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1月21日(木) 大寒 初大師 旧暦12月12日
今日は大寒である。 日差しは明るいが身体に切り込んでくるような寒さだ。 商店街の通りには汚れた雪がところどころ無残なかたちで残っている。 新刊紹介をしたい。 富川明子句集『菊鋏』(きくばさみ)。 著者の富川明子(とみかわ・あきこ)さんは、昭和13年(1938)京都生まれ、千葉県八千代市在住。昭和52年((1977)より、俳誌「沖」に入会、平成16年(2005)に「沖」同人になられている。能村登四郎、林翔、渡辺昭に俳句を学んで来られた方である。およそ40年の句歴だ。本句集は第1句集、昭和52年(1977)より平成25年(2013)の37年間の作品を厳選して収録したものである。 序文は能村研三現主宰が寄せている。 片ことが増え不思議ふえ赤とんぼ 初心とは白あかつきの水芭蕉 喪ごころのただ青梅雨に佇ちつくす 鶏頭の抜かれし土の微熱かな 噴水のゆるびて向かうの景色かな 滝おとを白と思ひぬ薄暮かな 落葉松降れり流砂ともちがふ音 紙風船突いて空気のかたちかな かはせみの凝視の先のいのちかな 飛び込みの指の先まづ水を割り 筍にゑぐみ老年反抗期 ためらはぬとは竹皮を脱ぐかたち 雲一片無き青空は鷹のもの さすがに長い句歴の方だけあって、多彩で自在な句が多い。能村研三主宰は丹念に作品をひろいあげ、一句一句に丁寧な鑑賞をほどこしている。 若竹の真みどりといふ一本気 富川さんの家族に対してまた物事全般に対しても前向きで潑剌と突き進んでいく姿勢が垣間見られ、読者にもその明るさがしっかりと伝わってくる。 ほつれ糸切つてもらひぬ菊鋏 本句集のタイトルとなった一句である。「菊鋏」は序文によると菊鋏と言っても植物の菊を切る鋏ではない。ということ。京都で生まれ京都での生活が長かった富川明子さんであるゆえ、これは高級刃物で知られる「菊一文字」の鋏のことであると。。この「菊一文字」は、七百年の伝統を誇り、後鳥羽上皇の御番鍛冶で、刀匠の元祖と言われる則宗が、作刀に菊の御紋をいただき、その下に横一文字を彫ったことからこの名がついたそうだ。ということ。そうだったのか、わたしはすっかり菊を切る鋏であると思っていた。が、菊を切る鋏として読んでも面白いと思う。序文によれば、著者の富川さんは、版画画家でもおられる。「「俳句と版画は、いずれも引き算の芸術で、余分なものを削げるだけ削いで如何に省略を利かして本質に迫るかが問われているので、目指すものが驚くほど似ている。」とはご本人の言葉である。 吸うて吐いて麻酔は暗渠の花筏 麦秋の風ゆらぎ来る麻酔さめ 後半の部分におかれた句である。 順風満帆に俳句と版画の世界でひたすら精進されていた富川さんであったが、数年前に脳腫瘍が見つかり手術をされた。それと同時に平衡感覚が失われるという難病を発症し、これまでのように自由に勉強会や吟行会に行くことが出来なくなってしまった。ご本人が一番もどかしく思っておられることだが、ご主人の献身的な協力に支えられているという。現在は不自由な体をいたわりつつ、句会にも参加されているのは嬉しいことである。 先日、「沖」の方々の出版をお祝いする会があって、本句集のお祝いもあり担当のPさんが出席した。 富川明子さんももちろん出席されていて、大病をされたにもかかわらず、杖はつかれていてもとてもお元気なご様子だったということが嬉しい。 俳句に出会ってかれこれ四十年程経ちました。それ迄、句集や雑誌などで読むことはあっても詠む楽しさを味わうことは考えてもいませんでした。句歴は長いものの、忙しさにかまけて沖誌への投句が滞りがちの時期もありましたが、そのうち次第に楽しさが分かりはじめ、今日まで俳句を作りつづけてきました。 能村登四郎先生、林翔先生、渡辺昭先生の三師に師事し、現在は「沖」主宰能村研三先生のご指導のもと、俳句の奥深さをかみしめる幸せを感じております。(略) 病を得て不自由な身になりました私に何かと手をさしのべて下さる友人達、日々支え続けてくれている夫や家族にも心から感謝しつつ、今の自分に出来る事を精一杯やっていきたいと思っております。 「あとがき」より引用して紹介した。 くさめして叱言の芯をずらしけり 大文字筆法に無き火のはしり 夏風邪の結局は診てもらひけり 柊挿す夫には告げぬ鬼を飼ひ 四月かな真四角に着る紺背広 若さとはこの完璧な水着あと 水音のかすかへ傾ぐ青芒 銀やんまの空欲し叱る子もう無くて 若水ややつぱり苦し粉薬 たんぽぽの絮吹き肩書取れし夫 亀鳴くや薄型テレビの裏つ側 雪解川水のことばのあふれ出す 滴りのひとしづく欲しもの忘れ 雲の峰抜き手の先へまた先へ カレンダー十二枚目の寒さうな 柚子は黄に測つてもらふ骨密度 雪積むやふつと聴力への不安 初秋刀魚まだ海泳ぎゐるまなこ かき氷こめかみといふ泣きどころ 屑金魚真つ赤元気を貰ひけり 作品は、能村登四郎の師系に連なるだけあって、人間の息づかいが一句一句から立ちあがってくるものが多い。 自身の心音に耳をすませながら対象に迫っていく方だ。身体感覚を抜きにしては成立しない俳句である。 本句集は最近では珍しくなってしまった函入りのものだ。 装丁は和兎さん。 富川さんのこだわりに応えて、和兎さんは頑張った。 わたしも函入りの本作りは久々で嬉しい。(函は不要と言ってしまえばそれまでだが、すべてを必要不要で判断する文化はいずれ痩せていくような気がする。) 今回の和兎さんの装丁は、用紙は和風なものを用い、デザインをスマートかつモダンにしてみせた。 同じ用紙を用いて同じインクの色で印刷。 大胆であるがすっきりとしたデザイン。 正論にぬくもりが欲し菊を焚く この句、句集の前の方におかれてるのだが、さすが京女の魂を宿している富川明子さんである。 わかるよなあ、これ。 「菊を焚く」という季語を配したのもいい。 人間関係の繊細なありようは、成熟した文化のなかで培われる。なんて分かったように語るyamaokaであるが。。。。。 お元気そうなご様子がなによりである。 今日の船団ホームページの坪内稔典さんいよる今日の一句は、稲畑康太郎句集『玉箒』より。 寒紅はピンク勝負服は真紅 稲畑廣太郎 えっ、そう? と立ち止まらせるところがこの句の見どころだろう。普通、寒紅は真紅、勝負服も真紅という感じがする。出たばかりの句集『玉箒』(ふらんす堂)から引いた。
by fragie777
| 2016-01-21 19:16
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