけに母言ふ釣瓶落しかな 新松子言の葉ひとつひとつ置く 吟行によって鍛えられた眼と、生来の瑞々しい感性、そして知性がもたらす寡黙で抑制された表現。恭子俳句の真髄は、俳句という祈りの言葉によって、対象と心を通わすことにある。その無欲で純粋な姿勢が、透明感のある作品を生み出すのである。 井上弘美主宰の序文のことばである。「寡黙で清楚なたたずまい」の宇野恭子さんと出合ってから、井上弘美さんはずっと宇野恭子という人を心にかけて来た。そのことが序文を読むとよく分る。宇野恭子さんもまた最初に指導を受けた井上弘美を俳句の出発として「椋」の石田郷子、「泉」の綾部仁喜の下で研鑽し、「汀」が創刊されたのを機に井上弘美を師とし俳句を学ぶようになる、その結実が本句集となったのである。さきの掲句でもわかるようにその作品から一途でひたむきな作者像が立ち上がってくる。 寒林にわれも一樹と思ふまで とりわけ好きな句である。 「寒林」を外から眺める句は多々あるが、寒林の一樹とならんとする句はこれまで見たことがない。厳しきものに身を寄せていこうとす作者の志を感じる句だ。あるいは、石田波郷によって俳句に目覚めた著者でありその師系につらなる著者である。念頭に「寒木にひとをつれきて凭らしむる」という波郷の句があり、それに応える思いがその心の底にあったのかもしれない。孤独であることも厭わない凜とした作家魂がみえる俳句だと思う。 武蔵野の一角に住んでいた頃、近くの雑木林に白い花をつけるエゴノキを知り、「朝森はえご匂ふかも療養所」などの石田波郷の句と出会いました。関西へUターンして一年余り、はじめて句集を纏めました。平成十八年の秋に井上弘美先生の講座で俳句の世界の奥深さに触れて以来、大きな生活の変化の中にも、俳句から離れず年月を過ごせたことを幸せに感じます。 「汀」主宰井上弘美先生には選句の労をお取りいただいた上に序文を賜り、心よりお礼申し上げます。東京国立の「椋」吟行句会で石田郷子先生のご指導の下、自然の中に心を解放する吟行の楽しさを味わえたこと、「泉」の誌面で綾部仁喜先生の選によるご指導に与ったことも、かけがえのないこととして心に残っています。 「あとがき」の言葉を一部紹介した。 ほかに、 ゆるやかにふれあふ水輪春の鴨 指先は傷つきやすし柚子の花 初蟬のこゑひとすぢに暮れにけり 空つぽのポケット深き冬銀河 六月の沼のどろりと影入れず この街をモノクロームに氷菓子 うす雲のこぼせるひかり稲の花 鱗立つ松すさまじくなりにけり 頰杖に雲ちぎれゆく漱石忌 わが声の吾にまとはる波の花 白橿は風よぶ木なり雛納 あしあとを春の渚に飛びたてり 螢火や葉脈ふつと透かしたる 身の浮いてくるかに荻の枯れの中 はつ夏のパレットに足す草の色 まくなぎを払ふとほくの樹をみつめ 夕闇のごつとぶつかる花梨の実 数珠なりに昏れてゆくなり冬の鹿 野の梅に目覚めの雨の触れゆけり 啄みのひたむきに寒戻りたる 大樟のま下をとほる立夏かな 少年に朝遥けし蛇の衣 表札にのこる父の名白木槿 追ひついて枯野の列に加はりぬ いささかの力をペンに初句会 鍵穴に鍵のぶつかる春の風邪 新松子言の葉ひとつひとつ置く 「新松子」の句は掉尾の句である。 ここにも俳句に厳しく向き合わんとする著者の姿が浮かんでくる。 本句集の装幀は和兎さん。 和兎さんとしては珍しいくらいの繊細なデザインとなった。 あとは淡いグリーンを基調とした細やかな文様を配した。 本句集のおいてはじめて使ったものだ。 銀色の透明感のなかによく見れば金の華やかさを秘める。 それもこの著者に響き合っている。 宇野恭子さんは、俳句をはじめる前は絵を描かれていたと序文にある。 身近な植物を描くようになり、子規が病床で描いた草花に感銘を受けたという。子規の「写生」が、絵の世界から俳句の世界へと橋渡ししたのである。 しんしんと老いたし合歓の花の紅 「しんしんと老い」るとは、いい言葉だ。そしてこの著者にふさわしい言葉である。ああ、わたしもしんしんと老いたいなあ、と思う。でも、わたしにはしんしんと老いることなど許されていないように思う。じゃ、どんな風に老いるのかって、そうね、う~~む。(1分ほど考えこむ) バサバサと老いる、あるいはドタドタと老いるっていうのがわたしに似合っているような気がする。わたしの美学には見事反するんだけど。。。。。 まず「増殖する歳時記」から。土肥あき子さんによるものだ。 月涼し風船かづらふやしては 宇野恭子 今夜は半月。球体の月が唯一直線を描く夜。風船かづらは、ムクロジ科の蔓性植物。小さな白い花が咲いたかと思うと、またたく間に緑の紙風船のような実がふくらむ。頼りない巻きひげはしかし、しっかりと虚空をつかみ天へ天へと伸び進む。うだるような夏の暑さにも負けず、涼やかな緑色の風船は、この世のものとも思われない軽やさで増えていく。それは夏の夜に月の力を得て、分裂でもしているようで、まるで小さな宇宙船が鈴なりに空へ吸い込まれていく姿にも思われる。見上げれば明るい月が手招くように、やさしい光りを差し伸べている。この不思議な風船になかには、やはり風変わりな種が収められる。黒い種にはどれも律儀にハートの刻印が押され、次の夏を待っている。『樹の花』(2016)所収。 そして、ウラハイ「月曜の俳句」は相子智恵さん。 月涼し風船かづらふやしては 宇野恭子 句集『樹の花』(2016.07 ふらんす堂)より 風船かづらは夏になると時々、フェンスや窓辺で旺盛に育っている様子を見かける。ゴーヤなどと同じで、いわゆる「緑のカーテン」になるようだ。鬼灯に似た、ころんとした丸い形で、細い蔓をしゅるしゅると巻き付けて伸びる。 夏は、濃い緑色の葉の植物を見ることが多いだけに、薄緑色の風船かづらは、そこだけふわっと新緑のような柔らかさがあって、ほっとするような涼しさがある。 掲句、昼の暑さからようやく解放された夜空に、白く涼しげな月が浮かんでいる。そして月の光が作用して、ぽん、ぽん、ぽんと風船かづらが音を立てて殖えていくようだ。月光を反射し、ぼんやり光る丸い風船かづらは、まるで月の子どもたちのようである。 ロマンティックで、SFっぽくもある美しい句。 余談だが、「樹の花」という句集名を伺ってわたしがすぐに思い浮かべたのは、銀座にある喫茶店の「樹の花」である。 ここは装幀家の菊池信義さんが打ち合せのために使うことで有名な喫茶店であり、菊池さんのための一角が整えられている。 わたしも何度かそこで打ち合せをしたことがある。 さらにこの「樹の花」はジョン・レノン、オノヨーコ夫妻が日本やってきたときに突然尋ねてきたという店であることも知る人ぞ知る。 この老舗カフェは、珈琲もおいしく入口から中まで素敵な雰囲気の店である。 銀座に行かれることがあったら、行ってみても楽しいかも。 名物は豆カレーですって。 わたしは食べたことがない。 宇野恭子さんは、もちろんカフェ「樹の花」のことはご存じなかったけれど。
by fragie777
| 2016-07-13 20:34
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