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8月12日(水) 旧暦6月28日
今日のわたしたちはみなこんな風に作新学院の応援湯にユニフォームを着て、野球帽をかぶって仕事をした。 ここには写っていないけど緑さんももちろんわたしも。 その甲斐(?)があって、作新学院は上田西高校に10対5で勝利したのだった。 ふらんす堂は大喜びである。 文己さんの弟君のキャッチャー横尾君はみごと先制ヒットを放ったのだ。 歌人の高野公彦氏からも「横尾君、先制ヒットを打ちましたね」というFAXをゲラのお返事とともにいただいたのだった。 実は、高校野球をご覧になられるのなら是非に作新学院を応援してください、ってゲラをお送りするお手紙に書き添えたのだった。 「ひゃあー、文己さん、高野先生も応援して下さったわよ。良かったわねえ!」と大騒ぎになったふらんす堂である。 次の試合は15日。 スタッフのPさんは、夜行バスにのって甲子園球場まで行って文己さんとともに応援するって張り切っている。 いやはや暑い八月となりそうだ。 今日の船団ホームページは、赤坂恒子句集『トロンプ・ルイユ』より。 空がおほきく大きくなりて晩夏 晩夏には空が大きくなる、その発見、よく分かる気がする。しかも、大きくなった空は少しさびしい。句集『トロンプ・ルイユ』(ふらんす堂)から引いた。 このところ、キース・ジャレットのピアノを聞いている。透明感のある音が好き、ちょっとしたさびしさも。 昨日は、第二句集の句稿を持って、前北かおるさんがご来社くださった。 前句集『ラフマニノフ』に次ぐ第二句集となる。 第二子となる娘さんが誕生されたのを記念として句集を刊行されたいということである。 今回の句数は300句。 この300句がどのように選ばれたか。 ちょっとびっくりするようなお話を伺った。 前北かおるさんは、学校の先生である。 今年、勤務先が慶應中等部から慶應志木高校へと転勤になった。 そこで俳句のユニークな授業を展開したのだった。 まずは自分の俳句作品をひたすら生徒に読んで聞かす。 (寝ている生徒もいたということ) そしてご自身が用意した1200句のデータを二クラス95人の男子生徒に渡し、300句を選ぶことを課したという。 「どうでした? ちゃんと生徒は選んで来ました?」 「ええ、結構みな選んできました」 もちろん選び方によっては、最初のみの300句とか後だけとか、要するにちゃんと読まないでいい加減に選んだのもあったとのことで、信頼に足るであろう50数名の生徒の選句を活かしてまずはデータを整えた。 その次は、同じ俳誌「夏潮」(本井英主宰)で学ぶ句友の杉原祐之さんが300句を選んだ。 その二つの資料を中心にあらためて自身で選んだのがこの度の第二句集の句稿300句である。 「それは面白いですね! 前北さんが捨てた句で復活したものもありますか?」 「ええ、かなりあります。自分だけで選んでいたら捨てていた句をふたたび拾うことになりました。杉原君にも助けられました」と。 選句にかかわった生徒にとっても、彼らが関わった俳句が一冊になる、というのはとても興味深いことだと思う。 「句集が出来上がりましたら、もちろん彼らにも一冊ずつ渡そうと思っています。」 それは反響がとても楽しみである。 前北さんとしては、渡した句集でさらにもうひとつ突っ込んだ働きかけをしようというお心つもりがあるらしい。 しかもさらに驚いて笑ってしまったのは、帯に掲載する10句は、生徒たちが選んだベスト10句を載せるという。 「実は僕が落とした句もそこには入っているんです。その句がどうしてそんなに人気があるのかわからないんですけど」とにっこりとする前北かおるさん。 生徒たちも自分たちが選んだ句の結果を、その現実の句集を通して知ることになるのだ。 わたしは前北かおるさんの今回の実験的な句集の試みを伺いながら、ある意味すばらしい俳句授業ではないか、と思ったのだ。 外側から俳句を知るのではなく、聞き知り見て選ぶという行為をとおして主体的に俳句に関わることになる。 自分の選んだ句が、いったいどうであったのか。どんな句がベスト10入りしたのか、あるいは選ばなかったいい句を見出すことも。 出来上がった句集を手にしたときの生徒たちの反応を私もおおいに知りたくなった。 志木高校は、自然に恵まれて原生林のような森があるという。 生徒たちとときどき吟行をするという。 楽しい句集づくりになりそうだ。 そして今日の夕方は、突然に阪西敦子さんが近くに来たついでにと立ち寄って下さった。 「仙川にはときどき来るんです。美容院が仙川なんです」と阪西さん。 阪西さんは、俳誌「ホトトギス」と「円虹」に所属する俳人である。 とてもお若いが、俳句は七歳のころからやっている。おばあさまが「ホトトギス」の俳人でいらしたのだ。 「今回やっと句集をつくるための準備をはじめられました。」ということ。 お目にかかるたびに「句集をおつくりましょうよ」と申し上げていたのだった。 なにしろ長い間俳句を作り続けて来られたので、その句を整理するだけでもたいへんだったようである。お仕事も忙しい。 今日はいろんな句集をご覧になっておおよそのイメージを決められたのだった。 超結社の若い俳人たちとの句会を中心とした交流もあって、活き活きと俳句をつくられているご様子だった。
by fragie777
| 2015-08-12 18:47
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