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10月14日(水) 旧暦9月2日
夕方のこと、仕事でいろんな詩を読んでいたスタッフの一人が、 「ああ、これyamaokaさんをはげます詩です。」って言って詩を朗読してくれた。 茨木のり子さんの「汲む」という詩だ。 大人になるというのは すれっからしになることだと 思い込んでいた少女の頃 立居振舞の美しい 発音の正確な 素敵な女のひとと会いました そのひとは私の背のびを見すかしたように なにげない話に言いました 初々しさが大切なの 人に対しても世の中に対しても 人を人とも思わなくなったとき 堕落が始るのね 堕ちてゆくのを 隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました 私はどきんとし そして深く悟りました yamaokaをはげますのはとくに次からのものらしい。 大人になってもどぎまぎしたっていいんだな ぎこちない挨拶 醜く赤くなる 失語症 なめららでないしぐさ 子供の悪態にさえ傷ついてしまう 頼りない生牡蠣のような感受性 それらを鍛える必要は少しもなかったのだ 年老いても咲き立ての薔薇 柔らかく 外に向かってひらかれるのこそ難しい あらゆる仕事 すべてのいい仕事の核には 震える弱いアンテナが隠されている きっと わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました たちかえり 今もときどきその意味を ひっそりと汲むことがあるのです 「ありがとう! つまり人前で話すのが苦手でもいいってことよね。震える弱いアンテナか……いいわねえ」 でもね、わたしこんなに可愛くないよ。もっともっと鉄面皮なおばさんなのだ。ゴメン。。。 多くの方に待たれていたシリーズ自句自解1 ベスト100 『西村和子』が出来上がってきた。 本書は俳句の入門書として優れていると思う。 どう優れているか、自身の体験をとおして俳句をつくることを深めていったことが具体的にわかるように書かれているのだ。「師というものはどういうものか」「結社というものはどういうものか」「句友とは」「句会とは」などなどが観念ではなくまさに体験をとおしてその必要性を説いているのだ。師に出会わなかったら、結社に所属しなかったら、句会に出なかったら、当然のことながら俳人・西村和子は生まれていなかった。揺るがない信念をもって書かれているところがいい。あるいは西村さんは恵まれた俳句的出発があったと思う読者もいるかもしれないが、わたしはそうは思わないのだ。かつて西村さんからこんな話を聞いたことがある。 大学生になって、俳句を学ぼうと思い、ふたつの俳句の会に顔をだしたということだ。 一つは師となった清崎敏郎が指導する句会、もう一つはある著名な俳人の指導する句会、清崎句会では、あたらしい女性の学生に対してまことに無愛想に句会が進められたという、そしてもうひとつの句会では、大歓迎で迎えられ驚くことにその俳人の傍に座らされて指導を受けたという。西村さんは、「厳しい無愛想な清崎先生の句会に行くことにすぐに決めた」とわたしに話してくれた。 自分をすぐに認めてくれる人ではない、もっと厳しい人を選ぶのが西村和子という人間なんだとわたしはその時思ったのだった。 そういう人間である西村和子の今日までの俳句への真剣な向き合い方が本書にはすべて書かれている。 初心者には是非に読んで欲しい一冊だ。 20句のみをえらんで英訳を同時刊行。 先週アメリカのニューヨークにお弟子さんたちと行かれた時にこの英訳ももっていき、俳句の交流にたいへん役だったということである。 「本のつくりが美しいって誉められたわ」と西村和子さん。 本文より一句についてのみ紹介。 囀に色あらば今瑠璃色に 卒業の時、俳句は私に合っているでしょうか、と清崎先生に尋ねた。合っていなかったら止めてもいいと思っていた。「そんなもん、十年やってみなきゃわかんねえよ」それが師の答だった。気の遠くなる年月に思えた。 結婚の翌年、新緑の上高地に二人で行った。雨あがりの高原は見るもの聞くものすべてが鮮やかに澄んでいた。ラ行の音の重なりは意図したものではなかったが、その日の心弾みの表われかも知れない。 (『夏帽子』昭和四八年) 「私を育ててくれた人々」という後の文章から、すこし紹介したい。 「そんなもん、十年やってみなきゃわかんねえよ」それが先生の答だった。その一言に誘われるように、卒業後、就職しても、結婚後も、子供が生まれても、二児の母となっても、私は俳句を作り続けた。 その後読んだリルケの「若き詩人への手紙」にこんな一節がある。 あなたはほんとうに若く、あらゆることの始まる以前にいらっしゃる。ですからわたしはできるだけあなたにお願いしたいのです。どうか、あなたの心のなかのあらゆる未解決のものに対して忍耐をお持ちになるように、そして問いそのものを閉ざされた部屋のように、非常に未知な言語で書かれた本のように愛することにつとめて下さい。今は答をお求めにならないでください。(略)今はあなたは問いそのものを生きてください。そうすればおそらくあなたは、気づかぬままに、おもむろに、いつの日か遠い将来に、答のうちに生きておいでになるでしょう。(生野幸吉 訳) ほんとうにその通りだった。私はその後、十年はおろか、気がつけば五十年も俳句を作り続けている。まさに答のうちに生きている。そして、不思議なことに、三十三年間師事した先生の声は、先生が亡き後も聞こえてくるのだ。自分の至らなさにめげる時、迷う時、先生は何と言われるだろうと耳を傾ける。ひとつの仕事をなし終えた時、先生に先ず見ていただきたいと思う。この自註百句も、初心の頃の百句と同じ思いで、先生にさし出したい。 「師」というものはきっとこういうものだろう。 すべての俳人がこのような師に出会う幸せを手にするとは限らないが。。。
by fragie777
| 2015-10-14 17:59
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