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6月23日(火) 乃東枯(なつかれくさかるる) 旧暦5月8日
冬のある日、白鷺にみとれてわたしは大切なものをこの小流れに落としてしまった。 幸い水涸れの季節で水はあまりなく、それゆえに深くなっているそこをわたしは泥だらけになりながら石垣をはっており水に濡れた大事なものを取り上げたのだった。 そばでわたしの必死な冒険を友人が笑いをかみ殺しながら見ていた。
ここを通るたびにわが武勇伝を思い出す。 同じ日、谷保の古民家の縁側に寝かされていた赤ん坊。 生まれて二ヶ月とのこと。 この日は梅雨晴れ間の一日。 縁側をふきぬけてゆく風に赤ん坊は涼しそうだった・。 抱く吾子も梅雨の重みといふべしや 飯田龍太 まさに梅雨の赤子である。水気たっぷり(?)というべきか。。。。 わたしは赤ちゃんの足をぎゅっと触って「生気よわが身に来たれ」って念じた。 わたしたちもかつては皆こんな足をしていた。 そう思うと愛おしくなる。 昨日の讀賣新聞の仁平勝さんの「俳句時評」に榎本好宏句集『南溟北溟』(飯塚書店刊)と『原田喬全句集』(はらだたかしぜんくしゅう)の二冊がとりあげられている。タイトルは「季傘なりの仕掛け方」。ここでは、『原田喬全句集』について紹介したい。 一句に複数の季語が入るのを季重なりといい。一般には避けるべきこととされている。情緒が月並みになるからで、まあ初心者にはタブーだろうか。でも、虚子はこれを嫌わなかった。ようは句が良ければいいのであって、そこはプロの腕の見せどころだった。という書き出しではじまる。 『原田喬全句集』(ふらんす堂)を紹介したい。平成十一年に他界した原田喬の既刊四句集を収録したものだ。 ここでその全貌を伝えることはできないが、興味深いのは、五十七歳で上梓した第一句集が「赤城山総落葉して冬来たり」という季重なりで始まることだ。二十六歳の昨で、いわば初心の一句だが、「総落葉」という措辞には、季語の枠から自由な抒情がある。 この句は、父原田濱人が主宰する「みづうみ」の創刊号に投句して掲載された。感心するのは、この季重なりを許容した濱人の度量である。若き感性の表れ方を大事にしたのだろう。 また第三句集で、「甚平を雲のごとくに終戦日」の句が心に残る。これも季重なりといえるが、甚平を「雲のごとく」着るという感覚は、平和の実感とは微妙に違う。その屈折した比喩に、シベリアに抑留された作者の戦争体験が反映されているはずだ。 おなじく讀賣新聞の枝折には、小野恵美子著『水原秋櫻子・一句の風景』が紹介されている。 秋櫻子の知られざる句を中心に、120句を館賞する。巻末の季語別と初句の索引も参考になる。 先日ふらんす堂に立ち寄ってくださった長岡裕一郎さんの姉妹、池田ひろみさんと板屋ちさとさんが、写真をおくってくださった。 高尾の長岡裕一郎さんの墓前で。 池田ひろみさん(左)と板屋ちさとさん。 掲げているのは、ふらんす堂刊行の「猫帖」。
by fragie777
| 2015-06-23 19:40
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