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7月1日(金)半夏生(はんげしょうず) 富士山開き 旧暦5月27日
今朝気づいた。 令法は好きな木である。 この木は株立ちがことさら様(さま)になる木だ。 気づいたときはすでに咲いてから大分経っていたようで、すでに花はところどころ枯れはじめている。 今日は新刊句集を紹介したい。 著者の津志田武(つしだ・たけし)さんは、昭和16年(1941)年盛岡市生まれ、盛岡在住、平成19年(2007)に俳誌「樹氷」(小原啄葉主宰)に入会し、平成20年(2008)に同人、現在は「樹氷」の副編集長をしておられる。本句集は平成20年(2008)から平成27年(2015)までの作品を収録した第一句集である。序文を小原啄葉主宰が寄せている。 序文によると平成2年(1990)に小原啄葉指導の「俳句講座」で熱心に俳句をまなばれていたのだが、エリート銀行員であった津志田武さんは、転勤を重ねながら栄進され猛烈な忙しさの中、一時俳句から遠ざかったとある。定年退職後、ふたたび俳句に戻って熱心に俳句に取り組むようになる。 小原啄葉主宰は序文にこう書く。 「深は新なり」。これは常に俳句に求められる課題である。作品の深さ新しさを、講座の中で私は繰り返し述べてきた。復帰後の津志田さんは、この大事なテーマに真剣に取り組んで来られたが、その八年間における成果がこの句集『帽子』である。 雪折れの隣の枝をはね返す 鋭き声の一鳥囀る木を離る 目の玉の少しずれたる羽抜鶏 まくなぎの消えしとみれば増えにけり 一跳びに向きを変へたる竈馬 床下の乾ききつたる蟻地獄 いずれも写生の句。しかし月並な句は一つもない。どの句にも作者ならではの発見があって新しい。雪折れの枝が隣りの枝をはね返すという見方、目の玉が少しずれているという羽抜鶏、一跳びに向きを変えたという竈馬等々、平凡な写生の句は一句もない。ふだん誰も見ている普通のこと、見逃して誰も詠まなかったこと、それを捉えて実に新鮮である。このような発見の写生の句がこの句集の随所に見られる。 八月のものみな白し敗戦忌 暗喩技法は津志田さんの得意とするところである。掲出した句にも、例えば〈八月のものみな白し敗戦忌〉などは、夏の白服・白靴・白日傘などの「白」を強調したものではなく、ポツダム宣言の無条件降伏─即ち白紙委任─を暗示したものである。それは、季語に「敗戦忌」を据えたことにより解る。 致死量のほどの夕焼け浴びにけり 義士の日の監視カメラの街にゐる 雪搔きを終へ扁平な貌になる 赤い金魚も黒い金魚も争はず このような暗喩の句には季語の斡旋が大事で、それを誤ると忽ち難解となる。しかし著者はこの点にも充分留意して作句しており申し分がない。 ほかにも、震災を詠んだ句、啄木哀歌と題した連作、海外詠など、多くの句をとりあげ、句集『帽子』は実に優れた一書である。岩手の俳壇に貴重な句集が誕生することを心から嬉しく思う。と著者への賛嘆惜しみなく、大いなる期待を寄せておられる。 句集名「帽子」となづけた所以は、帽子は著者自身であるからだ。「あとがき」にも書かれているが、本書を読むとそのことが見えてくる。帽子の句はたびたび詠まれている。 ふらんす堂にいらっしゃった時も素敵な帽子を被っておられた。とてもよくお似合いだった。本句集より「帽子」の句を何句か紹介したい。 帽子屋に立ち寄つてみる十二月 夏帽子誰も座らぬ椅子におく 冬帽子妻の帽子に重ねおく 夏帽子一教師より一詩人 どの句も著者を語るものである。 「冬帽子妻の帽子に重ねおく」は、好きな一句である。とてもさり気ない句であるが、妻への愛情がそこはかと見えてくる。「重ねおく」が良いんだと思う。丁寧に静かに愛情をこめてそっと重ねる。そのしぐさがよく見える一句だ。 「あとがき」を紹介したい。 此の書は私の初句集である。人生の後年から始めた俳句ではあるが、俳句を以て生きてきた証として形にみえるものを残したいと思ったのである。 句集名「帽子」としたのは、私が帽子を好んで被ることに依る。capではなく広縁のあるhat(中折帽)である。俳句を詠むようになってから殊に愛用している。ハゲボウシ、ボケボウシ、マフィアの帽子などと冷やかされたが、今や帽子は私の分身であり、トレードマークでもある。 冬木立棒となるまで吹かれをり ほんたうに幸せなのか水中花 蟬の穴ぬきたる指のほてりかな 縄文の大甕の底ちちろ鳴く 余震なほ油をのせて田水沸く (東日本大震災) 黙禱を終へて葭切また騒ぐ (〃) 品書きに「白鳥見えます」添へてある 春の鶏脚括られて売られをり (中国紀行) 尺蠖の切羽つまれば立ち上る 真白なハンカチを干す沖縄忌 まだ青きいのちの透ける鵙の贄 極月の銀行にまだ働く灯 囀りへ割りこんできて囀れり 渋民は寂しき名なり雪解光 (啄木哀歌) ふるさとを出るための橋蕗の薹 (〃) 鶏頭の頸をそろへて引き抜かる 捨案山子骨となるまで晒しけり 北窓を開けば我を呼ぶ声す 紅よりも白こそ燃ゆる牡丹かな ヒロシマの夾竹桃は赤すぎる 遠雷や相続話それつきり 秋の虫骸となりて浮く力 この句集の発行の切っ掛けは、一昨年(平成二六年)の俳句会忘年会で、小原啄葉先生から「お互いにもう人生の残りが少ないからあなたも来年あたり句集発行してはどうか」と笑いながら話し掛けられた事だ。この啄葉先生のお話をまともに受け取ってよいのだろうかと迷ったが、何時かは句集をまとめたいと思っていたのでこのチャンスを本気で受けとめる事にした。 「あとがき」にある一文だが、こんな風に弟子に句集刊行をすすめる師もいるのかと、笑ってしまった。良き師と弟子だ。 本句集の装幀は君嶋真理子さん。 「帽子」というタイトルに、君嶋さんはいろんなラフを用意してくれた。 津志田さんは、ご自身も木版画の趣味があり、本句集を六葉の版画でもって飾られた。また奥さまは、書家である。 落葉踏み妻の日展みて帰る という句が収録されている。そんな芸術を愛するご夫婦であるゆえ、装幀もご希望がおありのご様子。結局、たくさんのラフの中から選ばれた出来上がったのがこれ。 実は左の方にいる帽子を被った人間は、津志田さんが君嶋さんのラフに描き加えたものだ。それがなかなかいい。 きっとご本人の自画像である。 横に縞のはいった用紙にグレーであわく印刷した図柄をうしろか型押ししている。 だからよく見るとこの図柄は飛び出しているように見える。 表紙は、やや紫がかったブルーグレーとでも呼ぶべきか。大人の色であり、ダンディな男性にこそふさわしい色である。 見返しは、ややブルーよりの淡いグレー。 こちらには帽子の紳士はいない。 本文を飾るご本人による版画。 まさに津志田武さんそのもののような出来上がりとなった。 晩年のまだ輝ける冬帽子 掉尾におかれた句である。 ご自身への励ましと希望とにあふれ、清々しい一句だ。 「冬帽子」だからこそ、丹田にこうぐうっと力が入る。 ここだけの話だけど、わたしも結構「帽子好き」。 しかも男性がかぶる中折帽子が好きで、女性用のそれを夏冬ともいくつか持っている。 帽子が似合わない顔の輪郭をしているって知ってるんだけど、ええいって被っちゃう。帽子は「どうよ」って平然と被るのがいいのよって、気合いで被ることにしている。 似合ってるって思うわけね。わたしの猫たちのみ、わたしの帽子姿を讃仰の目で見ている。(と思っている) 明日は中折れ帽子をかぶって出かけようかな。。。。 ホームページのリニューアルいかがでした? まだ見てないって、見てくださいませ。 まずは、いろいろなご反響をいただいている。 「読みにくくなった」というツィートもあって、わたしは思わず笑ってしまった。そういう見方もできるかも。。。。「可愛くなった」というのは嬉しい。わたしが願ったのは、できるだけ「遊び」の要素をとり入れて欲しいってこと。 楽しいものにしたかったのね。 出来上がってみると、あそこんとこをもう少しとか、ここはこうしたかったなどといくつか出てきたのだが、まずはこれで行ってみたい。
by fragie777
| 2016-07-01 19:59
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Comments(2)
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