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10月28日〈水) 旧暦9月16日
サンプラザ前の広場。 今日は中野サンプラザにおいて日本歌人クラブ主催の「東京ブロック大会」が開催された。 そこで優良歌集賞の授賞式がおこなわれふらんす堂より刊行された宮地しもんさんの歌集『f字孔』受賞された。版元としてお祝いに伺っていま戻ったところである。 受賞された方は三人。 伊勢谷伍朗歌集『VIENTO=風』〈本阿弥書店刊) 小林敬枝歌集『わたくしの水脈』(ながらみ書房刊) 宮地しもん歌集『f字孔』(ふらんす堂刊) あらためて自分の歌集を読み返してみて、実に子どもの歌が多いなあとわれながら思いました。子どもの歌ばかりつくっているときは、実は子どもの歌ばかりつくる自分がいやだったんですけど、「塔」の先輩方からは「あなたはどんどんどん子どもの歌をつくりなさいよ」って言われまして、どうしてそんなことを言うのかなあって思いながらも結局は子どもの歌をつくっている日々でした。ですがいま二人の子どもも成長しまして家を出ました。今思いますがやはりあの時期にこどもの歌をつくっていて良かったと思います。一時引きこもりをしていた息子がいるんですけど、その息子もこの度の受賞をとても喜んでくれまして、「撲が身体をはってネタを提供したんだ」って言うのです。時は流れるものだなあって思いました。「生活に密着したところからしか感動は生まれない」と言ったのはわたしが好きな前衛舞踏家の大野一雄さんでした。あの踊りを踊る大野一雄さんがどうしてそんなことを言うのだろうかと疑問に思ったのですけれど、少し考えてやはりそうかなあと思います。これからこの受賞を機に歌をはげんでいきたいと思いますが、生活に密着したところから今しか歌えない歌を、ということでまた歌をつづけていきたいと思います。 宮地しもんさんのご挨拶である。以下歌集『f字孔』より。 なぜここに青いすべり台があるのだろう こんなさびしい雪の野原に 半ズボンのポケット返せばさらさらとわたしの知らない砂時計なり 安物のパズルのような隙間あり この家にあるいはわたしの中に f字孔のぞけば暗き空間よ 空のつくものなべて大切 驟雨去り世界はどこか鮮(あたら)しくなりぬ わたしはパンを買いに行く 満月と電柱の距離をなんと言おう 明るき夜にふたつならびて われの死後も生きてゆく吾子膝に抱きむらさきだいこん揺るるをながむ 西空にひとはけの雲きょうわれは怪我をしたこどものように過ごしぬ 授賞式のあとは歌人大島史洋氏の講演があった。 タイトルは「歌の交差するところ――近藤芳美・土屋文明」 ふたりの歌人の出会いから話を説き起こし、「近藤芳美は社会や政治、思想に正面からぶつかり歌をつくった。それに対して土屋文明は身の回りの親しい人から発想して個人へ寄り添うように歌をつくった」など、興味ふかい講演内容だった。 左手前宮地しもんさん。小林敬枝さん、うしろ伊勢谷伍朗さん。 ご受賞された皆さま、今日はおめでとうございました。 昨日の「増殖する歳時記」は土肥あき子さんによって江渡華子句集『笑ふ』より。 どうせなら月まで届くやうに泣け どうしようもなく泣く赤子に焦燥する母の姿というと竹下しづの女の〈短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎〉があるが、いくら反語的表現とはいえ世知辛い現代では問題とされてしまう可能性あり。ひきかえ、掲句のやけっぱちなつぶやきは、おおらかでユーモアのある母の姿として好ましいものだ。赤ん坊の夜泣きとの格闘は、白旗をあげようと、こちらが泣いて懇願しようと許されない過酷な時間だ。愛しいわが子がそのときばかりは怪獣のように見えてくるのだと皆、口を揃えるのだから、今も昔も変わらぬ苦労なのである。続けて〈「来ないで」も「来て」も泣き声夏の月〉や〈笑はせて泣かせて眠らせて良夜〉にも母の疲労困憊の姿は描かれる。とはいえ、子のある母は若いのだ。健やかな右上がりの成長曲線は子のものだけではなく、母にも描かれる。100日経ったらきっと今よりずっと楽。がんばれ、お母さん。『笑ふ』(2015)所収。 江渡さんはまさに「ドスこい母さん」だ。 子どもの泣き声だって歓迎しちゃう。。。 つきぬけるような明るさがあり、翳りのないのが気持いい。 ちなみに今日の受賞歌集『f字孔』も多くは子どもを詠んでいる、が、子どもへの向き合い方がずいぶんちがう、そこが興味ふかい。 一首のみ。 子に夫(つま)にさびしさおしつけ曇天にのぼる階段かけあがりたし 宮地しもん 俳句と短歌のちがいもあるのかもしれないが、 お母さんもいろいろとあっていいのだ。
by fragie777
| 2015-10-28 20:21
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