カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
11月14日(金)
今日はいちだんと寒い一日となった。 明け方いつもわたしのお布団の中に入ってくるのは黒白猫のヤマトだけなのだが、今日は白猫の日向子もそおっと入り込んできた。 わたしは二匹の猫をお布団に迎え入れてぬくぬくと、すご~く幸せだった。 そしてふたたび深い眠りへと落ちていった。 新刊句集を紹介したい。 森尻禮子句集『遺産』(いさん)。 著者の森尻禮子(もりじり・ひろこ)さんは、昭和16年東京生れ、平成4年に俳誌「木語」に入会し、山田みづえに師事し俳句をはじめる。平成10年には「木語」新人賞を受賞されている。平成13年に第1句集『星彦』をふらんす堂より上梓している。平成16年に「木語」が終刊になると一年後、俳誌「未来図」(鍵和田柚子主宰)入会、現在は俳誌「未来図」同人である。第一句集『星彦』は早世されたご主人への追悼の思いをこめて編まれたものだ。この度の句集『遺産』は、夫亡きあと母も逝きやがて父も師も逝くという人生の無常に向き合いながらも前向きに俳句を詠み続けてきた森尻さんの豊かな生活者としての軌跡である。 追憶こそ我が得し遺産冬すばる から第二句集を「遺産」とする。 俳句は「今」を詠う詩といわれているが、私の場合「今」を詠ってもその背後に両親から受け継いだものや亡夫との思い出、自然や文化の遺産を感受しているとつくづく思うのである。俳句を始めるずっと以前から私は樹や星や野鳥が好きだった。文化遺産にも関心を寄せていた。知らないうちにそれらが心に貯えられている気がする。 「あとがき」から引用した。「追憶」を「遺産」とするとは、すばらしい感受だ。過去のものは現在を支えるものであり、そして未来を輝かすものなのだ。過去から未来へとつらぬくものなかに一点の我がいる。 森尻禮子さんのこの心意気と信念にわたしは心から拍手をおくりたい。 この句集のために三人の方が言葉を寄せてくださった。鍵和田柚子主宰は帯文を、守屋明敏編集長は跋文を、「木語」時代のお仲間であり現在も親しくしておられる石田郷子さんは栞を。それぞれを紹介しておきたい。 日の本のあけぼのの色朱鷺巣立つ 「枕草子」冒頭で有名な日本の春の曙。その色を持つ朱鷺の巣立ちの明るさ。自然や野生動物への共感の優しさ。美意識の豊かさ。文化遺産への関心の深さなど、総て作者の豊饒な句境を支えている。 帯文の鍵和田主宰のことばである。 蟬時雨彼方の椅子も一人かな 梅雨夕焼やさしくされしこと忘れず 草引きし夜を草の香に眠りけり ありしことみな無きがごと鰯雲 ジンジャーに耳順のこころ白かりき 道灼けて影にぜい肉なかりけり 冬の薔薇わが胸中に墓標あり 誕生日雪のにほひの宅急便 ご夫君ご逝去のあとにご母堂、ご尊父を亡くされた作者にとっては、その面影を想い起すことそのものが「遺産」なのだろう。「我が得し遺産」と言い切り、句集の題名にも敢えて「遺産」と付けたところに作者の並々ならぬ決意が窺える。その遺産を背負っての永年の句業がこの一集に集約されている。(略)。現在は「俳句のおかげで独り暮しをさびしいと思ったことはありません」の境地におられる作者であるが、曾ての師・山田みづえ氏が「知らなければ何でもないのに、俳句などに励むと孤独の淵をも覗いてしまう」と仰言った寂しさは、これからも付き纏うであろう。(略) 森尻さんは一度「木語」の誌上で、「未来図」鍵和田秞子主宰の句を採り上げられ鑑賞なさったことがある。その的確な鑑賞文が彼女を意識した最初である。「木語」が惜しまれて終刊となったその一年後に「未来図」へ入会され、日を置かず同人に推挙されたが、それだけの詩的感性と実力を備えている方であった。この『遺産』ではその作者の感性が遺憾なく発揮され、印象深い句が続く。森尻さんには今後ともお健やかに益々ご活躍されることを祈念申し上げ、お祝いの言葉としたい。 守屋編集長は懇切な跋文をよせておられる。 「木語」時代にともに編集部で仕事をされていた石田郷子さんは「詠い続けられる幸運」と題しての栞である。 群青の夜空となりぬ軒氷柱 凜といふ文字ひとつづつ梅ひらく 白河や紅葉の小枝かざしゆく (福島) 胸郭のみしりみしりと花冷す 湖明りして屋根屋根のつゆけさよ 抱かれたし白ふくろふの子となりて 風呂敷をきれいに結び花菖蒲 万緑や粛々と弓引かれたる 自在に、のびやかに詠い、味わいの深い作品群。この句集の一つの流れを作っている旅吟も魅力的だ。作者は、現在の師の懐で、生き生きとこの世の生を謳歌している。 森尻礼子さんは、追憶の中の懐かしい人々のもとへ旅立つ日まで、これからも大いなる遺産に守られて詠い続けるだろう。 なんという幸運であろうか。 たしかに「なんという幸運」であるのだ。このとらえ方が森尻さんの心意気に響き合って美しいとさえわたしは思う。ほかに、 万両や一人の家の鍵の数 花の下担架の父と通りけり (父入院) 如月の月満つる日に逝かれけり (父) ふたたびの喪主をつとめぬ梅真白 (夫、そして父と、) 鬼灯市水たつぷりとにほひけり さより裂き腹くろきこと淋しめる ハンカチの木の花洗濯日和かな 青蜜柑あをき未完のまま老いたし 女礼者西行の札とばしけり ぐるぐるとマフラー巻けば寂しからず 夫の忌や遠く光れる冬の河 晩節に友あり鞦韆漕ぎにけり 銃口の吾に向きをり夜の百合 喪帰りの風鈴聴いてゐたりけり 列柱は骨の白さよ鳥渡る 花下草上百歳めざさうと思ふ (篠田桃紅展) 森尻さま、どうぞ百歳を目指してくださいませ。この句集には、「あした浜辺を」と題してお母さまとの思い出が語られている。一部を紹介したい。 ~あした浜辺をさまよえば…… テレビから「浜辺の歌」が流れてきて、ふと十歳の頃にタイムスリップした。 ラジオからこの歌が流れてきた時「この歌大好き!」と母は唄い手の声に合せて歌った。 「ねえ、どうして明日、昔のことをしのぶの?」疑問に思った私が聞くと「あした、にはね、朝という意味もあるのよ。」と母は教えてくれた。 「朝」を「あした」ということもある。 あの時私は(なにか美しいものがこの世には沢山あるのだ)と気づき心がふるえたのだった。そして、まだ知らない美しいものへの憧れが芽ばえたような気がする。 母からの無形の贈りもの、をしみじみ思うこの頃である。 この句集の装幀は和兎さん。星が好きであるという森尻さんの思いをこのような装幀にしてみた。最初の句集『星彦』に響き合うように、という思いもあった。 この句集の担当は、千絵さん。印象に残った句は、 しゆうくりいむ春が来たねと父のこゑ 「校正をしていた際に、この句について、お父様がシュークリームがお好きで、よく召し上がっていらしたというのをお伺いして、この「しゆうくりい む」という平仮名にとても柔らかくて暖かいものを感じました。 森尻様ご自身もとても暖かい方で、お話をさせて頂く際には心が温まる感じがしておりましたので、この句からとても森尻様らしさが感じられる気がいたしました。」と千絵さん。 わたしは次の句が好き。 白靴の汚れやすきを愛すなり この句には、きっぱりと潔い女の顔とそれとは反対の清らかな少女性をいとおしむこころがある。 男性の句であるとしたらまた違う局面が展開されるけれど。 この句は、森尻さんという人間を端的にかたっているようで興味深い。 実はわたしはどこか森尻さんにとても親近感を覚えるのはこの句の「こころ」だ。 すっごく分かる、っていう感じ。 とうとう冊子「第5回田中裕明賞」が出来上がった。 がんばったぜい! わたしが、 いや、わたしはそれほどでもない。 わたし以外のスタッフががんばった。 なんと186頁の大冊である。 半分以上を選考会がしめる、ということに気づいた。 あらためて選考委員の皆さま、 お疲れさまでした。 購入可能です。 が、発送は週明けとなります。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、阿知波裕子句集『山櫻』より。 寂しくて白鳥首をたたみけり 白鳥は長い首をしている。ときおり、その首をうしろへめぐらして羽に貌(かお)を埋めることがある。「たたみけり」とはそのさまをいったのだろう。そこに白鳥の寂しさを見つけた。人間なら伏し目がちに顔をそむける仕草(しぐさ)にあたるだろうか。 著者の阿知波裕子さんにご連絡をしたところ、この「白鳥」の句はご自身がいちばん好きな句であるということ。とても喜ばれたのだった。
by fragie777
| 2014-11-14 20:36
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||