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9月23日(水) 秋分の日 旧暦8月11日
![]() ![]() ![]() ここ数日、犬をテーマにした面白い書物を読んでいて、犬をみるとついその精神性まで思いを馳せてしまう。 最近会った見過ごせない犬たち。 たとえばホメロスの叙事詩「オデュッセイア」に登場する老犬アルゴスだ。 この書物をひもとけばその老犬とオデュッセウスとのせつない交流をもっと知りたくなってくる。 日頃読むことなどを放擲してしまった書物を手にとってみたいと思わせる、そんな犬にまつわる魅力ある一書なのである。 けっして犬好きではないんだけど……犬が気になっちゃうのよねえ。 (小さい頃追いかけられた恐怖の体験がある) 9月19日付の東京新聞の岸本尚毅さんによる「俳句月評」は、「俳諧國之概略」と題して、先日刊行された俳句雑誌「ku+」二号の綴じ込み付録(?)であった「俳諧國之概略」を中心に句集を紹介している。この「俳諧國之概略」については、個々の俳人のカテゴライズの適否はさておき、一般的な思潮用語で俳句を語った点は興味深い」と岸本さんが書かれていることにわたしも賛成である。(ただし、俳句を語ったというより俳人を分類したというべきかな。。。。) ![]() ふらんす堂刊行の句集三冊について触れているので、全文を紹介したい。 俳句雑誌「ku+」二号の特集「クプラス謹製平成二十六年俳諧國之概略」(上田信治他による)は「ロマン主義」「伝統主義」「原理主義」という三つのキーワードにより当代の俳人の作風の位置関係を同一平面上にプロットした。表現史や俳壇史のような史的視座でなく、現在の時間断面で切り取った「俳諧國」の姿というわけである。同号は子規特集でもある。「俳諧國之概略」というタイトルは子規の時代を彷彿とさせる。 ロマン主義、伝統主義等は俳句に限らない一般的な思潮用語である。俳句におけるロマン主義とはどのようなものか。たとえば石田郷子の近刊『草の王』(ふらんす堂)の「我が机銀漢の尾に据ゑてある」は「我が机」を大宇宙の一点とみなす発想がロマン的と言えようか。「日輪や柳の糸を手に受けて」「供花挿せばすぐに蜂来る残暑かな」「足元のこれも露けき鹿の糞」と詠む石田は「俳諧國」においては「ロマン主義・等身大派」の代表的作家とされている。 「香水や仏蘭西映画わかるふり」は杉山久子『泉』(同)より。「白菫かたまり咲くをけふの糧」と詠んだ杉山も石田と同様、ロマン主義に括られている。 「その樹下に鹿立つ夜の山桜」「春惜しむ吉野に続く峰を見て」「稚鮎跳ぶならむ遠くに光れるは」は茨木和生『真鳥(まとり)』(角川書店)より。「俳諧國」における茨木は「ロマン主義・文学派」とされるが、「その場跳びして寒鴉戯るも」「探し物するごとく見て涅槃絵図」「名前なき仔猫をみいと呼べば来る」のような諧謔味のある句も特徴的である。 「人類に貨幣の歴史春の海」は大串章『海路』より。「春の海」は海路による交易の歴史へと連想を誘う。この句集には、「雨粒か木の芽か白く光りけり」「稲舟の波来る岸に濯ぎもの」「初蝉を聞き空蝉を拾ひけり」「木曽川の澄むを城主のやうに見る(犬山城)」「酔客に絡まれてゐる雪だるま」など美しい句や俳味のある句がある。ちなみに「俳諧國」における大串は「伝統主義」の中核の一人とされている。 「俳諧國之概略」は、個々の俳人のカテゴライズの適否はさておき、一般的な思潮用語で俳句を語った点は興味深い。そう書いている岸本は、原理主義寄りの伝統主義者とされている。 おしまいに柏原眠雨『風雲月露』(紅書房)に触れる。本書は手引書ではあるが、俳句の本質と連歌俳諧の歴史に関する記述が手厚い。手引書としての平易さを保ちつつ「俳句性とは何か」という問題意識が全篇を貫く。「俳諧國之概略」によれば、「俳句とは?」と問い続けることが俳句における原理主義である。哲学者である柏原の俳句論もまた原理的な志向を持つものと言えよう。 東京新聞はなかなか目にする機会がないので思い切って全文を引用したが、引用ミスがないかな。。。。。 今日は一日よく仕事をした。 電話は留守電にしているのでまったく出ない。 コール音が鳴らないので、留守電が点滅して電話があったことを知る。 仕事場で口にしたものと言えばお昼の三切れのサンドイッチとバタークリームパン、そして珈琲のみ。 あと水を一杯飲んだ。 今晩はちょっといい赤ワインを奮発して家で乾杯だ。
by fragie777
| 2015-09-23 18:22
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