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1月7日(水) 七草 芹乃栄(せりすなわちさかう) 旧暦11月17日
![]() 5400円が2300円! な、なんと。 気づいたらわたしは昼食のサンドイッチだけでなく、この赤ワインをしっかりとかかえていた。 このブログを書いているわたしのうしろで赤ワインは慎ましやかに控えている。 さっ、今日こそは新刊紹介をしたい。 徳永静子句集『春の坂』(はるのさか)。 ![]() 著者の徳永静子さんは、俳誌「蘭」(松浦加古主宰)同人。前句集『絵蝋燭』に次ぐ第二句集となる。ご本人の希望によって私家版での刊行である。「あとがき」にも書かれているが、前句集より10年ぶりの上梓となる。造本も大げさなものでなく瀟洒にして控えめなものをというご意向があった。本のつくりは凝っているのだが、軽くて手のひらにそっと納まるそんな出来上りの一冊である。 ![]() 春の風波をひろげてゆきにけり 帯の一句であるが、はんなりとした情景が目の前にひろがっていくようだ。 この句に象徴されるように、この句集には春風駘蕩の世界がある。 筋だったせせこましさが一切ないのである。これは著者の心の余裕によるものなのだろうか。 花にとも墓にともなく別れきし 風通しよき家にして父の声 さきほどの時雨が草に光りをり 柊の老いて気づける香とおもふ 餅花に指の痕とはあたたかき 永き日のまた夕食に遅れけり 菊括りそのほか括り日を余す 千両の雪を払へば起き上がり 裏口はもの干すところ蝶生まれ 澄む秋のさよならといふ子供かな 端居して大人がゆきぬ子がゆきぬ 初秋の餡のむらさき濃かりけり 手から手へもの渡りゆく炬燵かな こうして並べてみるとやはりこちらの内側にまでゆったりとした時間が流れ込んでくるような余韻がある。あるいはわたしが選んだ句がそうであって、そういうものに目がとまったのか。 いやいや、何度かふらんす堂にいらしてくださった徳永静子さんというお方が醸し出すものもどこか優美さをまとっていた。生年を略歴に書かれておられないが、句集を読んでいけばすでに老境にある方であるとは推測できる。一人住まいから設備の整ったホームに引っ越されたこともご本人から伺った。句のお仲間と俳句作りをたのしんでおられることも。 二年前こちらへ引越してきて、生活環境の大きな変化に慣れるまで時間が掛かりましたが、ようやく落着いたのを機に思い立ちました。勧められたということもありますが、この数年足が弱くなって、身辺からの句材が多くなったのと、『絵蠟燭』からだいぶ句風も違ってきており、纏めてみたい思いは無くはなかったので、ちょうどよく背中を押して貰ったということになります。 平成十八年から二十六年にかけての三百句ばかりを収めその後の歩みとしました。四方八方坂の多い、そして迷いやすいこの地がとても面白く探検気分での散歩から俳句が出来ることもままあり、集名とした所以です。 ふりかえってみますと、俳句と謡はつねにかたわらにあって私の生活に張りをもたらしてくれる存在でした。願わくはこれからもそうでありますように。 「あとがき」のことばである。「俳句と謡はつねにかたわらにあっ」たという一文を読んではたと膝をうった。謡の典雅な趣とどこか響き合うものが作品にあるのだ。 上質で潤沢な世界に生きてこられた、その趣味のよろしさが俳句の作品にも浸透しておられる。それを十分に感じさせてくれる句集『春の坂』。この句集名もなんとぴったりなことか。 ほかに、 鯉はまた深みにもどり針供養 ひとりは憂し人は疎まし梅雨の蝶 吹かれきし紙立ちあがる寒さかな 肩蒲団もうすぐ母の年になる 白足袋の張りつめてゐる足運び 浅蜊汁ひとりの殻がこんなにも 残業の音のまだある良夜かな 著者の徳永静子さんの装丁への思いを現実化したのは、和兎さん。 ![]() ![]() ![]() このことを徳永さんはたいへん喜んでくださった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() すっきりと仕上げるためにできるだけ色は抑えて、カバーをカラー印刷にしたのだが派手すぎず上品に仕上がったのではないだろうか。よく見るとたいへん贅沢な本なのである。 ![]() 身ひとつの七草粥を怠りぬ 今日は「七草」、七草粥を食べました? わたしは「身ひとつ」ではないけれどさぼった。あれって朝食べるのよね、夜でもいいのかしらん、でもきっとつくらないな、七草買ってないし。。。。。 句集『春の坂』で一番好きな句はつぎの一句。これもお正月の句です。 お降りの次第に音となりにけり 「お降り(おさがり)」は、元日は三が日に降る雨や雪のこと、めでたさを敬して御降(おさがりと言う。と歳時記にある。 この句、しずかに耳を傾けているとしっとりとした音が聞こえてくるようだ。 昨日の「増殖する歳時記」で、土肥あき子さんによって森尻禮子句集『遺産』より。 抱かれたし白ふくろふの子となりて 森尻禮子 フクロウは、鳥のなかでも、顔が大きく扁平で、目鼻立ちが人間に近い。ヨーロッパでは古くから「森の賢者」とされ、知恵の象徴としてきたが、日本では不吉なものだった。しかし、最近では「不苦労」「福来路」「福老」などと読み替えて、縁起を上乗せし、ウサギやカエルについで、小物などの収集家の多い生きものとなっている。シロフクロウといえば、「ハリー・ポッター」でハリーのペットとして登場し、その大きく、美しく、賢い姿に一時ペットとしての人気も急上昇し、「ふくろうカフェ」なる場所も今や話題だ。それしにしてもフクロウの子どもときたら、手のひらサイズで全身ふわふわ、うるうるの瞳をうっとり閉じる様子などとても猛禽類とは思えない可愛さである。ふくろうカフェの紹介には「鳥というより猫に近い」とあり、猫好きが心惹かれる道理と納得した。〈鷹狩の電光石火とはこれぞ〉〈鳰の巣に今朝二つめの卵かな〉『遺産』(2014)所収 「日本では不吉なものだった」と土肥あき子さんが書かれているが、知らなかった。そうだったのか。 ギリシャ神話では、知恵の女神アテナの象徴とされていることから知者というイメージあり、わたしなどそういうイメージが強かったけれど。。。 動物園に行くとぜったいフクロウは見ることにしている。 なぜか気になるのよ。 実はとっても好き。
by fragie777
| 2015-01-07 20:19
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