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5月28日(木) 旧暦4月12日
結局今年はご近所の薔薇巡りをすることもなく終わってしまった。 去る5月23日(土)に九州・久留米市の石橋文化会館小ホールにおいて第24回丸山豊記念現代詩賞の授賞式が行われた。 受賞は、ふらんす堂より詩集『流れもせんで、在るだけの川』を上梓された若尾儀武さんである。 本日その資料を若尾さんより送っていただいたのでここにすこし紹介したい。 本詩集より、詩が一篇紹介されている。 地図 卒業間近 きみは廊下のすれ違いざまに何重にもたたんだ紙片をぼくに渡した 手書きの地図だった 終点に「わたしんち」と小さく書いてあった 分かった 行くと目配せして その日 ぼくらはいつもより無口でいた きみの地図 迷おうにも迷いようがないほどに分かりやすかった ところがどうしたことか 橋を越えたあたりからあやしくなった 見知らぬ鳥が飛来し 道はぬかるんで 鳥にしろ ぬかるみにしろ 昨日きょうのこととは思えず 何かしらそのこと自体が意味帯びて 結局あの日 ぼくはきみが印した「わたしんち」に辿りつけなかった 地図に間違いがあったとは思わない ぼくはぼくで道筋を逸れていたとは思わない なかったんだよ 地図にはあっても 橋のむこうには きみの地図 今もぼくの手元にある ぼくは市販の詳細地図と引き比べ それを辿ってみるが 何度歩いても橋を越えたあたりからなんとはなしにずれていく そしてきみが印した「わたしんち」は いくら探しても地図の風景にはない きみが自慢した朝鮮ツツジの色濃い紅も その花影すら残していない 地球儀を回せば埃のように飛んで消えて 何がなくなったのかいい当てられないほどの それでも残る 消えても在るきみの「わたしんち」 地図をかすかに風が吹いている 選者は、野沢啓、木坂涼のお二人の詩人である。 おふたりの選者による選考経過を紹介したい。 若尾儀武詩集『流れもせんで、在るだけの川』は、作者が過ごした異郷の人たちとの少年期、を柔らかく、また烙印のようにも手繰り、歴史をも透視させている。書かずにはおれなかったという自発の重みも、手応えある「この一冊」になったといえよう。最後の最後まで好敵手だったのが中森美方詩集『幻の犬』。敬意をもってここに記しておく。 そしてこれは木坂涼さんの講評である。 「わたしの周りには多くの異郷のひとがいた。わたしは1946年に奈良県大和郡市の農村部に生まれた。そして18歳までそこで過ごした。村の大人たちは、「あの人らとあんまり遊ばんほうがええ」と言った。(作者「あとがき」より。 詩集『流れもせんで、在るだけの川』を読み始めたとき、物語を読むような感覚に見舞われた。上質な短編小説の、ある一部分に接するような感じもあった。 60代の作者が自身のの少年期を眺めれば、そこはもう物語に近いのかもしれない。けれどここにある物語は過去に終わるものではなかった。29の詩篇は一貫して「異郷のひと」を探り辿る。差別、疎外、畏怖。当時の少年はそういう語を知らず、また大人になった作者も告発や懺悔として回想しているのではない。消えることのない感覚や会話などを通して、終わりを許ない内在する体験を描いていく。事実を盛り込みながらの冴えた改行のカッティング、「行間に託す」という詩の魅力も十分に発揮されている。いい一冊に出会えた。 この授賞式において、受賞者の若尾儀武さんは記念講演をしておられる。 その内容もいただいていま手元にあるのだが、ここでは全部は紹介できない。 そのほんの一部となってしまうが紹介したい。 最初の問い、「どうして半世紀も前のことを書いたのか」に答えるとすれば、「受賞のことば」に加えて、こんなことしか申し上げることができません。高く切り立った目的意識があって、その目的を果たすために書いたというのであればすっきりとするのでしょうが、私の場合、そういう答え方からは程遠いのです。乱暴に括るとすれば、半島とこの国との間で起きていることに反応してとか、各地で起きているヘイトスピーチに反応してとか、そのことについて何かメッセージを発したくてとか、ということとは直接的に結びついてはいない。そんなことが、あろうがなかろうが、書くことは誰にも約束していない約束であったような気がするのです。 最後に一つの危惧を述べさせていただきます。私は子どもの頃にした体験という窓をとおして詩を書きました。どのような体験であれ、年月の隔たりは、元々あった棘や醜さを捨象して、思い出という美しい衣装をまとわせます。ですから、そのことを警戒して、今を生きている私の言葉に手触り感を、体重を、息づかいを心として書きました。しかし、それでも出来上がった作品は、テーマとしては大変重いものを、思い出という余りに美しい、小さな世界に封じ込めているのではないか、と危惧していました。 それを選者の先生方は、「『流れもせんで、在るだけの川』は、作者が過ごした異郷の人たちとの少年期を、柔らかく、また烙印のようにも手繰り、歴史をも透視させている」と読んでくださいました。もったいないようなお言葉です。改めてお礼を申し上げます。 昨年、6月、本詩集を出しまして、半年以上、私は自分の内部の言葉を耕すことを忘れて、外の世界の言葉を探しまわるようなことばかりしていました。それ故に、書くに書いても、書くことの意味を見いだせないままでいました。 しかし、このような晴れやかな場に立たせていただき、丸山豊氏の「詩を砥石として、人間性を豊かに高めていくことを期待する」という言葉に接して、ここ数ヶ月、私に欠けていた視点はまさにこのことだったと痛感しております。本賞をいただいた今、この言葉を胸に刻み、表現者としての螺旋階段を登って参りたいと思います。 若尾儀武さま 第24回丸山豊賞のご受賞、おめでとうございます。 心よりお祝いを申し上げます。 なお、「ふらんす堂通信145号」でこの受賞特集を予定しています。 若尾さんの詩の先生でもあり、本詩集の装丁を手がけられた稲川方人さんはこの授賞式に同行された。 その稲川方人さんからも、「丸山豊賞に寄せて」というタイトルで原稿をいただけることになった。 若尾儀武さんの新作とともに楽しみにしていただきたい。
by fragie777
| 2015-05-28 19:38
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