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6月22日(水) 乃東枯(なつかれくさかるる) 旧暦5月18日
今日は銀行へ税金の支払いに行った。 昨日も銀行へ保険料の支払いに行った。 銀行の窓口のお姉さんたちはわたしをよく知っていると思う。 わたしが銀行へよく行くからということもあるが、それだけではない。 わたしがしょっちゅうなにかしらやらかすからである。 昨日もちょっとしたことがあって電話を貰ったのであるが、それは大目にみてもらった。 今日のこと、税金の支払いの手続きが終わるのを女性週刊誌を読みながら待っていると、 「ふらんす堂さまあ」と呼ばれた。 カウンターのところに行くと、小さな声で 「先ほど自動引き落とし機よりお金を引き落としませんでした?」 「はい、引き落としました」 「お金とりわすれませんでした?」 「……ええっ、いえ、あれっ、取り忘れましたあ!」 結構な金額をわたしは取り忘れてしまっていたのだ。 会社のお金である。(わたしのではない) 「どなたかが届けてくれたのですか」 「いいえ、自動引き落とし機が察知したのです」 「それはすごいですね! 自動引き落とし機によろしく言ってください!」 助かった!! ともかくも私は会社の大事なお金を失わずに済んだのだった。 ヤレヤレ。 夕方より飯田橋にあるホテルメトロポリタンエドモンドで第50回蛇笏賞・迢空賞の授賞式があるので出席する。 ふらんす堂より句集『冬青集』を刊行された矢島渚男氏は蛇笏賞をご受賞されたのである。 迢空賞は大島史洋氏。歌集『ふくろう』(短歌研究社刊)。 それぞれお二方のご挨拶を要約して紹介したい。 50回になる蛇笏賞をわたしのような一匹狼というか一匹梟というような人間が受賞したことは嬉しいことである。わたしには二人の師がいる。石田波郷と加藤楸邨。 石田波郷には、俳句の骨法を学んだ。波郷なきあと加藤楸邨に師事した。加藤楸邨には、俳句にこめるべき内容を学んだ。その後自分らしい句をつくりたいと思い、古典を勉強した。いまは芭蕉を読み続けている。芭蕉は世界にほこるべき大詩人であると思う。「猿を聴く人捨て子に秋の風いかに」の問題提起にいまだに答えられていないんじゃないか、現代の俳人はこの「猿を聴く人」の段階で終わっているのではないか、「猿を聴く」っていうのは風流ですよね、「捨て子に秋の風いかに」っていう問いかけに現代俳人は答えていないとおもうんです。芭蕉は「昨日の自分に飽きよ」って言うんですね、これは凄い言葉だ。そして俳句は新しくなければ俳句でない、これも芭蕉の言った言葉です。「困ったなあ」とも思いますが、恥じないように頑張っていきたいと思います。 と挨拶。 僕が一番最初に読んだ詩集は大関松三郎の『山芋』という詩集でした。なぜこんな本を覚えているんだろうと思いましたら、その詩集が出た頃綴り方教室というのが盛んになりましてね、 というお話からはじまって、 1930年代の綴り方教室が盛んだった時代を中心にそのころの教育状況の豊かさについて語られ、ご自身の経験としても面白い先生たちがたくさんおられたという、そういう良き先生たちがいまやどんどんとこの世を去り、通り一遍の人間関係のなかで生きている自分を見るとき、もう一度自身を育んだ故郷の温かな濃い人間のありようを考えてみたいと思っています。 とご挨拶。
by fragie777
| 2016-06-22 23:10
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