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2月25日(木)北野梅花祭 旧暦1月18日
今日は北野梅花祭ということ。 これは京都の天満宮で行われる梅祭のことである。 京都の祭事について書きしるしておきたいという思いの下に2013年に「俳句日記」の連載をされた井上弘美さんであるが、まもなくその「俳句日記」が一冊になって刊行される。 集名は「顔見世」。 その「顔見世」のなかで、この祭のことがやはり意識されている。 二月二十六日(火)晴 終日自宅作業。 今夜は春になって最初の満月。次の満月にはもう桜は咲いているだろうか。京都、北野天満宮の梅林、昨日歩いた後楽園の梅林。そう思うと、今までに訪れた数知れない梅林の、夜の景が思われた。 梅林のしづけさを月亘るなり 『俳句日記 顔見世』は、まもなく刊行になる。 昼頃、深見けん二先生よりお電話をいただいた。 「藺草慶子さんの句集が星野立子賞を受賞されたのですね。良かったですね。今度の藺草さんの句集の俳句と立子の俳句はずいぶん句風が違うように思えるんだけど、よく読むと立子と共通するものがありますね。」 「それはどういうところですか。」 「それはね、人間が似ているんですね。人生に対する一途なひたむきさ、というか。立子という人は何もかも恵まれているように一見思えるけど決してそうではなかった。いろいろと大変だったとおもいますね。そういうなかで俳句にたいしてじつに切実にひたむきだった。藺草さんにも同じものがある」 深見けん二先生は、若い頃にともに句会をして星野立子をごく身近に見て来られた方だ。 ホッケーの球の音叫び声炎帝 立 子 晩涼のましろき蝶に今日のこと ヾ 一緒に作って句会でこの句が廻って来た時の驚き、巻頭となった時の納得が思い出される。後に虚子から「ホッケーの」の句につき、「『叫び声炎帝』といったが為に情景が力強く詩的に出ている。終(しま)いに『炎帝』と言った処が破格であるが効果がある」という評を直接聞いている。立子俳句は初期の句に定評があるが、二十三年前後に好句があり、私は後に、この時期を立子の最も脂が乗った時期と考えるようになった。その立子とともに四日続けて句会をし、虚子選を受けたことは幸運だったと思う。 これは、「深見けん二俳句集成」の「わたしの昭和俳句」に収録のものの一部である。 虚子や立子と句会をしたときのことが記されており、まさに現場にいた者でしか語れない貴重な資料である。 「いやあ、立子の一番すごい時を見られたような気がしますよ」と深見先生。 そして、藺草慶子さんは、深見先生が大事にしておられる「木曜会」という句会で句座をともにされている句仲間である。 「ぼくの句をよく採ってくれるんだよ、慶子さんは」と笑いながらおっしゃって電話を切られたのだった。 一途なひたむきさ。 うーむ。 藺草慶子さん、 わたしそのこと実によく分かるような気がする。 昨日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、後藤比奈夫句集『白寿』より。 白寿まで来て未だ鳴く亀に会はず 後藤比奈夫 俳句の世界には「亀鳴く」という不思議な季語がある。九十九年生きてきたが、そんな亀には一度もお目にかかったことがない。亀は万年というから、亀の声を聞くにはもっと長寿を積まねばならないのかもしれない。句集『白寿』から。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、滝本香世句集『待合室』より。 春浅し高速バスの一人旅 滝本香世 片道2時間から3時間くらいの高速バスの旅をしたい。たとえば陶器で有名な滋賀・信楽へ、あるいは、鳴戸海峡へ、と。これらは私の住む大阪からの旅だが、池内紀さんの「ニッポン発見記」(中公文庫)を開くと、信楽への旅は「タヌキの金玉を調べに信楽へやってきた」と始まっている。いいなあ!まさに早春の旅! 今日はこれから家に帰って録画しておいたビデオを見るんだ。 古い映画よ。 「ガス燈」 ジョージ・キューカー監督の方のやつ。 わたしが生まれる前の、イングリット・バーグマンとシャルル・ボワイエ主演のこわ~い映画。心理的に追い詰めれてゆく怖さ。そういうのが一番コワイ。 何度も見た映画だけど何度でも見ちゃう。 バーグマンが清楚で美しい。 シャルル・ボワイエっていい役者だと思っていたのだが、ソルボンヌ大学で哲学を学んだあと、コンセルバトワールで演劇を学び、役者になったとは知らなかった。結構なインテリ俳優だったのだ。 晩年まで活躍したが最愛の妻をなくしたあと、二日後に大量の睡眠薬を飲んで自殺をはかって亡くなったということ。 21歳で息子さんも亡くしているということも知った。 そうなのか。。。。 「ガス燈」では悪い男を演じている。 あの悪い男の目が忘れられない映画である。
by fragie777
| 2016-02-25 18:24
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