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2月5日(木) 東風解凍(とうふういてとく) 旧暦12月17日
![]() 雪になるということで覚悟して長靴をはき、車はあきらめて歩いて出社したのだが、昼過ぎには止んでしまいなんだか拍子抜けした気分。 でも大雪にならず良かった! シリーズ「大坂の俳句・明治編9」の安藤橡面坊句集『深山柴』(みやましば)が出来上がってくる。大坂俳句史研究会によるもので今回の編者は東條未英(とうじょうみえ)さん。著者の安藤橡面坊(あんどう・とちめんぼう)は明治2年(1869)岡山県生まれ、大坂毎日新聞社に入社し、高濱虚子選の「国民新聞」に投句をする。99年に正岡子規の「日本」に投句、子規の俳句革新運動に参加し、その後、「毎日俳壇」の選者となり関西俳壇の発展に貢献したと略歴にある。松瀬青々の「宝船」に数年間にわたって投句をし、その作品をみることができる。正岡子規追悼句会では、松瀬青々に並んで幹事に安藤橡面坊の名前があり、ほかに水落露石、青木月斗なども名を連ねている。子規没後は「日本」俳壇に投句。河東碧梧桐の新傾向俳句運動に共鳴した、と年譜にある。1914年(大正3年)に没、45歳の若さだった。今回の句集『深山柴』は、編者の東條さんの「あとがき」によると、 句集『深山柴』は大正十年十二月、大阪府池田の糸瓜社から発行されました。編者、発行人は糸瓜社を主宰した亀田小蛄、この句集は橡面坊の遺句集です。句集の初めに橡面坊の写真、短冊が写真版で掲げられています。そして橡面坊の短い「自序」があります。 自序 名奔利走、所謂物質的の世に処して、独り俳三昧に歳月を徒消す、自ら顧みて其何の心たるを知らず、噫狂耶愚耶将た僊耶。 次に小蛄の「選句に就て」があります。「深山柴二冊、補遺一冊」より主に選んだとありますから、橡面坊は「深山柴」という題の句稿をまとめていたと思われます。句集『深山柴』は類題句集で、季語別に句が収められています。季語の立て方には今から見て異論が出るかもしれませんが、すべて元通りにしています。 橡面坊の遺句集であること、季題別になっているものをそのままに採録したこと、そして一千句ほどあったものを今回半分の五百句に絞ったとある。 作品をすこし紹介したい。 正月の庵に淋しや鮭二本 物を喰ふ口臈たしや嫁が君 飛ぶ鳥の障子に影や春の雪 牛の眼のとろりと草に蝶々かな 雲涼し岩に彫りたる仏達 藍畑に水引く人や夏の月 二つ三つ淋しき雨の蛍かな 朝月の山門に入る蓮見かな 雨三粒降り静めけり秋の夜 露ふむや煙草は甘き朝の旅 塗りかへて乾かぬ橋や初紅葉 初冬や切り払ひたる雑木山 冬の梅枯木に風の怒りけり 水仙の霜と消えたる妻悲し (亡妻を哭す) 好みで選んでしまったがなにしろ五百句収録してあるので多彩である。読みやすい一冊であるので是非に一読をおすすめしたい。 ところでこの橡面坊(とちめんぼう)という名前に聞き覚えはないだろうか。 帯にこんな風に書かれている。 夏目漱石の「吾輩は猫である」では美学者・迷亭が西洋料理やでトチメンボーを注文してボーイを困らせる。トチメンボーの材料は日本派の俳人、すなわち安藤橡面坊。そのトチメンボーの俳句を一挙に公開する。 ということで合点がいった人もいるかと思う。わたしも最近電子書籍キンドルで「吾輩は猫である」を読んでいる。ああ、あのトチメンボーがまさかこの橡面坊であったとは。以下にその件(くだり)を紹介したい。 越智東風(おちとうふう)君が先生のところにやってきての報告である。 「それからボイにおいトチメンボーを二人前ににんまえ持って来いというと、ボイがメンチボーですかと聞き直しましたが、(迷亭)先生はますます真面目まじめな貌かおでメンチボーじゃないトチメンボーだと訂正されました」「なある。そのトチメンボーという料理は一体あるんですか」「さあ私も少しおかしいとは思いましたがいかにも先生が沈着であるし、その上あの通りの西洋通でいらっしゃるし、ことにその時は洋行なすったものと信じ切っていたものですから、私も口を添えてトチメンボーだトチメンボーだとボイに教えてやりました」「ボイはどうしました」「ボイがね、今考えると実に滑稽こっけいなんですがね、しばらく思案していましてね、はなはだ御気の毒様ですが今日はトチメンボーは御生憎様おあいにくさまでメンチボーなら御二人前おふたりまえすぐに出来ますと云うと、先生は非常に残念な様子で、それじゃせっかくここまで来た甲斐かいがない。どうかトチメンボーを都合つごうして食わせてもらう訳わけには行くまいかと、ボイに二十銭銀貨をやられると、ボイはそれではともかくも料理番と相談して参りましょうと奥へ行きましたよ」「大変トチメンボーが食いたかったと見えますね」 と言った感じで小説はつづいていくのである。この「深山柴」の俳人がかのトチメンボーに関わっているかと思うと一興である。いったいどんな風貌の人間かと知りたいと思ったがあいにく資料がない。インターネットの吉備路文学館の文学者紹介のところに「漢籍に通じ境地は広く、謙虚でかつ豪放で古武士の面影があった。」とある。 なるほど……。 こうして明治期に活躍した俳人の俳句をハンディな句集のかたちで紹介できるのは大坂俳句史研究会の人たちによる尽力の賜物である。 今日の「増殖する歳時記」は、三宅やよいさんによって鴇田智哉句集『凧と円柱』より。 複写機のまばゆさ魚は氷にのぼり 鴇田智哉 コピー機でコピーをとることは職場ではありふれた日常業務の一つに過ぎない。そこには季節感も俳句に繋がりそうなものは一見なさそうに思えるが、蓋を閉めないでコピーをとると眩い光の棒が紙を押さえる手の下を横切ってゆく。その一瞬を捉えた掲句は、日差しを受けてキラキラ光る氷とその上で跳ねる魚の像を確かな手応えをもって引きだしてくれる。「魚氷にのぼる」の季語が由来する自然事象を目の当たりにする機会はほとんどないが、この句のリアルさは複写機の光と氷を輝かす早春の光の共通項にある。それを受けて歳時記のインデックスから引き出された季語も生動するわけで、ルーチンワークになっている日常を丁寧に見直し想像力を広げれば俳句の可能性もまだまだ広がりそうである。『凧と円柱』(2014)所収。 複写機に「魚氷にのぼる」という季語をふつう持ってくるか。 しかし、 やるなあ…… としかいえない。
by fragie777
| 2015-02-05 18:23
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