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11月20日(木)
わたしたちは津軽鉄道「走れメロス」に乗って太宰治の生家「斜陽館」を訪ねたのだった。 今日の昼のこと、 「郵便局に行ってきます」って言うと、 「yamaokaさ~ん、ぐりとぐらの切手が今日発売なんです」とスタッフの千絵さんに声をかけられた。 「ああ、そうなの! じゃ買ってくるわね」とわたしは郵便局へ飛んで行った。 「ぐりとぐら」って知っている人は知っているけど知らない人は知らない。(←あったり前か……) 千絵さんは、きっと子供ころたくさんこのお話を読んだのだと思う。 わたしは子どものころじゃない。大人になってから子どもといっしょに楽しんだ本である。 3シート買ったけど使うのがもったいないな。 新刊を紹介したい。 紹介するのがすこし遅くなってしまった。 『山田弘子全句集』(やまだひろこぜんくしゅう)。 この『全句集』は俳人・山田弘子(1934~2012)の既刊句集七冊に未発表作品を加えた3307句を収録したものである。季題索引、初句索引、年譜付。句集解題はご息女で「円虹」主宰の山田佳乃さん。、編者は小田道知、藤原正己、辻桂湖、山田佳乃の「山田弘子句集刊行委員会」の皆さまである。若い主宰者である山田佳乃さんを「円虹」の皆さんが支えながら全句集の刊行を実現させたのだと思う。山田佳乃さんもまた何度もふらんす堂へ足を運んでくださり、それはもう熱心に取り組まれた。来年の1月には「円虹」は20周年を迎えられるという。この『山田弘子全句集』の刊行は、山田佳乃主宰をはじめ「円虹」の皆さまには特別な感慨であると思う。 みな虚子のふところにあり花の雲 第3句集『懐』収録の一句である。山田弘子の俳句のこころともなる作品だ。 年譜によると39歳のときに俳誌「雨月」の大会に初めて出席、そして京極杞陽の主宰する「木兎」に投句、入会、その同じ年の6月稲畑汀子指導の「夏潮句会」に入会。43歳で「雨月」新人賞、44歳で「雨月」初巻頭、46歳に「ホトトギス」同人と、めざましい勢いで「ホトトギス」の俳句を学び吸収していったことがわかる。 この句について稲畑汀子主宰は、句集『懐』の序文で以下のように記しておられる。 今ここにいる人々は、虚子のふところにあるような心を以て花鳥諷詠を一筋に研鑽し客観写生の技を磨いているのである。花の雲という季題の持つ明るさ、華やぎもよく見ると一本一本の桜の美しさが集まって恰も花の雲に見えるのである。花の雲という季題に託した詩情豊かな句でもある。 栞を寄せている俳人は、稲畑汀子・宇多喜代子・茨木和生・大輪靖宏・筑紫磐井の5人の方々。 それぞれの方の文章を抜粋して紹介したい。 弘子さんの訃報が届いたのは我が家の句会の真っ最中であった。つい何日か前に会ったばかりの元気な弘子さんが何故? と私は声を失った。考えられない弘子さんの死は、今なお私の心に深い影を落としている。この度、『山田弘子全句集』が出版されるとのこと、私にその栞のご依頼があった。弘子さんの無念の死を思い、「円虹」の後を立派に継いだ弘子さんの愛娘山 田佳乃さんからのご依頼とあってはともかく書かなければならない。(略)彼女の作品は素晴らしいが時に飛んでいることがある。それも又彼女の魅力でもあり、これからの作品をしっかり見ていかなければならないと思っていた矢先の訃報であった。還らぬ弘子さんを惜み、そして悼み、弘子俳句に親しむ人が一人でも多くあることを私は願っている。 (稲畑汀子・「『山田弘子全句集』に寄せて」) 母と子の夏帽重ねおくベンチ 主婦として梅雨明を待ち侘びてをり 自身が母であり主婦であるという立場と視点を踏まえた句が多い。弘子さんの資質と、「ホトトギス」育ちのよさが相俟って出来上がった句境は、最後の句集『月の雛』まで一貫している。弘子さんは、そんな伝統に裏打ちされた不変の幹や根に常に新味を加えつつ葉を茂らせ、ときに隣に立つ異類の風をも滋養にしつつ、自らの伝統の足跡を残してきた。 鳥帰る空の一角伸びてゆく 白玉やなつかしうして初対面 いくらでも雨を抱けさう箒草 マフラーの色の冒険なら出来る セーターの闇くぐる間に一決す 好きな句を抜いてゆけばきりがない。生前の弘子さんの折々の表情が見えている一句一句に「そうよ」「ホントだ」と相槌を打ちたくなる。 (宇多喜代子・「弘子さんの残したもの」) 宿の扉を中千本の花に引く 星空へ落花の空の移りたる 筏場を訪ふは吾等と山女釣 隠れ湯はダムへさ走り遠桜 「吉野行 八句」と前書きのある中の句だが、いくら自動車道が付いているとはいえ、筏場まで入っていたのかと驚く。筏場は吉野郡川上村の地名であるが、ここから鉄砲堰を組んで筏を流し、吉野杉を出荷していたところである。この句の通り、こんな辺地にまで入っていたのは山女釣と弘子さん一行だけだったのである。これらの句は平成五年の作だが、この年には、さらに夏の吉野を訪れて、「夏の月暗き吉野の泊りかな 弘子」などの三句をのこしている。 遅れ着く人に吉野の花月夜 杉山の暗さを迷ふ落花あり 花茶屋の床のどこかが斜めなる の三句は平成六年の作であるが、どの句にもあたたかな眼差しが届いている。 (茨木和生・「吉野の句を称える」) 一片の落花に山の朝うごく 蟷螂を遊ばせてゐる風の草 秋近くなる蝶々が小さくなる 月明の怖し哀しと遊びけり 揚花火海はこだまを生むところ 灯台の白を花野の果とせる 花びらのやうに公魚釣られけり 御慶ごと運ばれてゐる昇降機 夕顔蒔くたつた独りの夜のために 零余子炒るさびしきことをしてゐたり 来ぬ人の椅子に声ある暮の春 胸に棲む人と酌む酒十三夜 胸の火の届かぬ遠さ花火咲く 山田弘子氏は客観写生を大切にし、しかもその上にすぐれた目を持っていた人であるから、自然描写をしても、そこに生命が通う把握をすることができる。(略)弘子氏の句はさまざまな様相を呈し、種々な広がりを見せている。したがって自分の内面を描くことになっても、決して独りよがりにはならず、実に興味深く、広く深い感動を呼ぶものになる。(略) このように見てくると弘子氏の試みはいかに広く奥深く確かなものであるかがよく分かる。こうした弘子氏が今後も試みを続ければ、どれだけ俳句の幅を広げ、俳句の可能性を深めたことだろう。重ね重ねその突然の死が惜しまれるのである。 (大輪靖宏・「弘子俳句の多様性─『月の雛』をもとに─」) 『残心』について一言触れておく。脂がのりきっている時代の句集であるが、闊達自在であるがどこか悲しいこんな句が脳裏に浮かび上がってくる。 京の底冷とはこんなものぢやない この句を読むと、夏目漱石の「京に着ける夕」を思い出さずにいられない。漱石初期のエッセイだが、子規との思い出に耽りつつ春寒の京都を語っている。「東京を発つときは日本にこんな寒い所があるとは思はなかつた」。弘子さんの思い出と重なってもの悲しいような滑稽なような気持ちがしてならないのである。 (筑紫磐井・「劇的な、余りに劇的な」) その次のすこし淋しき花火かな 『螢川』 草笛を吹きたくなりぬ独りだから 〃 旅人に辛夷は夜の翼張る 『春節』 人参は嫌ひ赤毛のアンが好き 『草蝉』 セーターの闇くぐる間に一決す 『月の雛』 わたしの好きな句をいくつか挙げた。とくに「人参」の句は以前にもこのブログで書いたように忘れられない一句である。この句によって遠い存在だった山田弘子という俳人がぐっと身近に思えたのだった。おおらかで明るく育ちのよい優しいお方としていつもわたしに接してくださったが、この度全句集を編んでみて山田弘子という俳人の「さびしさ」の核に触れたような思いがしたのだった。 「円虹」を創刊主宰した山田弘子の全句集が完成しました。 全句集発行についての具体的な作業にかかれたのは弘子の逝去から一年後のことでした。何回かの編集会議を重ね、出版されている句集の作品のほかに、残された句帖の作品の中から佳句を拾いだし、およそ一万八千句の中より句を選び出す作業を致しました。こうして全句集に収めた作品は三三〇七句となりました。(略)三年有余という歳月をかけて、ようやく山田弘子という作家の四十年近い句業を一冊に纏めることができました。伝統派として俳句に挑み続けた山田弘子の作品が多くの人に読まれることを願っております。 「刊行委員会」の皆さまによる「あとがき」の言葉である。 この句集の装丁は君嶋真理子さん。 山田弘子さんは、やすらかな華やぎをまとった方だった。 そんなイメージを壊さないように装丁を手がけて貰った。 最後の2011年に刊行された句集『月の雛』については、1月に山田弘子さんより「原稿を送りますね」とお電話をいただきその直後急逝されたのだった。そのことについて、山田佳乃さんが「あとがきに代えて」で以下のように書かれている。 句集『月の雛』は、俳誌「円虹」を創刊主宰し、平成二十二年二月七日に逝去した故山田弘子の第七句集です。 句集には、平成十七年五月から平成二十一年まで、厳密に言えば死の直前の平成二十二年一月までの四百二十二句が収められています。 母・山田弘子の急逝は『月の雛』の句稿をふらんす堂に送った直後のことでした。主宰誌「円虹」の創刊十五周年を迎え、主宰としても俳人としても充実した日々を襲った突然の悲劇でした。(略)句集『月の雛』は、平成二十二年春にも上梓する予定だと言うことを聞いていただけで、実務的なことは何もわからないままでした。突然亡くなった母が想いを残すとしたらこの句集であろうと、気にはなっておりましたが、ようやくこの句集にとりかかれたのは五月も半ばになってからでした。(略)無事にこの句集を出版出来たことで、ようやく一つ親孝行が出来たように思います。 母は伝統俳句という立場に腰を据えながら、常に新しいものへと挑戦しつづけてまいりました。作家として確固たる信念を貫き、自分の作品に対しては、決して妥協することがなかったその姿勢は多くの示唆を与えてくれました。 深い精神性と斬新な対象把握、そして作品の根底には生きとし生けるもの、「森羅万象」に対する限りない愛情があふれていました。その俳句作品の中に、自分の命を削るようにして書き留めていったのです。 句集『月の雛』には、母がこの世に残そうとした最後の俳句作品が網羅されています。これらの作品を通して母が伝えようとしたメッセージ、それをくみ取っていただければ幸いに存じます。 私のとてつもなく大きな目標であった母を失ったことは言葉では表現できないつらさがあります。しかし、これからは悲しみを乗り越えて母の俳句に対する思いや精神をしっかりと引き継いで前に進んでまいります。 この「あとがき」に代えてのなかに、俳人山田弘子が俳句に託した思いがすべて語られていると思う。 また、残された佳乃さんの決意も。 そしていま、山田佳乃さんをはじめ「円虹」の方たちによってこうして全句集が編まれたということ、 その思いとご尽力をわたしは改めて思うのである。
by fragie777
| 2014-11-20 19:53
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