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11月27日(木)
今朝は白い城砦のようなマスクをして出勤する。 誰もちかづくことを許さじ、である。 風邪は薬が効いているせいか、いまのところ小康を保っている。 なんとしてもこれ以上こじらせてはならないのである。 うがいを励行し、あったかくして、 あとは、 そう、 気合いのみである。 (←気合いをいれてみた) 新刊紹介をしたい。 齋藤伸句集『億光年』(おくこうねん)。 著者の齋藤伸(さいとう・しん)さんの略歴は、平成2年に「鷹俳句会」(当時は藤田湘子主宰)に入会し、平成7年に「鷹」同人。とあるのみである。きわめてシンプルな略歴である。この第一句集に小川軽舟主宰が序文を寄せられている。その丁寧な序文をとおして齋藤伸という俳人の人となりにわたしたちはすこし近づけるのである。句集のタイトルは「億光年」、インパクトのある集名だ。 水虫や億光年の夜空在り 「億光年」という遙かなるものと「水虫」である。「水虫」という卑近な虫、私たちの身体に巣くいわたしたちを悩ます虫。その「水虫」が「億光年」の夜空とみごとに拮抗している。「水虫や」と最初におかれることによって、ここに詠まれた宙(コスモス)に一点の鋲が打ち込まれるのだ。水虫がまずある。そしてこの句、億光年のきらめきのなかで人間の体温を失っていないのである。わたしは好きな一句である。 序文を書かれた小川軽舟主宰は、この句集から私の印象に強く残っている句を挙げよと求められれば、それは次の二句に止めを刺す。として次の二句を挙げられている。 人口が減る国に住み蠅叩 栴檀の花や雨だれ吹かれ落つ 齋藤さんの作風の広がりの両端には、海峡を跨ぐ吊橋の支柱のように、この二句が凜々しく立っている。 人口が減る国に住み蠅叩 この句は齋藤さんの物静かな一言居士のイメージに似合う。最初に発表されたのは平成十八年で、戦後一貫して増え続けた日本の人口は、ちょうどこの頃から減少に転じた。この句がいま句会に出されても驚きはしない。類想の句はすでに少なくない。しかし、人口減少というのは今でこそ誰でも口にするようになった事態だが、当時は違ったと記憶している。少子高齢化だとか出生率の低下だとかということが説かれてはいたが、行政やマスコミのそうした言葉には何かもっと深刻なことを包み隠しているような胡散臭さが感じられた。それだけに齋藤さんのこの句の率直さが胸に響いたのだ。 栴檀の花や雨だれ吹かれ落つ 蠅叩の句が齋藤さんの社会派の面を代表するとすれば、この句は自然派の面を代表するものである。栴檀が薄紫色の花をつけるのは梅雨時。鬱陶しい天気が続くが、梅雨こそが温帯モンスーン気候に属する日本の自然を形づくるものである。齋藤さんのこの句の雨だれは梅雨の晴間のものだと思う。たっぷり湿り気を含んだ風が薫るようだ。 交信を終へ船上へ良夜なり 枯野道背中に落暉憑きゐたり 大寒や夜間人口零の町 国が在り人間が居りきりぎりす 新巻やどーんどーんと夜の海 枯葦のことごとく擦れ鳴りにけり 突つこみしままの棒なり焚火跡 灯台の照らすうねりや年行けり 俳句と出会って二十年以上が経過し、句集のことが頭になかったわけではないが、実績をかんがみれば踏み出し難かった。たまたま、ある先輩に薦められたことを唯一の支えとして句集をまとめてみた。 「あとがき」の言葉である。高い志を持って俳句をつくってこられた方である。 著者の齋藤伸さんは、句集の打ち合わせのために何度かふらんす堂にご来社くださった。飄々として含羞がありその一方きっちりとしたこだわりのある方とお見受けした。生半可の妥協をゆるさずという意志をしずかに湛えておられる方だ。 一枚のセロハンふはと蛍の夜 新聞のひろげてありし暑さかな 雲の峰人差指のしほからき 天高し鼠の覗く神田川 柿食うて柿採らぬ木をみてをりぬ 全身に日を浴びて年果てにけり 楠の風にふくらむ一の午 永き日の椅子の背に在る上着かな ワイシャツの採寸春の逝きにけり 鶏の土をひつかく祭かな 雨脚をみやるともなき昼寝かな 大いなる雲ほどけたりあめんばう 喪帰りのべつたら漬を下げてをり 遊民となりて四年や漱石忌 中心が日本の地図や亀鳴けり 二階から首出しゐたり春の暮 五千円借りしままなり遠蛙 この句集の装丁は和兎さん。 齋藤伸さんのブックデザインへのこだわりを実現してもらう形になった。 このクロスの味わいがいい。 ご来社くださった齋藤さんが気に入られて特別にクロス屋さんに保管しておいて貰ったのだ。 わたしも好きなクロスだった。廃品となってしまうのが残念である。 この句集の担当は、千絵さん。 遠足の声が声押す河岸かな 「好きな句がたくさんあって、どれにしようか悩んだんですが、子どもたちの元気な声が聞こえてきそうなこちらにしました。 この句集を作るにあたり、細部にこだわって色々とご相談をさせて頂きました。齋藤様には何度もふらんす堂に足を運んで頂きましたので、私にとっても印象深い一冊となりました。」 握手して我が手の冷たさをしりぬ わたしはこの句が好き。すこし散文的かもしれないが、齋藤伸さんという方の繊細なこころがこちら側につたわってくる。ふっと自分の手のことにも思いをはせてしまう。自分の手がつめたいっていうことは人の手にふれたときでしか分からないのかもしれない。この句からは著者のかすかな悲しみのようなものまで伝わってくる。 昨日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、『山田弘子全句集』より。 白鳥の目覚めし白さ拡げけり 山田弘子 白鳥が目覚めた、その白鳥は白さを広げている、という句。朝の白鳥のみずみずしい感じが、「白さを拡げ」だ。一昨日もこの作者の句を話題にしたが、彼女の句は出たばかりの「山田弘子全句集」(ふらんす堂)から引いた。弘子は2010年に75歳で他界した。生前、彼女の運転する車に乗ったことがある。すごく飛ばした。虹の下を飛ばした。 今日の「増殖する歳時記」は、三宅やよいさんによって鴇田智哉句集『凧と円柱』より。 マフラーのとけて水かげろふの街 鴇田智哉 長いマフラーがとけることと水かげろうには何ら因果関係はない。しかし掲句のように書かれてみると、摩訶不思議な世界が立ち上がる。水かげろうからマフラーを呼び出す感覚がすばらしい。人の首から解き放たれたマフラーが何本も何本もボウフラのように立ち上がりユラユラ揺れる水かげろうになってしまったようだ。冬の季語としてのマフラーの本意に縛られていてはこのような発想は生まれてこない。この句を知って以来。川沿いに続く白壁に揺れる水かげろうを見るたび、マフラーの乱舞に思えて仕方がない。『凧と円柱』(2014)所収。
by fragie777
| 2014-11-27 20:24
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