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11月13日(金)
大輪である。 この薔薇をぼんやり眺めていたらなんだか眠くなってきてしまった。 すこしけだるい色と咲き方をしているせいかもしれないが、薔薇は人間を眠りへと誘うものがあるのかもしれない。 (そんなことを言っても、yamaokaは単に眠いだけかもしれない、きっとそう) 切り花ではなくて、こうして植えてある薔薇が花の盛りをすぎて終熄へとむかっている時がとくに好き。花びらがどことなく力が抜けている感じがいい。しかもやや青を感じさせる紫というのがまさにアダルトな薔薇という感じで、以前イタリアのフィレンツェのサンタ・クローチェ教会に立ち寄ったときにその裏庭に植えられていたのがこんな薔薇だった。猫が何匹か日だまりに寝ていて、教会内部の霊廟のある荘厳にして暗く冷たい室内とは別世界ののどかな空気が支配していた。サンタ・クローチェ教会にはミケランジェロ、マキャベリ、ガリレオなどをはじめ有名人のお墓やら墓碑がひしめき、そこには死者の冷厳さが立ちこめていてちょっと心が硬直してしまったのであるが、裏庭へとみちびかれるとあたたかな日差しにあふれ薔薇が咲き乱れていたのであった。わたしのサンタクローチェ教会の思い出は、死者たちの霊廟よりもこの中庭の野良猫たちと薔薇たちがまっさきに甦る。こうして生きているもののために太陽は降り注いでいる。そして旅の途中で立ち寄ったわたしの上にもあたたかな日差しが豊かなのであった。
今日の「増殖する歳時記」は、三宅やよいさんによって、こしのゆみこ句集『コイツァンの猫』より。 後ろ手に歩むは鴨の気持ちかな からりと晴れあがった気持ちのよい道を何も持たずに、手を後ろに回してぶらぶら歩いているのだろう。陸に上がった鴨は羽を後ろに揃え、水かきをつけたオレンジの足でよたよた歩く姿がユーモラスで可愛い。「気持ちかな」だから手を使わずに足だけを推進力に進むその動き、おしりが自然と左右にふれる動作に鴨の気持ちを味わっている。直喩や見立てだと対象に距離感があるが、自分の気持ちにぐっと引きつけて詠んだことで後ろ手に歩く人の姿とよたよた歩く鴨が自然に重なる。なんだか私も後ろ手で歩くたびに鴨の気持ちになって歩けそうな気がする。『コイツァンの猫』(2009)所収。 午後よりお客さまがおひとりいらっしゃった。 俳人の大石香代子さん。 句集刊行のご予定があり、ご相談にお見えになったのだった。 前句集『磊磊』を2003年に上梓されてよりすでに10年以上が経ってしまった。 来年の3月31日のお誕生日までに第三句集をというご予定。 大石香代子さんは、俳誌「鷹」の同人である。1981年に「鷹」に入会されてよりすでに30年余となる。 「俳句を同じ時期にはじめてとても才能のある方たちがいたのですが、俳句を止められた方も多くつづけることは大変なのかもしれませんね。わたしはぼちぼちやってきたのでなんとか続けて来られました」と大石さん。 (ぼちぼちやるっていう言葉、わたしは好きです……) 「多作多捨という俳句のつくり方にもひかれてひたすら作っていたときもあり、そんな時に飯島晴子さんより、『あなたが10句つくる分、わたしは一句を推敲して作るわ』と言われ一句深耕ということを教えられました。」 「湘子先生には、提出した一句について的確な批評をもらい、写生句が多い傾向のわたしには、草田男の初期の句集を読めと言われました。奥坂まやさんには、素十の句を読めとおっしゃったらしいんですけど……」 「わたしは湘子、晴子という二人に師に恵まれて俳句をはじめられたことは幸せだと思っています。」と大石香代子さん。 湘子、晴子亡き後のいまの「鷹」は、小川軽舟、奥坂まやという二人の俳人が二人の師の教えを継承している。 そして、「夫も俳人であるということは、俳句を作っていく上で励みになりました」と。 ご主人は俳人の石島岳さんである。 「お写真を撮らせてください」ってお願いしたら、ブログに顔を紹介してはダメってご主人に言われたっていうことで、お顔はご紹介できません。 とっても残念。
by fragie777
| 2014-11-13 19:11
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