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3月9日(月) 旧暦1月19日
家の掃除機がとうとう壊れてしまい買わなくてはいけなくなった。 ものを買うときってどうします? わたしはほとんど迷うことがない。 即決即断かな。 とんだモノを買ってしまったということもなくなんとか帳尻が合って人生を送っているような気がする。 しかし、今はいかなる掃除機がハバをきかせているか、情報社会に生きておりますゆえに少しは知っておこうとインターネット上で簡単に調べて大手電機屋さんに買いに行くことはした。 そのようにして買ってきた掃除機、まだ箱から取り出さず畳の上に置きっぱなしである。 いったい、いつ掃除機は取り出されるのだろうか。 いまのところ他力本願のyamaokaである。 新刊紹介をします。 北本和代句集『学びの園』(まなびのその) 著者の北本和代(きたもと・かずよ)さんは、昭和7年(1932)神戸市生まれ、今年83歳となられいまは奈良市にお住まいである。昭和55年に俳句を始められ俳誌「諷詠」入門、後藤比奈夫主宰の下で俳句を学んで来られた方だ。本句集はその30有余年の作品を収録した第一句集である。句集名は、著者の住所、奈良市学園に因んだもの」と後藤比奈夫主宰の序文に書かれている。この句集の為の題簽も比奈夫主宰の手によるものだ。 牡蠣船の灯ればレトロ淀屋橋 ひつそりと守る御陵や余花の雨 山の日の人懐しく返り花 鴨泳ぐ吃水線のあるごとく 金鈴子戒壇院を荘厳す 乙訓の奥へ奥へと竹の春 耕しつ先人慕ひゐるごとく 俳句はすべて誰にでも理解の出来る平明さを持ち、ときに大きな飛躍もする。(略)取材の幅も広く瑞々しい句が並ぶ。どうぞ今後も精励されて、いよいよこの成果の上に一段と大きな花を咲かせていただきたい。 序文より引用した。 北本和代さんは、ずっと関西にお住まいの方であると思う。句集のページを開いたときから関西女性の持つはんなりとした優美さが立ち上がってくる。奈良にお住まいということもあってそこにゆったりとした物腰も添えられる。 春火桶話の糸をほぐしけり 句集のはじめのページにおかれた一句である。やわらかな空気があたりを支配し、春の長閑さと鷹揚な人間の佇まいが見えてくる。ハ行の音がゆるやかな人間関係をかもし出す。この一句によってその作者のありようと生活空間が見えてくるようだ。 繭玉をゆらして入るレストラン 叡山を指呼に涼風欲しいまま 秋風の過ぎて人語を残しけり 真白な恋の猫とは淋しげな 手に馴染む皮手袋のふと恐し ロザリオの婦女その中にゐる屛風 枇杷の花ひとり遊びのやうに咲く 芥子坊主身軽になりて世間見ゆ どぶろくをだんだん好きになる恐さ 火の玉のまことしやかに夏芝居 ふらここを漕ぎて夕日の高さまで 舞ひ下りるとき大綿と思ひけり 放心のさまに茎立をりしもの 初蝶黄人に初心者マークあり 平成元年二月義父の死去に伴い、後片付などのために梅田への行き来の度、憧れをもって見上げておりました大阪駅前第四ビルのNHK文化センターの比奈夫先生の教室に、漸く平成四年より入会することが出来ました。嬉しさと不安一杯で二十三階の教室のドアを開けますと、高階の明るさ、遠く生駒山までの展望にほっと致しました。 月二度の通い路を楽しみつつ、また教壇に立たれます先生のやわらかな佇まい、講義中には書き留めたき言葉の数々、例えば「言いきるより途中で止めた方が余情が深く」とか「季題より季感の方が大事」などなど、また没の句の何故没なのかのご教示がよく理解できます。何時の間にか水彩教室は忘れ、俳句に惹かれるようになりました。 「あとがき」の言葉を一部紹介した。句集の後半に「旅行中伊豆にて夫長逝」と前書きがあり、「旅好きの命終りし花の伊豆」の句がある。「放心のさまに」の句はそれにつづく句である。北本さんの嘆きと悲しみはいかばかりのものだったか。その次の句は「ふり返ることはなかりし蜷の道」とあり静かな諦念を感じさせる。 そして、 夫が遺してくれました小さな家の近くには大和文華館、松伯美術館があり散歩のコースになっております。そんな時々に四季の移ろいを詠み込んで作句出来ますように精進致したく思うこの頃です。 と、「あとがき」にある。 本句集の装丁は和兎さん。 装画に用いたのはラテン語で書かれた古い植物図鑑のある頁ではないだろうか。 金箔のラインを引いた。 こういうのって、気づかない人は気づかないんだけど。 北本和代さんはとても気にいってくださった。 担当の千絵さんは、 流れゆく羽衣となり春の雲 「羽衣に見立てた春の雲がとても綺麗に思え、素敵だと思いました。 北本様の句はお人柄を表すようなふんわりと優しいものが多く、とても癒されました。」 きれいな情景の句である。まさに奈良の上空にふさわしい雲だ。 わたしの好きな句は、 夫触りたるらし雛の向き変る 面白い一句だ。お二人のゆったりとした暮らしぶりが見えてくる。 お雛さまの向きがちょっと変わっていたのかしら、そこに気づくって。。。これはわたしの家のようにがさつな人間の集まりでは絶対あり得ない。 今年はさぼってお雛さま、飾らなかったしな。 お雛さまがいる押し入れの奥にむかって(ごめんなさ~い)って謝った。 読んでいるとどんどん好きになっていく一句かも。 この一句だけで生活の佇まいや時間の濃密さやご夫婦の絶妙な間柄などを語ってあまりあるものがある。 きっと大事にされているお雛さまだろう。 いいわけがましいけど、わたしん家も大事にしてないわけじゃないのよ、お雛さま。 「ふらんす堂句会」の講師をお願いしている俳人の高柳克弘さんが短編小説を書かれた。 いま発売の「文學界」4月号に載っている。 スタッフのPさんは買ってきてすでに読んでしまったらしい。 わたしはこれから読む予定。 タイトルは「蓮根掘り」 目の前にあるんだけど、なんだかドキドキしてしまうな。
by fragie777
| 2015-03-09 20:10
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