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5月26日(火) 旧暦4月10日
この日たくさんの飛行機雲を見た。 昨日の山の木の花は、広葉胡麻木(ヒロハゴマギ)の花と、愛媛県宇和島に住む俳人の松本秀一さんが教えてくださった。 松本さま、有り難うございます! 詳しく知りたい方は、こちらから。→広葉胡麻木 見たものの名を調べるのって案外たいへんでむずかしい。 図鑑と首っ引きになって丹念に見ていくしかないのかもしれない。 わたしはそういのまったくダメ。 だからいつも他力本願。 簡単に教えて貰って、「ああ、そうなの」と思い、そしてすぐに忘れる。 一所懸命調べてみつけた人には許せないヤツとなる。 名前を知ることは、かかえている世界が一ミリずつ確実に広くなるというのに。 25日の讀賣新聞に過日「赤のシリーズ」第一回配本で句集『精霊舟』を上梓された瀬戸口靖代さんのインタビュー記事が掲載された。 紹介したい。タイトルは「情が透けて見える表現」。文責は佐々木亜子記者。 俳句を始めて約20年、「歩いてきた道をかたちにしよう」と、「天為」同人の瀬戸口靖代さん(68)が第一句集『精霊舟』(ふらんす堂)を出した。〈先導の鉦つつましき精霊舟〉は、初めて詠んだ句。〈父母なくば遠流のごとしゆすらうめ〉は、すっと出てきた神さまからの”賜り句”だ。収録した400句一つ一つに思い出がある。 長崎出身。大学で中世の和歌を研究し、高校の国語教師を務めた。短歌は10代から作っていたが、40代になり、自分の心情が吐露されることにまめらいを覚えるようになったという。2,3年の後、句会に誘われて参加して以来、俳句一筋だ。 主宰の有馬朗人さんは、俳句の抒情は渇いた抒情でなければならないと説いた。「物に託すことで心のありようを表現できる。情が表に出るのではなく、透けて見える表現が面白いと思いました」 蚊帳越しの漁火、殉教の碑……。「俳句は人なりといいます。心にかなうまで作りたいですね」 この記事にはゆったりとした微笑をみせる瀬戸口靖代さんの写真がある。 そして同じ日の同新聞の仁平勝さんによる「俳句月評」では、村上鞆彦句集『遅日の岸』が評されている。 村上鞆彦は三十代で「南風」の主宰(津川絵理子と共宰)だが、このたび第一句集『遅日の岸』(ふらんす堂)を上梓した。つまりこれまで句集を許ない主宰だったわけで、本書はその実力を見せてくれる一巻である。 たとえば、「青竹の束に祭の前の雨」。祭のために準備した青竹だろうか。雨に濡れたその色が瑞々しく、祭を待つ高揚感をうまく表現している。「祭の前の雨」を詠んだ句というのを他に知らない。 「雨あしのやがて揃ひぬ冬紅葉」もいい。ようは本降りになることだが、なるほど、こんなふうに詠めば冬の雨にも情緒が出る。冬紅葉を背景にして、前景に雨脚が映像で見えてくる。 「灯ともりて窓あらはるる蕪村の忌」は、「蕪村の忌」で蕪村の水墨画を連想させる仕掛けか。「灯ともりて」によってそれが夕暮の遠景になる。蕪村忌は冬だから、現れてくる「窓」が暖かい。 こういう句に比べると、二十代の作である「吊革のしづかな拳梅雨に入る」とか「秋の雲いくつ流れてシャツ乾く」はやはり弱い。「しづかな拳」は作為的だし、「「いくつ流れて」も甘い。でも「シャツ乾く」なんて、青春が終わると詠めなくなるかな。 昨日紹介するつもりでいた新刊句集を紹介したい。 石井俊子句集『空の色』(そらのいろ)。 著者の石井俊子(いしい・としこ)さんは、昭和20年神奈川逗子市生まれ。平成21年に「天為」横須賀俳句教室に参加、24年、「横須賀俳句協会」に入会し、伊藤登詩会長に師事し現在に至っておられる方だ。略歴によれば岸本尚毅さんの指導の「ふらんす堂句会」にも参加されている。そのご縁でこの度ふらんす堂より第一句集を上梓された。序文は伊藤登詩会長が、跋文は横須賀文化協会理事の芳賀久雄さんが寄せている。 本句集は、生前のお母さまとの約束を果たすべく刊行されたと「あとがき」にある。 空の色両手で掬ふ山清水 句集名となった一句である。 山清水に映りこんだ空、空もろともにその冷たい水を両手で掬いあげたのだ。 水の冷たさ、空の青さ、夏山の緑、そして温かなふたつの掌、まるでこの双手のためにのみそれらが存在するかのようだ。 著者の前向きな心持ちが山清水の澄んだ気配のなかに横溢しているような一句である。 盆用意母ゐるやうなゐるやうに 母かとも思ふ蛍を闇に追ふ 雛飾り明るきうちに灯しけり 亀の子に竜宮城を買ふ余生 椅子ふたつ並べ独りの夕涼み 星合や泣くも笑ふもこの夫と 俳句歴五年の作品としては注目すべき句も多く、努力の並々ならぬものがある。好きこそ物の上手なれとは俊子さんのための言葉かもしれない、そのような感じを受けた。母上を送ったその後、自身の病が発覚したにも関わらず、俊子さんの俳句に対する情熱はいささかの変わりもなく、益々の精進を続けておられる。まだまだつたない句も散見されるが、それはこれからの課題であり、休まず急がず遅れず、俳句を愛し、母上を愛し、ご家族を愛し、自身の命を愛し、その明るい笑顔で、好きな俳諧を自分史の一環として、より一層楽しく生き甲斐とされることを願っている。 伊藤登詩会長の序文の一部を紹介した。 入選の報来て春のあふれけり という句があるように、著者の石井俊子さんは、各地で行われる俳句大会に積極的に応募をされ入選を果たしている。本句集にはその入選句も選者の名前とともに収録されている。いくつかを紹介すると、 白神の雨後の陽射しや山芽吹く (岡田日郎選/入選) 子規堂の部屋の中まで緑さす (今瀬剛一選/入選) 柳絮飛ぶ下を黒猫もどりけり (神野紗希選/秀逸) 春愁や微笑むやうに老いの来る (神蔵 器選/入選) 竹筒に秋の七草夢二の忌 (稲畑廣太郎選/佳作) 逢ふもまた別るるも露しぐれかな (宮坂静生選/入選) 跋文を寄せられた芳賀久雄さんは、一句一句を著者の気持を踏まえながら鑑賞しておられる。 横須賀俳句協会が毎月行う例会のたびに石井さんの作品を鑑賞しています。石井さんの作品からは、十七音に表現される洗練された言葉づかいは言うまでもなく、そのお人柄から滲み出る、女性らしいユーモア精神、そして時に茶目っ気すらも垣間見ることができます。 ご病気になられていても、それを感じさせない情熱と前向きな姿勢は、私など、同じような経験をしてきた者にとり、大いに見習いたいと思います 富士山のやうな唇氷菓舐め 溶けて垂れてしまいそうなアイスクリームをおいしそうに舐める子どもを見ていると、大きく開けた唇が、まるで富士山のように見え、微笑ましくなってきます。 音もなく絵のやうに来て初紅葉 夏が過ぎ、季節の移ろいは音もなく静かなものです。はっと気が付くと一枚の絵のような、鮮やかな紅葉が目の前に広がっています。 ほかに、 余生とは残さるること鳥帰る 囀りや我も密かに紅を引く 息吸ふも吐くも片陰風の中 昏睡の母を照らせり盆の月 かまつかとひとつ心の夕日かな 野分なかこのまま母を逝かしむか 墨汁の一滴こぼれ子規忌かな 子供らの好きな抜け道木の実降る 語るやう見守るやうに野菊咲く 要介護五の祖母見舞千歳飴 それからと猫に問ひけり漱石忌 母の椅子枝垂るる梅に向きしまま 人を待つ心にも似て雛かざる 独り居になれ老いに慣れ桜どき 人悼みをり菜の花の生けられし 栗の毬空青きことばかり言ふ 石蕗咲くや未来まだまだあるやうに 平成二十五年十二月、三年余りの闘病の果て母が亡くなりました。句集を作って、お世話になった方々に謝恩会を開くことを、病床の母に約束して励ましてまいりました。しかし、その約束を果たせないまま、母は逝ってしまいました。 翌春、私の癌が判明し、何もかも虚しく父母の許へ逝こうかと考える日々でした。 そんな時、「伊藤園お~いお茶新俳句大賞」の二次予選通過の知らせが届きました。 結果を知りたいと思う心が手術を決意させました。 湘南病院のお二人の主治医の先生、看護師さん、ヘルパーさんに見守られ支えられ励まされ、会長や先生をはじめ句友の皆さまから温かい励ましのお言葉や、お手紙をいただき、再び俳句を続けられるようになりました。少し大袈裟ですが、生まれ変わった気分です。 「あとがき」を紹介した。お母さまを亡くされ、ご自身も癌を患い辛い日々なかでふたたび俳句へと向き合い闘病のなかで多くの励ましを得、そして句集上梓へと至ったのである。 言葉につくせぬおつらい日々だったと思う。しかし俳句はいつも石井俊子さんと共にあったことをこの句集は語っている。俳句を息を吐き出すように作りながら著者は肩の荷をおろしているかのようだ。それほど俳句は著者の身に添うている。 本句集の装丁は、和兎さん。 実はこの表紙がまず決まっていた。石井さんがご来社した時に決められたのだ。 この色に響くようにカバーや扉はデザインされたのである。 晴れやかな一冊となった。 しみじみとした人生の哀歓ががさりげなく詠まれている句集である。 春愁や微笑むやうに老いの来る 神蔵器選にも入った句であるが、コワイ一句だ。 「微笑むやうに老いの来る」というこの言葉がなんともである。気持がざわざわとしてくる感じ。 「春愁」という季語が諦念をさそうように老いの微笑みを照らしだす。
by fragie777
| 2015-05-26 19:02
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