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6月4日(木) 旧暦4月18日
車から降りると同時に撮影。 気持の良い青空が広がっていた。 今朝、仕事場で 「yamaokaさん、ピアスは見つかったんですが?」とスタッフの緑さんが心配そうに聞く。 「ああ、あったのよ!」 「どこにですか?」 「ふふふふ、お財布の中!」とわたし。 いろんなとこ捜してお財布にたどりついたんだけど、よっぽど大事だと思ったのかしら、お財布に入れたなんて。。。。。 実は、 わたしはわたしがよく分からんのである。 で、 まだピアスはお財布の中に入りっぱなしなのよね。 ふらんす堂文庫に大分品切れが出てきたのであるが、再版を開始していきたいと思っている。 まずは、久保田万太郎精選句集『こでまり抄』からはじめたい。この『こでまり抄』は人気商品でなんども版を重ねてきたのだが、ここにきて製本屋さんが廃業してしまったために途絶えてしまったのだ。 しかしなんとか新しい製本屋さんとの出会いによって再版ができる状態になった。 再版をするにあたって内容をすこし整理しバージョンアップさせ読みやすい形にして読者に提供をしようということになった。 バージョンアップとは、季題別索引と初句索引をつけることにしたのである。 どんな作品が収録されているか、あるいはどんな季語で万太郎は作品を読んでいるか、 すでに一冊をもっておられる方も、このバージョンアップされた『こでまり抄』を是非お手元に置いていただきたいと思っている。 出来上りまで、どうぞもう少しお待ちくださいませ。 こちらはいままでの『こでまり抄』 万太郎は少年時代よりいち早く俳句に手を染めて、文壇・劇壇に活躍した。しかし終生句作を止めることは無かった。万太郎が句作を開始した十七歳頃は、あたかも子規没後、高浜虚子・河東碧梧桐が競合しはじめた新しい俳壇の興隆期であった。 万太郎は虚・碧俳壇の圏外で、町なかの運座(句会)で技を磨き、やがて慶応義塾学生の当時、江戸庵籾山梓月(もみやましげつ)に接し俳諧の機微を学ぶ。さらに松根東洋城の下で徹底して技(わざ)を磨くと共に、その心境表現の主張に賛同し実践を重ねた。(大正初年、二五~二七歳)。関東大震災以後、初めて下町を離れ日暮里に移住し、近くに住む芥川龍之介と親しく交流するに及び、俳句の近代性への確信を強めていく。こうしてみると万太郎の俳歴は、正岡子規の俳句革新以来の俳壇の主流からは外れた流れの中で抒情の火を育てていったと言える。 久保田万太郎は今後、小説家戯曲家として以上に俳人としての名が、より永く残るであろう。何故ならば、その作品群が俳句史の宇宙の一ところに異彩を放ちつづける星雲として輝きつづけているからである。後続の俳人たちにとって、それは一度は洗礼を受けねばならぬ未来性をもつ光茫と言えるだろう。(『こでまり抄』(成瀬櫻桃子・解説より) 久保田万太郎は、その俳句が多くの人に愛される俳人である。 虹いでてそらまめも茹であがりけり 万太郎
by fragie777
| 2015-06-04 18:33
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