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8月14日(金) 旧暦7月1日
手前黒いのはわがお腹。 あちゃ。。。 お盆休みであるので、台所の下をのぞき込んで20数年前にいまは亡き母にもらった一升瓶に入っている胡麻を捨てた。 赤茶けた胡麻をゴミ袋のなかにドバドバとあけながら、20年の歳月が音をたてて流れ去っていくようだった。 (ああ、お母さん……) 母が生きていたら今年で93歳になっていたんだということを昨日の帰郷で改めて知ったのだった。 わたしの母は永遠に78歳のままで、それ以上は歳をとることはない。 新刊句集を紹介したい。 滝本香世句集『待合室』(まちあいしつ)。 著者の滝本香世(たきもと・かよ)さんは、昭和22年(1947)山口県宇部市生まれ。平成9年にインターネットを通してのネット句会に参加して作句をはじめ、平成11年俳誌「百鳥」に入会し大串章に師事、平成16年「百鳥」同人となる。本句集は第一句集でありこれまでの作品を四季別に収録して編集。序を大串章主宰、跋を詩人の清水哲男氏が寄せている。耳鼻咽喉科の医師として働きながら母であり娘で在り祖母である著者にこの句集をとおして出会うことになる。句集名「待合室」の由来は、私の日常のそばにある「待合室」をこの句集の題名といたしました。と「あとがき」にある。 春愁やインターネットに迷ひ込む 母の日や我しなやかに老いんとす 十三夜ややこしきこと嫌ひなり 小春日の正論吐いて了ひけり 昇降機春着の子らの飛び出せり 終戦日愛国心を子に問はれ 葱坊主友多き子に育ちけり 爽やかに子は父親の顔となり 診察は桜を愛でて始まれり 脈取りて患家の辛夷問うてをり 老医師の沈黙長し扇風機 百歳の耳を診てゐる秋日かな 鵙日和医師も患者も老いにけり 医務始赤子泣かせてしまひけり 雛の日の絵本繰る子や待合室 風邪の子のがんばると言ひがんばりぬ 大串章主宰は集中のたくさんの句をとりあげ、滝本香世さんの俳句のさまざまな特質にふれ俳句は自ずと作者の人柄をあらわすものなのである。と記し、著者の人間性にまで細やかに目を行き渡らせている。 立春大吉赤鬼二日酔ひらしき 蛸焼きに蛸見つからぬ夜店かな 羅や聞えるやうに独り言 この案山子大阪弁をしやべりさう 看護師の愉快に太りカーディガン 日向ぼこ女盛りの過ぎにけり 最後に、香世俳句の滑稽・俳諧味に触れておきたい。ここに見られるユーモア精神は、句集『待合室』を明るく豊かなものにしている。それは香世さんの生まれながらの性格でもあるにちがいない。心配ごとの絶えない子育てや、苦労の多い医業の句を多く収めながら、『待合室』一巻があたたかく和やかなのは、このユーモア精神に拠るものにほかならない。 滝本香世さんは、家庭と医業に携わる自らの立場を踏まえ、自由闊達に句作りを行っている。そこには紛れもなく香世さん独自の世界が生まれている。その世界は今後ますます広くなり、深みを増していくだろう。 一方、跋文を寄せられた清水哲男氏のタイトルは「香世句八景」と題して8句をとりあげ鑑賞をほどこしている。そのひとつを紹介したい。 雪道の小さき足跡途切れけり 何の足跡なのか。作者の好奇心といっしょに、読者の想像もひろがってゆく。 この想像力への刺激は、そのまま本書を読む楽しみにつながってくる。日常的な題材をとらえて、そこに展開されていく好奇心の渦巻き。よく目を凝らさないと見逃してしまいそうな情景の数々。それほどに香世句の世界は油断がならないし、ぼんやり読んでいくと日常の不思議に足をすくわれてしまいそうだ。 楽しくて、しかも考えさせられる句集をありがとう。 滝本香世さんは、いわゆるキャリアウーマンの走りである。多忙ななかであらゆることをこなして生きて来られた方であり、現在も溌剌と仕事をされている女性だ。序文にもあるように現代的であり自身をよく見極めるクールな視点を持ち、医師という仕事に誇りをもち家族を愛し幼い子どもを暖かく見つめる優しさも備えている、というまことにカッコいい女性である。きっとお目にかかったら気持の良い方なんだろうなあって思う。 日々が流れていくように居心地の良い句座を過ごしてきましたが、最近は、自分の句の身の程あるいは出来る事出来ない事が、うすうす分かって来ました。個性豊かな、あるいは詩情性の高い句、類想を寄せ付けない発想の句を読むと、自分の句が一気に平凡にみすぼらしく思えてしまいます。句集を編むことで、自分の句を見つめ直す良い機会が与えられました。まだまだ未熟かもしれません。しかし、私はいまだに娘でありそして妻であり母であり祖母であり医師です。この確かな生活感こそ、句材となり俳句を作る原動力になるのではと強く思うようにもなりました。これは間違いなく自分だけの世界です。これからも日々の俳句を極めるべく、大串主宰のもとで明るい叙情性とおおらかな人間性のある句を目指し、仲間と共に鍛錬したいと改めて決意しました。 「あとがき」の一文である。高ぶることなく世界にいつもやわらかく心を開いているひとりの大人の女性がいる。 ほかに、 福寿草六十路になりてわかること 屋根替の声をかければふたり居り トンネルの先もトンネル山桜 診察券出して金魚を囲みをり まつくらな海あり夜の水中花 石蹴りの石に影あり原爆忌 母の日の母の手首の輪ゴムかな ちよんまげのホームレスゐて小春かな 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 いろんなラフイメージの中から選ばれたのが、この可愛らしい装画のものである。 すこし可愛らしすぎるかしらって最初は思ったが、いまつくづくと本句集とよく合っていると思っている。明るくあたたかな著者の人間性が伝わってくる。 最初はもっと淡い色の予定だったが、「赤」に変更した。 多分、この装画のような居心地の良い「待合室」なんだろうと思う。 箒草鈍感力を信じけり 集中の一句。 「鈍感力」って面白い言い方だ。 実はこの言葉、わたしにはとてもよくわかり、うん、そうよね、って思わず頷いていしまう。 ときには状況によって「鈍感力」が必要とされることがある、って「鈍感」を自負(?)しているわたしは思う。というか、とても繊細にはなれない「鈍感な自分」をそうやって言い聞かせていることがある。そうでもしないと生きていけないじゃない、と。わたしの場合は居直っちゃうんだけど。 この句とても気に入った。 「箒草」の季語で詩になった。 繊細でないことを嘆いている方々、 「鈍感力」を信じましょうよ。
by fragie777
| 2015-08-14 18:19
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