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2月20日(土) 土脉潤起(つちのしょううるおいおこる) 旧暦1月13日
![]() (レンズに水滴がついていたのに気づかなかった、ところどころボケてみえるでしょ。それがそう) 一日出かけていていまは仕事場。 パソコンを立ち上げてから、いつの間にか寝てしまった。 慌てて起きて、一瞬ここがどこであるか分からなかった。 (なんだ、仕事場か、、、極楽鳥の飛ぶニューギニア島でなんかあるはずもない) 気を取り直してブログを書いてしまおう。 俳人の中岡毅雄さんが、共同通信による新聞掲載記事を送ってくださった。 「上質の美的世界の追求」というタイトルで藺草慶子句集『櫻翳』についての批評である。 送られて来た句集の封を切った途端、その造本の美しさに思わずため息が出る。そのような経験は、めったにない。そんな中。藺草慶子の第4句集『櫻翳』は、まず間村俊一の装丁に引きつけられる。カバー図版は、ターナーの「三つの海景」。さらには、ページ上部が金色の「天金本」。 もちろん、装丁だけが素晴らしいのではない。本句集には、2002年から15年までの作品から、239句が収められている。厳選である。それだけに密度の高い一冊になり得ている。 藺草は、処女句集『鶴の邑』から、一貫して抑制の効いた上質の美的世界を追求してきた。その基本的な姿勢は『櫻翳』においても変わらない。 十人の僧立ち上がる牡丹かな 一人の僧が立ち上がるというのならば、平凡だが、10人という数に意外性がある。季語の牡丹は、一句の景を華やかに彩っている。 叡山やみるみる上がる盆の月 「みるみる」の修飾語に臨場感がある。いずれも、的確な描写の背後に作者の審美眼を感じさせる。 その一方で変化しつつある部分もある。一つ目は、自己の命のありようをうたおうとしている面である。 いづこへもいのちつらなる冬泉 一病にいのちふかまる冬の草 両方とも、「いのち」の語が用いられている。1句目は自分の生命が、あらゆる他者とつながっているという実感をうたったもの。冬泉の森閑とした景が、そのまま作者の心持ちと韻きあっている。2句目は、病を得ることによって、命のかけがえのなさを痛感するようになったのだろう。青々とした冬草が、目に染みるようだ。 寒紅梅晩年に恋のこしおく 本格的な恋はまだこれから。きっと晩年に訪れるのであろう。その思いが、寒紅梅の凜として艶やかな趣と重なり合っている。 変化してきた二つ目としては、幻想的な作品がところどころに見られることである。 わが身より狐火の立ちのぼるとは 内面から立ちのぼる狐火から、生き霊のような怨念を感じさせる。 吾もまた誰かの夢か草氷柱 「壮子」の「胡蝶の夢」を想起させる。「草氷柱」が、虚構と現実の橋渡しをしている。 中岡毅雄さんと藺草慶子さんは、かつては同じ結社に所属し若かりし頃にはともに吟行をして研鑽しあった仲間である。藺草慶子の作品を読み続けてきた中岡さんである。 この批評からもその作品の良き理解者であることが良くわかる。 さっ、書き終えたぞ。 それにしてもお腹がすいた。 家までちょっと持たない。 あらら、 「おこげ揚煎」がある! 1,2枚シッケイして食べてから帰ろうっと。 (それにしても藺草慶子さんの美的世界からあまりにも遠いわが現実よ、、、、) と煎餅を咥えながら思った次第である。 ![]() 毎朝膝の上にのってきて邪魔をする日向子。
by fragie777
| 2016-02-20 21:01
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