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8月23日(日) 処暑 旧暦7月10日
今日は思いもかけない良き休日となった。 「金子國義 in Wonderland 優雅な条件 金子國義を偲ぶ7日間」 という案内を貰っていたのだ。 今日行かなければもう行く時間がとれない、ということで思い切って会場の白金台にある八芳園に向かった。 八芳園はあまり足を踏み入れたことのないゴージャスな結婚式場で、広大な日本庭園がある。 今回のイベントはその5,6階で開催されていた。 足を踏み入れるとそれはもうよく知っている絵がずらりと展示されている。 わたしたちがかつて訪ねた洋館の一室を再現したもの。 関係グッズの販売室もあって、わたしは古書店で一冊の本をもとめた。 執筆陣の素晴らしさと編集が良いと思ったら、詩人の高橋睦郎さんの編集によるものだった。 高橋さんご自身でも「年譜の余白に」というタイトルで金子國義論を寄せている。1979年に刊行された本であるから、ある時期までの國義論となるが、いい文章だ。 全文を引用したいところであるがそうはいかない。 金子國義に会ったとき、私は二十七歳だった。金子は二十八歳だった。夏だった。 チェックの半袖のシャツを着て、バーミューダ・ショーツを穿いた彼は、二十歳そこそこに見えた。二度目に私の部屋に来たとき、絵を描いていると言い、三度目に来たとき、絵を描いた板きれを持って来て、置いて行った。わたしはそれを洋間の本棚の上に置いて、忘れていた。 やがてその絵は横尾忠則をして「凄い絵だね、ぼくはもう描くのが嫌になった」と言わしめ、澁澤龍彦によって世に紹介されていく。もちろんそのためには高橋睦郎さんのひそやかな尽力があったのであるが。金子國義という人間を見つづけながら淡々と記されたこの金子國義についての一文はとても面白い。しかし、あえてこの箇所のみを紹介したい。 金子が口にした言葉に感心させられたことがある。あるとき私がたいした意味もなしに、「きみはどんなことがいちばん好き?」と聞いたことがある。金子は「そうね」とすこし考えてから、「苦学生が一年間、一所懸命働いて学費も貯め、目指す学校の試験にも合格したとするでしょ。そいつの貯めた学費を奪いとって、どぶの中に捨ててやることね」と言ったものだ。この何気ないブラック・ユーモアは、私の中におぼろげにあった芸術家の定義を明確にしてくれた。それは一言で言えば、芸術家はけっして世の中をよくするがわの人間ではなく、かえって世界を滅ぼすがわに加担している人間だ、ということである。 芸術はけっしてほんらい善なるものではないし、後生大事なものでもない。しかし、その悪の要素をしたたかに含み、いくらでもほかととり替えが効くはずの芸術というものに捉えられて、これからどうしようもなく逃れられなくなった人間を、芸術家と呼ぶ……こういう芸術観・芸術家観のきっかけを与えてくれたことを私は金子に感謝している。 興味をもった方はぜひに全文を読まれることをおすすめしたい。後半は金子國義の絵についての本質論が展開されていてさらに興味深い。 澁澤龍彦が金子國義によせた文章は(これもいい)、かつてこのブログで紹介したことがあるので今日は省きます。 詩人の吉岡実が「夢のアステリスク」と題して寄せた詩の「***」の詩のみを紹介したい。 夾竹桃の花散る窓べで 毛糸を編む少女 これはわたしの想像する〈淫らな聖画〉である ジッパーの内側に 少女の裸の乳房はかくされている 一皮それを剥ぐと 死んだ内蔵のかわりに うぶげの兎がまるで水子のように 二つの耳を折って さかさまに浮んでいる 浄らかな朝 肉体と精霊のように 分離する 〈皮と骨〉 「それは近くに 共存しているようで きわめて遠くへだたっている」 そのなかの一点。 23日から29日まで入場料1000円(飲み物がつきます)、興味のある方は是非に。 金子國義の初期のころの油彩を見られたのは感激だった。 と言っても興味のない方はもいらっしゃるでしょうけど。 この催しのもう一つの魅力は、金子に師事した人形作家の井上文太の 「井上文太 in Wonderland 」 の同時開催である。 井上文太さんの人形たちについてはまた、あらためて紹介したい。 ダルタニアンも三銃士もホームズもいました。 ここはホームズのみ。 たのしい空間です。 わたしは会場をあとにして八芳園の庭を散策。 くつろいでいるわたしの足。 だはっ。
by fragie777
| 2015-08-23 20:14
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