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2月23日(火) 旧藪入り 旧暦1月16日
大地のエネルギーを吸い上げ、放出しているのかもしれない。 今日は依頼状をひとつ、手紙を三つ書いた。 少し前までは便箋を使って手紙を書くことが多かったが、このところ、メールだったりWordに書いたもののプリントだったり、あるいは葉書だったりで、従来の便箋に万年筆で手紙を認める(あえてこう書きたい)ことがめっきり減ってしまった。わたしの後にある抽出しに首を突っ込んできれいな便箋をさがしあてるのに大分時間を使ってしまった。 (こんなことじゃいかんわ……こんど新宿に出たらまとめて便箋を買ってこよう) と思った次第である。 便箋にへたくそであっても字を書いて手紙を書くということをわたしはこれまで大切にしてきた。はずだった。しかし、いつのまにか、それをしなくなった自分に気づいた。合理性へと流されていく自分がいる。 新刊本を紹介したい。 著者のたなか迪子さんは、1945年2月生れ、千葉県船橋市在住。俳誌「童子」創刊より俳句をはじめ、1987年第9回桃夭賞、1999年第10回童子賞、2004年わらべ大賞、2006年第7回童子大賞を受賞されている実力派の俳人である。本句集は、第1句集『迪』刊行後の15年間の作品を収めた第2句集である。帯文を辻桃子主宰、栞を安部元気福主宰が寄せている。 あの嶺はかつて登りし草いきれ 迪子さんとは中学生の時からの親友だ。 あれから五十余年、俳句を始めてから二十八年、迪子さんのひたすらさは少しも変わらず、くっきりとした『沓あと』がここにある。 辻桃子主宰による帯文だ。前の句集『迪』に寄せた序文を読むと、辻主宰とたなか迪子さんは十三歳のときからの仲良しでお互いの家を行ったり来たりして遊びあう親友であったということ。その信頼関係がいまもこうして俳句をとおして続いているのである。 栞を寄せた安部元気さんは、「多様な季語を生かす技」と題してこの句集の魅力について語っている。本句集に収録された季語の多様さに触れ、その理由をこんな風に語る。 理由は想像がつく。作者や私が師事する「童子」の辻桃子主宰は、季語を使いこなす大事さを繰り返し述べている。「歳時記には、こんなに沢山の季語があるのだから、安易に使い慣れた季語を取合せるのではなく、もっともっとさまざまな季語を使って冒険をしたらよい」と指導されることも多い。作者は「童子」の生え抜きのひとりとして、その教えを忠実に守って句作を続けてきた。 だが一歩退いて考えてみると、ふだんの暮らし、特に都会の暮らしのなかで、こうした季語の「現場」に居合わせたり、実感を持って詠んだりするのは、かなり難しくなっている。(略)辻桃子主宰は第十三句集『馬つ子市』のあとがきで「失われてゆくものの面影をひろい歩くことが、私の俳句なのかもしれない。時代の流れに忘れられてゆくものをこそ詠み留めておきたい」と述べている。そこに流れているのは単なる郷愁ではなく、人々の暮らしの底に脈々と受け継がれているもの、民俗へのまなざしだろう。古い季語をあえて使っていくことは、一つの決意なのだ。その精神は、この句集にも色濃く受け継がれている。 一の字の一番難し筆始 でこぼこな地球とおもふ登山かな 技巧を感じさせないこうした素直な句が、季語を活かす志とともに、この句集の大きな魅力になっている。 本句集は本来の四六判よりすこし細めの大きさに三句が一ページに収められている。だから、二句組みよりもちょっと賑やかな感じがすのだが、ページを開いて読んでいくと、作品の持つ達者なリズム感に載せられてどんどん読んでしまうのだ。読者にあまり負担をかけないそんな句がさまざま季語を詠み込みながら立ち上がってくる。多作多捨を実践してきた人の気持の良いまでのスピード感がある。 フットワークのいい句集というべきか。。 山容のどつしり現れて井水増す 糸瓜忌の汗をかきたるチョコレート 棒鱈のただ棒として凍てにけり なきがらに波音途切れざる日永 あらたまの鯉に包丁つかまつる コンソメにつめたき匙や鳥の恋 火蛾飛んでをかし哀しき春歌かな 足裏に眠りのツボがすいつちよん 傷口がやつとかさぶた遠足子 原稿を一行削り蠅叩 神等去出(からさで)の荷物受けるに認印 ちようろぎや最後に母の酔ひたまふ きんつばの四角四面も納税期 釈奠(せきてん)のスープくぐるや散蓮華 瘡蓋(かさぶた)のほろと八十八夜かな 水打つてあたりに翳の生まれけり 親子ほど齢の違へどばつたんこ 降誕祭汚れし皿を重ねては 雲呑(ワンタン)に浮き旧正の灯のひとつ お中日はたきの音をいや高く 百たびののちも逢ひたし桐の花 父の日や皮の表紙のなまぐさし わたつみや昼寝にもつてこいの岩 秋興のめくれあがりし楽譜かな 俳句と出会って二十八年、第一句集『迪』からいつしか十五年、今年古希を迎えました。日々の俳句を通し、四季のある自然への感動と畏敬の念は募るばかりです。(略) 古来より、万物に神が宿るという考え方があります。日々の中にも時にはどこかそうした神々を感じつつ、季語の奥深さに魅せられ歩き続けてきました。 ふりかえれば、訪れたそれぞれの地で、目に見えない何か不思議な力に導かれて生まれた句、また何気ない日常詠を含め、すべてが〝賜りもの〟であったと思います。 ますます客観写生への道のりの遥かなることを実感するこの頃です。これからも句座を楽しみながら、こつこつとこの道を行こうと心新たにしています。 「あとがき」から抜粋して紹介した。たなか迪子さんは、親友であり師である辻桃子を心から信頼し、その提唱するところの「季語への挑戦」を果敢に実践している俳人である。ぶれることがない。 ほかに、 花人のほろほろ酔うて磯づたひ 優曇華に雨や早めに灯ともして 梅雨鯰貧しき面でありにけり 終電に男女駆け込む近松忌 どの窓も夜業の人や月を見ず 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 前句集もそう。そして前句集とまったく同じサイズで趣向の異なるもの、というが、著者のご希望だった。 紫の布クロスを表紙にやや古典的な造本であるが、判型が細長ということでスマートな感じもある。 それを決めていただいてすべてが決まった。 金箔が紫によく映える。 いくつか迷ってこちらに決められたたなかさんだったが、出来上がってから「やっぱりこれにして良かった」と。 扉。 かぎりなく黒に近い紫と墨刷りの二色刷り。 沓跡はまつすぐ神へ木の根開く 句集名となった一句である。「木の根開く」という季語をうまく使っている。 「木の根開く」という季語についてわたしも知ったのは、二年ほど前である。歳時記にも載ってないことが多い。「立ち木のまわりの雪がいちはやくとけること。雪国の春を告げる現象である。」木のまわりだけが丸く解けはじめていることって見ますよね。あれです。 「沓」と表記したことも、「沓跡」を集名では「沓あと」としたことも、すべてはこの著者のこころに適っている。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は平田洋子句集『喇叭』より。 薄氷やパレットに足すみどりいろ 「薄氷」は春先に薄く張る。うすごおりとも言う。冬の水とは違って消えやすくはかない。そのはかなさがこの季語の本意である。今日の句、池のそばなどで写生をしているのだろうか。もしかしたら薄氷の張った水をくんで緑の絵の具を溶いているのかも。「嘴の先つぽ赤し薄氷(うすこおり)」も句集『喇叭』にある洋子さんの句。 坪内稔典さんといえば、今日神保町で、「坪内稔典著作百冊出版記念お祝い会」が行われている。沖積舎の沖山隆久さんの呼びかけで、わたしも発起人のひとりに加えていただき、本来ならいま参加してお祝いをしていなくてはいけないのだが、お客さまが来る予定があったので、Pさんに替わりに行って貰った。 今日の会の様子は明日Pさんの報告と記録をまって、このブログに紹介をさせて頂く予定である。 さきほど、LINEでPさんより会場風景の様子が送られてきた。 坪内稔典さんが、恥ずかしそうに微笑んでいる場面だ。 坪内さんは不思議な人で果敢に人と交わるのだけど、その実、すごく恥ずかしがり屋さんだ。 わたしも実は恥ずかしがり屋(笑うな!)なので、坪内さんの気持がわかる。 坪内稔典さま、今日まで百冊の御著を刊行されたことは素晴らしいと思います。 大いに今日は盛り上がってみんなにお祝いしてもらってくださいませ。 わたしも心からお祝い申し上げます。
by fragie777
| 2016-02-23 20:22
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