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11月21日(金)
20数年ほどまえに車での東北旅行巡りを決行したことがあった。 (運転が下手くそなの、だからわたしは助手席、しかもナビゲータとしても役立たずだって) 東北の祭を見ようというもので、このときは弘前のねぶた祭、青森のねぷた祭、秋田の竿灯祭、仙台の七夕祭のはしごをした。それのみにあらずその合間に温泉巡りをするというもので、秘境と呼ばれる温泉にも行ったりして今から思うと忘れられない旅行となった。その後九州の温泉めぐりなど日本の各地の温泉に行ったりしたのであるが、(こう見えて実は温泉好きだったのね。)20年前のこの東北の温泉はいまでもときどき思いだしもう一度行ってみたいと思っているのだが。 新刊句集を紹介したい。 成田うらら句集『水の扉』(みずのとびら)。 成田うらら(なりたうらら)さんは、昭和19年のお生まれで神戸市在住の方である。私が俳句を始めた動機は阪神淡路大震災でした。と「あとがき」にあるように、震災をきっかけにして俳句を始められたという。かつて神戸で西村和子さんに講師をお願いして「ふらんす堂句会」が行われており、そこで俳句を作られたのが俳句入門となった。西村和子さんの熱心な指導に導かれて平成13年に俳誌「知音」(行方克巳・西村和子代表)に入会、行方克巳、西村和子の両師の指導のもと、5年後の平成18年には「知音」の同人となられた。この度の句集は12年間のものを一冊にまとめた第一句集である。帯と序句を行方克巳代表、序文を西村和子代表が寄せている。 まつすぐな言葉がほしや水木咲く (略)思えば、わずか十七音の俳句は、その代表格と言えよう。単純明快な表現を志し、人の心にまっすぐ届くことを望んでいる。作者の人生の途中で、俳句に出会えたこと、俳句に本音を託せるようになったことを、共に祝福したくなるような句だ。 誰もゐぬ屋ぬちに金魚音をたて 囀りの短き舌と思ひけり ハンカチの正方形を疑へり 境内に咲きて梔子淫らなる 柘榴落つ神に愛想つかされて この感覚を尊いと思う。ありきたりな価値観や先入観に依らぬ、作者自身の眼が捉えたことであり、偽りのない実感であるからだ。これこそ作者の求めていた「まつすぐな言葉」に通じる。(略)俳句はうららさんにとって、現実生活では言えないことも表わせる恰好の表現手段となり得た。震災後の心の支えとして求めたものが、今や人生になくてはならぬものとなっている。それは神戸のふらんす堂句会が、私の転居によって形が変わり、神戸の知音の句会が京都に場所を移してからも、以前と変わらず毎月うららさんが参加していることが、何よりも雄弁に語っている。 西村和子代表は、成田うららさんの俳句が「現実生活では言えないことも表わせる恰好の表現手段なり得」ていることを評価しているのだ。そして更に俳句と深く関わって言って欲しいと成田さんに望んでいる。 行方克巳代表の帯文はあたたかだ。 紫木蓮売れぬまま家朽ちてゆく 台風ののろのろときて人攫ふ 現実を直視して決して逃げることのない誠実な人柄-。 風船を割る象の眼の笑ひけり 土雛のでんと座りし団子鼻 日常の緊張から解放され、ほっと笑いがこぼれる時間は、何ものにもかけがたい喜びでもある。人生山あり谷あり、だから俳句が楽しい。 厳しい師とあたたかな師とお二人の師をもった成田うららさんは幸せである。 花に酔ひ女装男装見分けなし 百足には聞こえぬやうに夫を呼ぶ 雛の店男うろうろしてをりぬ 引越しの梅酒を抱きて助手席に しやがみても立ちても近し秋の声 不器用に頑固に生きて花粉症 淋しくて鉢の金魚を太らせし 敗北を認めて男涼しかり 結論は明日に今日は柚子風呂に 柘榴落つ神に愛想つかされて 手に受ける重たき言葉黒葡萄 実直ですこし頑固で一途な著者像が見えてくる。その著者像はすこしユーモラスで頑固一徹であってもほっとわたしたちを安心させるものがある。引っ越しのときに梅酒を大事そうに抱えている成田うららさんはいいなあって思ってしまう。しかし西村和子さんはおおらかな成田さんが俳句に向き合ったときに、冷静な視線をもつことを見逃さない。 彼岸僧子の自慢して帰りけり クリスマス神疑はぬ人とゐて 四月馬鹿手相ほめられ嬉しさう 確かにクールな視線がある。この距離が人間を描くには大切であると西村さんはいう。確かにそうかもしれない。ただ、ここには悪意に満ちた冷ややかさではなく、もっとおおどかに人間というものを肯定している成田さんがいる。だから読んでいてわたしたちのこころが冷えてくることもなく楽しく読める。そこがいい。 私が俳句を始めた動機は阪神淡路大震災でした。神戸の街も今は新しいビルが立ち並び何事もなかったかのようなたたずまいになりましたが、十九年前は瓦礫と慟哭の街でした。震災後、心の支えになるものが欲しくて出かけた本屋さんには震災の歌集や詩集が並んでいましたが、心に重たくて手に取ることが出来ませんでした。手にしたのは俳句の歳時記でした。歳時記には季節の移ろいを映し出す美しい季語が並んでいました。季語に添えられた例句には市井に生きる人々の生活感がにじみ出ており、俳句の事をもっと知りたいと思いました。そんな時に出会ったのが、神戸で行われていたふらんす堂の句会でした。その句会では西村和子先生が熱心に指導されており、提出した三句に対する句評は明晰で、心に響きました。 当時神戸で開かれていた「知音」の句会に参加し、入会させていただきました。入会後は西村和子先生・行方克巳先生のご指導をうけ、とても恵まれた環境のなかで俳句を学べることを幸せに思っております。 「あとがき」の言葉である。震災で衝撃をうけたこころを救ったのが季語であったということも、驚きである。震災について詠んだ歌集や詩集でなく、それとは直接的には結びつかないように思える歳時記の言葉である。そこには、市井に生きる人々の生活感がにじみ出ているというのだ。 みづすまし水の扉を開きゆく 句集のタイトルとなった一句である。 この「水の扉」を装丁として具体化したのは君嶋真理子さん。 「水は難しいなあ」って言いながら君嶋さんは、なかなかのデザインをしてみせた。 かへりみるその道程(みちのり)の爽やかに 克巳 行方克巳さんが句集に寄せた序句である。 そしてこれは、集中の一句である。 名も文も残さず逝きて爽やかに うらら 明日から三連休である。 23日は勤労感謝の日である。(今度は間違えないぞ) この日はね、勤労をねぎらって七面鳥をご馳走になるんだ。 ふふふ…いいでしょ。 (あとで丸焼けの七面鳥だけみせてあげる)←いやな女でしょ。 実は今晩だってこれから忙しい。 観たいテレビ番組が二つでしょ。 ビデオにとった韓国ドラマが一本。 (これはいま話が佳境、主人公=わたし、どうなっちゃうんだろう) どれもこれから観なくちゃならないのよ。 じゃ、皆さまも爽やかなよき休日を。
by fragie777
| 2014-11-21 19:50
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