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4月13日(水) 嵯峨十三詣り 旧暦3月7日
家の前がぼおーっと白い。 (なんだろう……)と一瞬思って、(ああ、アオダモ)って気づいたのだった。 本当に静かな花である。 ニュースである。 『季語別鷹俳句集』を2014年に刊行させていただいたのであるが、なんとこれがiPhoneで読めるようになった。 このアプリの発売が昨日から開始されたのである。 定価=2500円、是非ダウンロードをして使ってみていただきたい。 わたしも今日購入し(発売元であっても購入しなくてはならないのである)すこし使ってみたが、季語から俳人から単語から検索できる非常に便利なものである。 新刊紹介をしたい。 四六判変型ハードカバー 388ページ 2013年にふらんす堂ホームページに連載された井上弘美さんによる「俳句日記」を一冊にまとめたものである。「俳句日記」シリーズの小川軽舟句集『俳句日記2014 掌をかざす』につぐものとなる。連載は小川軽舟さんより一年はやかったのであるが、一冊になったのは今年である。 井上弘美さんは、京都生れの京都育ちの方である。10年ほど前より生活の拠点を東京に移し、俳誌「汀」を主宰しておられる。京都にも吟行や俳句指導のためなどでときどきは帰られるようだ。 本書のタイトルは「顔見世」。 題名の「顔見世」は 〈顔見世や祖母が贔屓の仁左衛門〉からとった。 「顔見世」は一年の最後を飾る華やかな行事であり、京都の顔ともいうべき風物詩である。南座に高々と掲げられる「まねき」を振り仰ぐ時、過ぎ行く一年とともに、来たるべき年への思いがこみ上げる。このささやかな日記を「顔見世」と題することで、京都への尽きない思いを込めた。 「あとがき」にこう書く井上弘美さんである。この「俳句日記」は、京都をこころにおいて綴られたものである。 1月1日(火)晴 (季語=年籠) 新年を迎えるべく、旅館から徒歩十五分の星辻神社に参拝。海風に煽られて、時折、積もったばかりの粉雪が舞い上がる。誰も歩いていない雪道を行くと次第に心細く、さっき旅館にやって来たなまはげが思い出される。 神社に着くと、一瞬雲が切れて、新しい年を迎えたばかりの大きな月と星が見えた。夕刻、東京着。 ぬばたまの海が鳴るなり年籠 1月2日(水)晴 (季語=雑煮) 夕刻、京都着。仏壇の父と母に挨拶をして、ともかくお雑煮を食べる。いつもは白味噌や餅、それにねずみ大根と呼ぶ小さな大根などを暮れに錦市場へ調達に出掛けるのだが、今年はありあわせ。それでも、どうしてもお雑煮は白味噌に丸餅でなければならず、これを食べないと新年を迎えた気にならない。 味噌といて京雑煮とは白づくし 1月3日(木)晴 (季語=歌留多) 今日は母の命日。朝から墓参をして、午後八坂神社に参拝。いつも三日は、八坂神社の能舞台で行われる歌留多式を見る。屋外の能舞台に、王朝装束の人々が集って歌留多を競うさまは新年そのもの。能舞台に張り巡らされた注連縄が新年の風に吹かれて、百人一首を読み上げる声とともに、舞台には淑気がみなぎる。 み証(あかし)をあこめ扇に歌留多姫 1月4日(金)晴 (季語=風花) 早朝、窓を開けると家々の屋根が白く、霜が降りている。 今日は下鴨神社の蹴鞠始の日だが、終日仕事。郵便局まで出掛けたついでに書店に寄る。新聞に連載されていた時から話題になっていた『等伯』を買って出ると、ほんのしばらく風花が舞った。 中空に消ゆる風花松林図 最初の4日間の日記を紹介してみた。 京都の生活からはじまる。 日記を書くのなら、東京での日々の生活と、産土の地である京都の四季や歳事を合わせて書きたいと思った。円山公園の枝垂ざくらはもう咲いただろうか、上賀茂神社の蛍はどうだろうなどと、いつも慣れ親しんできた京都の風物のことを思っているからである。日記を書くとき、慌ただしく過ぎ行く日常に「今日の京都」を重ね合わせた。 「あとがき」から引用。 東京と京都間をいったりきたりする著者であるが、自身のアイデンティティは京都にあるのだろう。 読者はこの日記をよむことによって、外側からみた京都ではなく、内側からの京都をかいまみることができるのである。 この「俳句日記」の面白さは、文章と俳句の間を味わうということでもあるが、あるいは一冊の句集(365句収録)とし読んでも読み応えのあるものだ。 季語と俳句を学ぶテキストにもなる。 しかし、なんとも井上さんは超多忙である。 のんびりと一日を過ごすなんてこと、ないみたい。 (yamaokaと似てるんじゃないかって、全然ちがう。井上さんはゲームに時間をついやしたりは決してしないと思う) 「昨日は全然寝なかったのよ」なんてニコニコとおっしゃる。 そしていつも溌剌とされていて輝いている方だ。 この日記は実日記で、ホームページには一ヶ月おくれで発表されていたものである。 だから、12月分は、未発表のもの。 12月7日(土)晴 (季語=大根焚) 終日京都。 今日から、京都では大だい根こ 焚だきが始まる。七日、八日は千本釈迦堂、九日から十日は了徳寺で行われる。「大根焚」は歳時記に登載されている行事季語だが、それを知らない方が、関戸靖子先生に「大根を炊くのがお好きですね」と言ったそうだ。靖子先生に「大根焚」の句が多いからだが、「大根焚」の季節が来ると思い出す。 雀らは日の斑まみれに大根焚 12月の日記から一日だけ紹介した。 俳人関戸靖子は、井上弘美さんの師であった方だ。京都の宇治に長く住まわれいた。 井上弘美さんにとって、京都を思うことは師を思うことでもあるのだろう。 まだ何も置かぬ文机雪来るか 関戸靖子 関戸靖子句集『紺』より。 本書の装幀は、和兎さん。 シリーズなので、色と材質をかえてみた。 赤の和紙を井上弘美さんはとても喜んでくださった。 春宵の帯揚げなれば京緋色 井上弘美 (3月28日より) 讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、『深見けん二俳句集成』より。 そら豆の花のおしやべり昼深く 深見けん二 そら豆の花がおしゃべりをするはずもなく、それが耳に届くはずもない。しかし、晩春の眠くなるような真昼、そんな摩の一瞬があるものだ。水のように淡い句を作る俳人だが、ときおりこのような句が混じる。『深見けん二俳句集成」から。 そら豆を見ていると、この感じよくわかる。
by fragie777
| 2016-04-13 19:55
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