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3月24日(水) 彼岸明け 旧暦2月5日
今年は桜がはやく咲きそうである。 仙川駅前の桜も昨日チェックしたのだがもう大分蕾がふくらんでいた。 四月にちょっと予定していることがあって、それが桜にかかわることなんだけど、わたしを待っていてくれないかもしれない。 それも、まっ、仕方ないわ。 自然の運行をいくらわたしが丹田に力のある(と思いこんでいる)女とはいえ、どうすることもできゃしないもの。 新刊を紹介したい。 太田土男句集『花綵』(はなづな)。 新書版のすっきりした読みやすい一冊である。著者太田土男(おおた・つちお)さんのたつてのご希望だ。前句集『草笛』も新書版で本句集は第四句集となる。著者の太田氏は、1937年川崎市生まれ。巻末の著者略歴の一部を紹介すると1960年に職を得て、盛岡、那須野、筑波など農水省の研究機関を転々。草地生態学を専攻し、主に牧場ぐらし。1958年に「濱」大野林火に師事、次いで松崎鉄之介に師事。1960年に「草笛」(岩手)入会、08年草笛代表。1974年「鬼怒」(栃木)入会。1994年「百鳥」創刊とともに同人。現在俳誌「草笛」代表、「百鳥」同人。 「草地生態学を専攻し、主に牧場ぐらし。」とあるが、句集名の「花綵」もそのような仕事をとおした生き方を反映している命名である。 『花綵』は『草原』につづく第四句集である。二〇〇五年から二〇一四年までの一〇年間の作品を入集した。 花綵(はなづな)は花で編んだ綱である。四季折々、花々を咲き連ねる島弧は花綵(かさい)列島ともいわれる。そんな自然に私たちは育まれている。それ故に、自然と自然にかかわる暮らしを詠みたいと願ってきた。 「あとがき」より引用した。 本句集には、帯文もなく、短いあとがきがあるのみであとは俳句作品がシンプルな装丁の下のすっきりと収められている。身近において俳句のみを自然の豊かさを感じながら味わってほしいというのが太田氏の願いなのだたと思う。 押しつけがましさが一切ない、しかし俳句への信頼に満ちた一冊である。 草刈りの終り裸になりにけり 雪解風山に向かつて嘶けり アテルイの首飛んでゐる青野かな 狼の足跡と言ひ張りにけり 夜神楽の神を酔はせて酔ひにけり 夜神楽を舞ひたる髭の濃くなれり 雪搔きて夜は裸で眠りけり 鹿の骨突き抜けてゐる夏蕨 厩出し牛に目脂のこびりつく 耕して土の素性を覚えけり 山桜熊のすがたのまま鞣す 俳句作品だけを読むとまるで古代の古事記日本書紀時代からのことが詠まれているかのような感触だ。作者の意識ははるかに時間を遡行していく。その時間を遡行する手がかりとなるものが季語だ。季語のかかえている背後のその原初をつかみ取ろうとしているかのような荒々しさが魅力だ。 現代人の自意識から解放され原始的な命が混沌のなかで燃えているものに触れようとしているというと言い過ぎか、あるいは農耕民族のもっている心意気が充満してとても言おうか。 ここに太田土男という俳人の原点があるようにわたしにはおもえるのだ。 ほかに、 清貧といふ死語のあり水澄めり 雲の端白根葵に下りてくる 太鼓鳴る方へ流るる浴衣かな 菊人形泣きて涙をこぼさざる 紅梅の笑ひの中に入りけり 闇汁の今でも解せぬもののあり 縄跳びの子の一人づつゐなくなる 落椿無傷といふはいたましき はんざきの百年後もここにゐる さくらんぼ一粒大き夕日かな 冬蜂の死にゆくからださすりけり 装丁は和兎さん。新書版の軽装版であるが、力強い装丁となった。 装丁するにあたって、太田土男さんからはひとつ条件があった。 「五〇年ほど前に八ヶ岳で採集した腊葉マイヅルソウをあしらって欲しい」ということ。 そしてそこに日本列島を配してほしいということだった。 そこに句集名「花綵」の意味がある。 担当の千絵さんの好きな一句は、 草刈りの終り裸になりにけり 「広い畑などを草刈りしていて、あまりの暑さに全身汗だくになって、帰るなり服を脱ぎすててお風呂に入ったことがあったなと、今はもうない実家の畑 を思い出して懐かしい気分になりました。 太田先生のあたたかいお人柄があらわれるような句が多く、ほっこりとした気分になりました。」 そうか、千絵さんもこの句が好きなのか。 わたしはあえてこの一句。 梟や泉のやうな一書あり 不思議な一句だ。 この句は非常に象徴的な一句に思える。 滾々とわき出づるものとは何か、そして梟とは。 わたしたちは詩歌の深遠に何を見ようとしているのか。 お客さまがひとり見えられた。 波戸岡旭氏。 波戸岡氏が主宰しておられる「天頂」の同人藤野律子さんの句稿をもってご来社くださったのだ。 藤野律子さんは、かつてふらんす堂より第一句集『潮紋』を上梓され今度は第二句集を刊行のご予定だ。第二句集は『風の章』。担当はPさん。 波戸岡さんは前の仕事場には何度かお見えになられたが、あたらしい仕事場ははじめて。 いまは大学の先生をしておられるが、来年は定年退職を迎えられるという。 ご専門は日中比較文学であるとのこと。 日本文学を勉強しようとおもって大学に入ったところ、日本文学はかな文学が主流、それに飽き足らず漢詩文学を専攻されたということ。日本の漢詩人としては菅原道真、嵯峨天皇、空海などがおりとりわけ空海に惹かれたということである。 「空海の文章力はすごいのです。」と波戸岡さん。 空海の二四歳のときの著書『三教指帰(さんごうしいき)』に触れ驚愕したことが、漢詩文学への開眼となったという。そして空海の素晴らしについて語ってくださったのだ。 ふらんす堂でこれほどはげしく魅力的に「空海」が語られたのは、はじめてである。 わたしは思わず聞き惚れてしまった。 (実はいま石ノ森章太郎の漫画『日本の歴史』でちょうど空海と最澄のところを読んでいるのね。だからとても面白かった) 渇くことのない泉のように次から次へとお話される波戸岡旭氏。 莞爾とした笑い顔が印象的な方だ。 「この夏には洛陽を旅します」と言ってお帰りになった波戸岡旭氏である。
by fragie777
| 2015-03-24 21:16
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