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4月3日(金) 旧暦2月15日
すでに散りはじめている。 昨夕はここで「ジャズ演奏の集い」があったらしい。 今日もうれしいお知らせがある。 坂井修一歌集『亀のピカソ』が、「短歌部門」で第7回小野市詩歌文学館賞を受賞した。俳句部門は大峯あきら句集『短夜』(角川学芸出版)である。 お二人のご受賞を心よりお祝い申し上げたい。 坂井修一歌集『亀のピカソ』は、昨年の小島ゆかり歌集『純白光』につづいての「短歌部門」での受賞歌集となった。「短歌日記」というこのシリーズがこれまでの歌人の方々のご尽力によって認められつつあることを喜びたいと思う。 この小野市文学館賞についても「ふらんす堂通信」であらためて特集を組みたいと思う。 新刊句集を紹介したい。 須田冨美子句集『まなざし』。 四六判フランス表紙カバー装。200頁。 著者の須田冨美子さんは、昭和12年(1937)福島県生まれ。現在は東京在住。30代より清崎敏郎より俳句を学び、現在「若葉」同人。この度の句集『まなざし』は、前句集『雪嶺』につぐほぼ20年ぶりの第二句集となる。 夏帽子まなざし強き少女かな タイトルとなった「まなざし」という言葉はなにか象徴的な意味合いがあるのだろうか。集中に「まなざし」の言葉がある作品を調べたらこの一句があった。しかし、集名の「まなざし」という言葉にこめた著者の思いはもっと広く深いものがあるように思えるのだ。過去をふりかえり今を見つめ未来へと遠い視線をおくる、そんな風にしてこの句集を編むことを決意し、そしてその「まなざし」を以て句集をつくりあげた、自身への決意をふくむ「まなざし」であり俳句への強い「まなざし」なのだ。そう考えると夏帽子の少女の凜としたまなざしは須田冨美子のまなざしでもあるかもしれない。そんな風に思えてきた。 第一句集『雪嶺』以降の、主に六十代の作品三六〇句を収めた。選んだ基準は、思い出が鮮明な句であること。一句としては未熟であっても、懐かしい世界が広がるものとした。 「あとがき」より引用した。俳句をこれからもつくりつづけていくために、60代の作品をひとつの形にしておくことがまず著者の課題だった。そういう意味からいえばまずは新しい自分に出合うために過去をみつめる、その「まなざし」であったのかもしれない。 黒川能太き柱に凭れ見る 枯れ伏して枯野は夢を見てゐたり 黄にあらず白にあらざる春の蝶 ふらここを漕ぐことだけの目なりけり 白鷹のしんと静まる眸なりけり 破蓮を人の心のごとく見る 秋風の触れたるものの光りかな 心澄めばもの見え始む秋の堂 集中の句を読んでいくと「見る」ということにかかわる句が多いことに気づいた。須田冨美子さんは意識してはおられないだろうが、「まなざし」というタイトルを選んだそのことが俳人としてのアイデンティティにかかわるものであることを作品が実証しているように思える。〈ふらここを漕ぐことだけの目なりけり〉という句はとくにわたしの好きな句である。少女か少年か、その目線のひたむきな強さを思う。ふらここをこんな風な角度で詠んだ俳人がいただろうか。ブランコを漕ぐときそういう目になる、たしかに。ひたすらにして一心不乱だ。 いのちとは同じものなし木々芽吹く 鳥渡る命あるもの華やげる 枯園のいのちの証し寒椿 動かねば見えぬ糸蜻蛉のいのち 春山河あまたの命呼び合へる いのちとは時を惜しみて秋の蟬 春の土いのち確かむやうに踏み 集中もうひとつ「いのち」という言葉の多さに気づいた。著者はあらゆるものの「いのち」に呼び止められている。自身の「いのち」はもとより、万物のいのちが呼応しそれが著者の目にはよく見えるのだ。「いのち」もまた「まなざし」を持つ。 ふたたび「あとがき」を紹介したい。 これからと言うには時間が少ないかもしれないが、過去を少しずつ脱いで、その先に待つ新しい繫がりを大事に、時には孤独を楽しみながら、私らしい句を作って行ければ良いと思っている。 ほかに、 指冷たきことから思ひ出す一事 椿大好き椿大嫌ひ女とは 黄落に足す言葉などなかりけり 春愁と言ふふつくらと指を組み 竹林を行く正装の大揚羽 本句集はフランス装表紙にカバー掛けの瀟洒な一冊となった。 成熟した女性のシックな佇まいによくあった造本であり、装幀となった。 ブックデザインは和兎さん。 あくまでも清潔に。 大人の女性の表情をもった句集となった。 先ほど須田冨美子さんからお電話をいただいたばかりである。 「装幀を皆さんほめてくださいます。わたしもとても気に入っています」ということ。 本当にこの本の雰囲気は須田冨美子さんという人にピッタリである、とわたしも思っている。 担当の千絵さんの好きな一句は、 夏帽子まなざし強き少女かな 「日差しの強い時期に、まぶしくて細めた目が強いまなざしとなったのか、それとも何か他の要因があってそのような表情になったのかといろいろ想像を めぐらせて面白いと思いました。 句集名にこの句の一節をお選びになったのも納得です。 他にも<空鎮めてより再びの揚花火>の句も好きでした。情景が目に浮ぶような、素敵な句が多く、とても楽しく拝読いたしました。」 きりっとしたところのある千絵さんがこの句を好きなのはよくわかる。 さだかなるものの影踏む秋思かな わたしはこの句に心ひかれる。 孤独を知り成熟した女性の句だ。 「さだかなるものの影」がいい。 いったいそれは何か……ここにも視線がはたらく。 そしてそれを踏む女性、深い思いをその胸に秘めて……。 カッコいいなあ。 yamaokaは自慢じゃないけど土足でドシドシとあらゆるものを踏んづけてゆくような人間なので(困ったもんだわ)、だからこういう句にいっそう惹かれるんだと思う。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、林桂句集『ことのはひらひら』より。 花影のベンチを縛る男かな ベンチが移動しないように縛っているのだろうが、ベンチを逮捕というか拘束しているように見える。そのことを面白がっているのがこの句。縛られたベンチを解放してやりたい気分になっているのかも。作者は1958年生まれ、前橋市に住む現代の代表的俳人の一人。 おなじくこの林桂句集『ことのはひらひら』について、東京新聞の俳句月評で岸本尚毅さんが紹介してくださっている。 風明かりして山茶花はくれなゐに 「上手い人は、信じられないくらい上手くなって、その上手さの泥濘(ぬかるみ)から抜け出していくしかありませんー山口晃」の詞書を伴う。日本画家の山口は林と同じ群馬県出身。この句の手柄は「風明かり」だ。それによって「山茶花はくれなゐ」というありきたりの事柄が再発見される。大気の流れとしての風は目に見えない。しかし、「風明かり」は確かに見える。山口の言う「上手さの泥濘」とこの句がどう関係するのか。しないのか。どの答えは読者が考えるしかない。 明日からはいちおうお休みなんだけど、いろいろと予定が入っている。 目先のことに追われて、もうくたくただけど、 がんばるしきゃないわね、 そういうこと。 皆さまはよき休日をお過ごしくださいませ。
by fragie777
| 2015-04-03 20:31
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