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11月18日(火)
ここのチョコレートケーキは最高で、これまで食べたいかなるチョコレートケーキよりチョコレートの真髄にふれた味で、わたしも友人も思わずおかわりをしてしまったほど。 弘前に行くことがあったら是非にここのチョコレートケーキを味わうべし。 新刊紹介をしたい。 甲斐一敏句集『忘憂目録』(ぼうゆうもくろく)。 この句集については昨日のブログですでに触れたが、毎日新聞紙上で大きくとりあげられ、「増殖する歳時記」でも詩人の清水哲男さんが一句を鑑賞されている。今日のねんてんの今日の一句もこの句集からである。 著者の甲斐一敏(かい・かずとし)さんは、1941年の台北生まれ、大阪・高槻市にお住まいの方だ。2001年より作句を開始し、2007年から2011年まで晩年の八木三日女が催していた「花句会」に参加、2009年より「船団」に拠る。この度の句集は、「船団」入会以後の2009年から2014年までの作品を収録したものである。帯に坪内稔典さん、序は友人の中国文学者の串田久治さんが寄せている。 序文より抜粋する。 (略)本句集の作者である甲斐一敏氏の憂いは白髪三千丈に似ている。ミモザが咲くのかと憂えたり、パプリカの尻にくびれを見たり、きりもなき萩と月を憂う。花鳥風月を愛でるという幸せとは無縁で、ひたすら憂いつつ飲酒にふけっているかのようである。陶淵明の「連雨独飲(れんうどくいん)」に、「故老(ころう) 余(われ)に酒さけを贈(おく)り/乃(すなわ)ち言(い)う 飲(の)めば仙(せん)を得(え)んと」とある。甲斐一敏氏もまた、いずれは仙人の境地を詠うのだろうか。おそらくは、そのような飲酒とはならないのではないだろうか。さらに老いて、さらに忘憂の人であろうか。目録を読み解くに、飲みつつ毒を醸成させているかのようである。 坪内稔典さんの帯文は、 はちゃめちゃの70代にあこがれている。吉良常がいて、チェホフがいて、リリコ姫がいる。そこへたたきごぼう。鮒ずし、駱駝、大島渚などがやってくる。乱痴気騒ぎというか。獄中八仙をしのぐ飲中無礼講が延々と続く。その座に私もいたい。さしずめ甲斐一敏はその先達、いや、はちゃめちゃの酔いつぶれ、いやいや「そぞろ寒そぞろ幸せトロ一貫」という句などから推すとまだ品行方正。酔いが足りないかも。酔中に揺れよ、甲斐! とあり、ともかくもこの句集には酔っ払った甲斐一敏さんがいる。 酔いながら俳句を吐きだしている。 高尚な楽しい言葉遊びのようにみえてその実、鋭い眼光を酔いの力で曇らせながらのシニカルな顔がわたしには見えてくる。酔えば酔うほど覚めてくる、だからまた酒を飲む。憂いを忘れるために酒を飲む。 この句集には批判精神が貫いている。そして「忘憂」がテーマだ。 忘憂一献うららとも見える春の海 忘憂幾許パプリカの尻のくびれなど 忘憂一献きりもなき萩と月のこと 句歴十数年。飲酒歴は五十年を超える。句集の題は、陶淵明によりかかり「忘憂目録」とした。酒肴、酔郷、憂い、希望、妄想の目録。(略)詩歌は時代の言葉。俳句もまたそうであると考えている。東日本大震災は、言語を揺すり詩歌を揺すった。二〇一一年以降の作品が時代の言葉となっているのかどうか、問われているだろう。 「あとがき」の言葉である。 収録作品はさまざまな顔をもつ。硬直した価値観を皮肉に笑って見せたりもするが、あるいは読む年齢や体験によってくみ取り方はさまざまだ。分かる人間が楽しめばよい、そんなスタンスがある。たとえば、わたしにとっては、昨日清水哲男さんがあげていた「昔々勝手にしやがれという希望」もそうであるが、 端居して気狂いピエロ呼び寄せる のっぺらぼうな季節よ城よ初鰹 粽とくゴダールもシェーンベルクも打っ棄って ガザ撃つなガザ殺すな蟬カノン 五月闇初音ミクは半跏思惟 桃すする忘れてもいいかいマノン・レスコー 春の海コドクトレンタイぷかりぷかり などの句にふれると、こころがザワッとする。 「のっぺらぼうな季節よ城よ」とあると、ランボーの「ああ、季節よ、城よ、無疵(むきず)な魂(こころ)が何処にある」が甦るっていう寸法だ。もっとも甲斐さんの意向とは異なっているのかもしれないが、そんなことはかまわないのである。わたしが好き勝手に読んでこころをざわつかせても甲斐さんは酔っ払っている、だからこっちはヘイチャラ。 甲斐さんの「忘憂」を楽しんでもきっとお許し下さると思う。 ほかに句を紹介したい。 ミモザ咲きましたかと耳なし芳一 わが胸に巣くう品川雨きらきら 手袋の裏も手袋海に雪 フクシマの海空水玉の鯨跳ぶ 海鞘すするキリスト仏陀アラーにも アンチョビもバッハも抱きしめて夏祓い ギャテイギャテイ悲しかろうとも鳥さかる 泡酒の白魚のひらり春の宵 木枯らしや背中にボロやら愛勇気 椿落つ散る散るマイクロシーベルト ひりひりと蟬鳴くしきり八月の骨 春の雪撃つなシベールの日曜日 「変わった句集にして欲しい」というのは甲斐一敏さんのご希望だった。 装幀は和兎さん。 使いたかった用紙が廃品となってしまい妥協をせざるを得なかったが、出来上りはいかがだろうか。 担当は千絵さん。 「好きな句は、 そぞろ寒むそぞろ幸せトロ一貫 私もおいしいお寿司といいお酒があれば、なんとなく幸せな気分になるので、そんな気持ちでこの句を選ばせて頂きました。」ということ。 わたしもおいしいお酒が飲みたくなってきた。 相変わらず冷蔵庫には白ワインが冷やしてある。 しかし、この句集『忘憂目録』には、アブサンや芋焼酎あるいはハイボールはマティーニは出てくるが、ワインは出てこない。甲斐さんのお好みではないのだろう。きっと。 それでは、今日のねんてんの今日の一句は、 鴨根深なすことあろうともあろうとも 甲斐一敏 「あろうとも」の後には「なかろうとも」と来るのが普通だが、普通を選ばずにまた「あろうとも」と表現するのが甲斐流。やっかいなオヤジ俳人というか老俳人が出現した感じだが、でも、うれしいなあ。こういう気骨と変骨(?)の俳人を待っていたというか、自分もできればそういう俳人になりたい。 甲斐一敏は1941年生まれ、句集『忘憂目録』(ふらんす堂)を出して、いよいよ深く酒と俳句に沈む気配。 甲斐さんのようになりたいと坪内さんは書いているけど、タイプが全然違うってわたしは思うな……。 この句集については、関悦史さんがブログ十五句抄出甲斐一敏句集忘憂目録として紹介され、それを知った甲斐さんが喜んでおられたとも伺っている。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、川本美佐子句集『水を買う』より。 雪降りて小さき手と手のさやうなら 川本美佐子 子どもたちが手を振って別れてゆく。幼稚園のお帰り時間だろうか。雪が降りだしたのだろう。ちらつく雪の中に二つの小さな手が浮かぶ。子どもたちに明日はどう見えるのだろうか。時間はどうつづいているのか。可憐な句になった。 今日の「増殖する歳時記」は、土肥あき子さんによって、福神規子句集『人と旅人』より。 返り咲くたんぽぽに茎なかりけり 福神規子 返り花とは本来咲くべき季節ではない時期に、陽気の具合で咲いてしまう花。小春日のあたたかな日だまりで、たんぽぽの黄色が鮮やかに目に飛び込むことがある。たんぽぽの生育環境はかなり過酷でも、たとえばアスファルトのわずかな隙間でも育つことが可能だ。とかく生命力の強い植物は嫌われる傾向にあるが、その姿かたちによって誰にも愛される花である。葉を地面にぴったりと放射状に広げることで、一枚一枚重ならないようにして日照面積を多く取るような工夫がなされ、茎の長短も実はエネルギー効率をしたたかに考えたものだ。しかし、たんぽぽは可憐な風情をくずすことなく、寒風のなかでわずかな日向にしがみついているようにも見え、ことさらいじらしく映る。思わず膝を寄せ「大丈夫?」と問いかけてしまうほどに。〈鍵穴は古墳のかたち梅雨深し〉〈ままごとにかあさんがゐて草の花〉〈さりながら人は旅人山法師〉『人は旅人』(2014)所収。
by fragie777
| 2014-11-18 19:29
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