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5月20日(金) 小満 旧暦4月14日
今朝会った野良猫。 ひとしきりわたしを見つめ、それからゆったりと去って行った。 さっそくに新刊紹介をしたい。 待たれていた髙柳克弘さんの第2句集である。 第1句集『未踏』(第1回田中裕明賞受賞)につぐ、六年ぶりの句集である。2009年から2015年の冬までの20代後半から30代前半にかけての句集である。2002年に藤田湘子主宰の「鷹」に入会してより、渾身の思い出俳句に向き合ってきた著者である。俳句の新しい沃野を切り拓かんとする意識的な俳人であり、若手俳人の一歩先をつねにリードしている俳人だ。今回の句集も俳句に安住するものではなく実験的な試みにみちたものとなっている。 芭蕉の研究者として古典に通暁していることも表現を強靱にしているように思える。 髙柳克弘さんという俳人は、第2句集を編みながらきっとすでに第3、第4句集へのヴィジョンを持っている方だ。 第2句集の位置づけをすでに自身のこれからの俳句創作の展望のなかでしているんだと思う。 自身の俳句を考えることは、俳句の未来を考えること、そういう自負心がある。 これまでの俳人たちのそういう意識がつねに俳句をあたらしくしてきたのである。 さて、 標無く標求めず寒林行く 句集名となった俳句であるが、この若き俳人の俳句への昂ぶる思いを象徴している一句だ。いささかの気負いがあるかもしれない、しかし、それもまた若さの特権であり、いや若さに収斂させてはいけない、つまりは俳人としての志の問題だ。 呼ぶ声のとどかぬ子ゐる春野かな 冒頭の一句である。 呼んでいるのは、作者か、あるいはうららかな春野であそんでいる子どもの親か、どちらでもいいのかもしれない。問題は、声のとどかぬ子だ。人間のまねく声の埒外におかれてしまっている。ほかの子どもたちはみなそれぞれ声のする方へ行ってしまったのか。子どもは春野にひとり取り残されたままだ。じつはこの声のとどかない子は著者自身なのだ。子どもにしてすでに人声のどとかぬ場所まで来てしまって春野がすでに充分に淋しいものであることも知ってしまった子ども。あえて言えば「世界に疎外されてしまった子ども」であり、どこかで人間との優しいつながりを「断念」してしまった子ども、そこに著者は自身を投影させている。 思い切って言ってしまうと「断念」ということを一度その身に通過させることによってはじまる句集である。 とは、言い過ぎだろうか。。。。 名乗らぬ者扉を叩く炎暑かな 象の目の人を哀れむ暮雪かな 飛込台葉騒きこえずなりにけり 水洟の我の残れる港かな わかりあへず同じ暖炉の火を見つめ 火の如く一人なりけり落葉踏み 「断念」を引き受けた上で、人との関係性を構築していこうとする意志をわたしは髙柳さんに見る。 鳥の血を一切見せず落葉山 いのちなき影が鶏頭とほり過ぐ 諸葛菜小鳥の墓をおほひけり 月とペンそして一羽の鸚鵡あれば 雪片の吾を慕ふあり厭ふあり ビルディングごとに組織や日の盛 日盛や動物園は死を見せず 髙柳さんにとっては自然すなわち万物は彼を包み込み癒し慰めるものではではなく、対峙するものだ。そう易々とそのふところに抱かれたり組み込まれたりしない。讃仰することも無縁だ。つまり「非情な目」で向き合うのだ。それはものを書く人間の非情さと言ってもよい。 「月」も「ペン」も「鸚鵡」も彼にとっては同じ重量である。いやわたしはペンが一番重たいとみたが。 雷鳴やすでにはげしき草の雨 君はゑかきに我は詩人につりしのぶ この二句はわたしもよく覚えている句だが、スタッフのPさんはとくに好きであるという。(ほかにもたくさんあるとのことだが、)第1回田中裕明賞の吟行会のときに、新宿御苑を吟行したときの作品である。「君はゑかきに」のモデルは、田中裕明さんの次女のあさきさん。あさきさんは画家で、このときもスケッチブックをご持参しておられた。「雷鳴や」の句もちょうど一瞬の夕立に襲われたときのものだ。 わすれられない作品だ。 かはほりや女と肉を喰ひにゆく ぼーつとしてゐる女がブーツ履く間 もう去らぬ女となりて葱刻む これは「女」を詠み込んだ句。「女」というものへの幻想性がないのが面白い。 『寒林』は二〇〇九年春から二〇一五年冬まで、二十代後半から三十代前半にかけての三〇八句をまとめた私の第二句集である。この間に、自分は、「ものを書く」ということでしか生きる実感を得られない人間だと自覚した。そして、社会の通念や価値観とは隔たった生き方に、俳人としての道を見出そうと決意した。特に後半の句には厭世の気分が濃い。それら一句一句を寒林の一樹一樹になぞらえて、句集名とした。古人たちもこの寒林の道を歩いてきたのだろう。そしていま、私の歩んでいる道を、同じ気持ちで歩いている、同時代の若者もきっといる。未来の誰かもまた、ここを通るはずだ。彼らの胸に、この集の句が一つでも去来することを、祈らずにはいられない。 「あとがき」を紹介した。 ほとばしる思いにあふれた力のこもった「あとがき」である。 担当のPさん曰く、「小説も書く髙柳さんは、ものを書くということがどういことか、つくづくわかっている方だ」と。 以下好きな句をあげる。 山桜滝衰へて吹かれけり 皆既日蝕ゼリーふるへてゐたりけり 霧の来ること知つてゐる睫かな 短日や模型の都市の清らなる 橋はねむり川は覚めをり初便 海豚飛ぶ海あをあをと端午かな 補虫網一枝弾きてゆきにけり 故郷に若き弟蛍草 しづけさの底に水あり冬泉 汗のかほ行列つくりみな黙す 盂蘭盆や足洗ふ水ゆたかなる 絵の少女生者憎める冬館 汗の胸拭くに臍見え君若し 蚊を打つて潮濃き海まぶしみぬ やすらけきすあしのねむり山桜 剝製のにほふ一間や滝の音 ぺらぺらの団扇を配る男かな 補虫網一枝弾きてゆきにけり 小説を伏す船窓の寒潮に よろこびは過ぎ花園に椅子一つ 寒鯉のしづけさは子にうつりけり やすらけきすあしのねむり山桜 梅雨の蝶海の光を怖れけり この世から消えたく団扇ぱたぱたと 夏草に影して友の来たりけり 犬の死を父も悲しむ毛糸帽 装釘は和兎さん。 本文のレイアウトからすべてをデザインした。 このグレーの用紙ははじめて使ったものである。 背と面は黒メタル箔 白い本文用紙でなければいけない、ということ。 出来上がってみて、和兎さんが白にこだわった理由がわかったのだった。 これはクータ・バインデイングと呼ばれる製本である。 かがり製本で開きがよい。 ふらんす堂でははじめての試みとなった。 ちょっと気づかないが、よく見て欲しい。 最初ここを青にしようという和兎さんからの提案だった。 しかし、黒の方がいいのでは、というのはわたしのこだわりである。 色をいれないほうが「寒林」らしいし、そのシンプルさがいい。 著者の志をみたし、はればれと出来上がった句集『寒林』。 寒林を鳥過ぎ続くもののなし 克弘 今日はお客さまがお一人みえられた。 俳誌「知音」(行方克巳・西村和子代表)に所属する松枝真理子さん。 第1句集の句稿をもってご来社くださった。 「知音」の青炎シリーズの一環としての刊行となる。 松枝真理子さんは、慶應大学の商学部の卒業である。慶大卒、ということなので、お二人の師と同じ「慶大俳句」に所属しておられたのですか?とうかがったところ、「その頃は全然俳句には興味がありませんでした」ということ。 大学時代は、「スポーツ新聞会」というサークルに所属し、大学生のスポーツ大会の取材をなさっていたということ。 多くは野球、ラグビー、レガッタなど。大会は必ず見にゆき、野球などはスコアをつけながら観戦をしたということである。 「俳句をどうしてはじめられたのですか」とうかがうと、 「母がやってました。」ということ。 お母さまは、「晨」で宇佐見魚目に師事し、その後「夏潮」(本井英主宰)にも入会されいまはその二つの結社で熱心に俳句をおつくりになられているということである。 お名前は内緒ということですので、ここには記しません。 松枝真理子さんは、華やかな美人でおられるのだが、写真はダメ、とにこやかにおっしゃって「その代わりパラソル句会のことを紹介してください」とのことである。 とは、子育て中のお母さんを中心とした句会であるということ。特筆すべきは、子ども連れでもいい。いや子どもを連れていらっしゃい、という句会なのだとのこと。 子どもがいるからと、句会を休んでおられる方、是非にご参加されてはいかがでしょうか。 松枝真理子さま、「パラソル句会」のこと、ご紹介申し上げました。 これでよろしゅうございましょうか。。。。
by fragie777
| 2016-05-20 22:48
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