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4月10日(金) 鴻雁北(こうがんきたす) 旧暦2月22日
夜中をまわってしまった。 今日は田園都市線の桜新町で「高柳重信を語る会」があって今戻ったところである。 高柳重信の弟子である福田葉子さんのおはからいで春の一夕を桜新町に集まったのだった。 存じあげている方もいるし初めてお目にかかる方もいて、福田葉子さんのよびかけに集いともに語らい楽しいひと時を過ごしたのだった。 福田葉子さんがテープをCDに焼いてそれぞれにプレゼントしてくださった。 ここには高柳重信の肉声がはいっている。 是非に聴きたい重信のことばである。 昭和十五年に書かれた俳句である。 第一回 天香俳句会記念 とある。この「天香」とは、1940年に「定型・自由律の両派 を含め新興俳句の総合誌」として刊行されたもの。 聖林子(杉村猛)、白泉(渡辺白泉)、京三(秋元不死男)、昭(三谷昭)、三鬼(西東三鬼)、辰之助(石橋辰之助)が名をつらねそれぞれの句が直筆でそれぞれ書かれている。 「新興俳句弾圧事件」にまきこまれた「京大俳句」のメンバーである。 思い出の写真のなかから。 ちょっとピンボケのものが多いのでわかりにくいかもしれないけれど。 高柳重信(真ん中の写真)、高屋窓秋(左上)、司会をする折笠美秋、手前三橋敏雄、若き日の夏石番矢さんの姿も。一番上の女性は若い日の福田葉子さん。 福田葉子さんは、戦後の昭和21年に第3次「群(むれ)」で高柳重信とであった。そこではともに俳句を作ったのだが、やがて福田さんは結婚して俳句から離れた。 昭和36年、ふたたび高柳重信と出会い、「俳句評論」によって俳句を作り始めたという。 重信との再会がなければ俳句をこうして今日まで作り続けることはなかったということである。 今日の会で1991年の5月11日の行われた高柳重信墓参会につどった人たちによって寄せられた俳句のプリントが配られた。すべての人の句を紹介したいところであるが、今日出席された方の句をまず紹介させていただく。 いつか彼を虹の端より呼び出さん 大井恒行 たましいが服着て恥じる墓の街 FUU(高柳蕗子) 人慣れぬ富士の三角墓の四角 福田葉子 ほかに存じあげている(いた)方の句 青嵐やビールの壜に霊降りて 糸 大八 重信晴れといふべきかこの富士の下 桑原三郎 翁寂び媼寂しく桐の花 高屋窓秋 青葉して尽忠の人いま静か 夏石番矢 ああ、もう真夜中をずいぶん過ぎてしまった。 明日は早くからちょっと遠方に友人たちと遊びにいくことになっている。 一泊の旅となる予定であるが、まだなんにも準備していない、、、、 これから明日の出発の時間を確認し、旅行鞄に荷物をつめて、それからお風呂に入って、寝る、という予定だけどいったい寝る時間があるかしら。 いいや、新幹線のなかでグウスカ眠っていこう。 電車のなかで寝るのは大得意だからさ。 友人たちがいるから寝過ごすこともない。 じゃ、皆さまにはお休みなさいませ。 おっと、そうだ わたしはメールの返事を書かなくてはいけなかった。 旅行の準備はそのあとね。
by fragie777
| 2015-04-10 00:02
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