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11月25日(火)
名栗の蕨山(わらびやま)から見上げる。 夕方ころよりやけに鼻水がたれる。 それも左の鼻からのみ。 (わたしの左側の鼻孔は、どうやら神さまから祝福されているらしく、これまでいろんなことが起こった。神の試練を乗り越えてきた左の鼻孔なのである。実は。) どんどんひどくなる。 (風邪かしらん) やだな、とすぐに葛根湯を服用する。 「風邪をひいちゃったのかなあ、それともアレルギーかなあ」と言うと、 「わたしとおんなじブタクサのアレルギーかもしれませんよ」って千絵さんが言う。 そうか、 わたしのまわりでもこのブタクサのアレルギーの人間がけっこういるのだ。 どっちだろう? このブログを書いている今は葛根湯が効いたのか鼻水はおさまっている。 風邪もいやだけどアレルギーもいやだ。 でも風邪をひきかけて葛根湯で抑えている、ということにしておきたい。 すぐる22日に帝国ホテルにて、俳誌「天頂」(波戸岡旭主宰)の15周年のお祝いの会があった。 ふらんす堂からはスタッフのPさんが出席した。 ふらんす堂からは波戸岡旭第5句集『湖上賦』(こじょうのうた)を刊行させていただいた。 10周年の時は、私のもろもろの節目の年でもあってこみ上げるものがあったのですが、この5年間本当にまたいろいろありました。これはまた5周年のころから申し上げているのですが、結社というのは、よく言われるとおり、親睦と研鑽が大事です。結社というのは主宰のためにあるのではなく、会員おひとりおひとりのためにあるわけですから個人は輝きを、結社は勢いを、ということをことあるごとに申しております。 この5年間の間に何があったか。天頂で初めて「俳句15作品」それから「エッセイ」のコンクールを思い切ってやりました。これはかなり勇気が必要でした。百人ほどの小さな結社で俳句コンクール、エッセイコンクールをやってどれほどみなさんが作品をよせてくれるかどうか、それは皆さんを信じるしかありません。出す方も大変でしょうが、これを企画した私自身が一番震え上がるほどに心配だったのです。しかし、応募数に私は驚きました。特にエッセイは20数編も集まりました。自分の思っていることを全て出してやろうという思いがずんずん伝わりました。それから、作品の方も60件超えてました。「ああ、もうみんなはこれを作れる力があるんだ!」と改めて実感しました。この5年間の間でお一人お一人がこんなに自分の世界を開いていることをこのコンクールを通して感じることができました。この度の15周年は150号の雑誌で、同人会員の方の作品が充実しているという言葉をいただきました。私はこれが一番嬉しかったです。この5年間で私が実感したのが会員のみなさんが地面に足をつけてがんばっておられる、これが作品にそのまま表れたと思っております。そのことが一番嬉しかったです。 今回、「句あれば楽あり」。俳句があれば楽しい。俳句があれば生き甲斐がそこにあって楽しい世界が開けてくる。つらく苦しい人生だからこそ、俳句は明るく強く、そして恥をかく。俳句は恥をかかなくては伸びない。俳句は難しい。 本日は本当にありがとうございました。 「会の最後にお孫さん2人が毎日作ったという俳句のノートをもらって涙されていました。」とPさん。 23日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、福神規子句集『人は旅人』より。 還らざるものの一つに冬の蝶 福神規子 行きて還らぬもの、鉄砲の弾、口を出た言葉、青春の日々。『枕草子』にならえばそうなる。作者が選び出したのは冬の蝶。日だまりをひらひらと舞っていたのに、いつの間にかいなくなった。いうまでもなく世界のすべてのもの比喩。 24日の毎日新聞の新刊紹介では、津久井紀代著『一粒の麦を地に ―100句から読み解く有馬朗人』が紹介されている。 著者は「夏草」で俳句を始め、有馬朗人に師事している。有馬の100句を選んで懇切な解説を施した力作で、俳人としての歩みと作風の変化を浮彫りにする。
by fragie777
| 2014-11-25 20:29
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